第18話 講義の後はのんびりお茶を

 講義は無事終わり、次にマナを待っていたのはティータイムだった。

 ティリスとローゼがバルコニーに白い円卓と椅子二脚を用意してくれて、海と町並みを一望できる場所から飲むお茶は格別だろうと思いながら椅子に座る。


「お待たせしました。本日はスモークサーモンとクリームチーズのサンドイッチとスコーン、それとマドレーヌに桃のショートケーキです」

「「わあ……!」」


 ティリスとローゼが円卓の上に王宮御用達の陶器のティーセットと三段スタンドを置く。その時に三段スタンドにのせられた軽食とスイーツを見て、マナとイーリスは目を輝かせる。

 甘い物は腐りかけの果物だったマナにとって、料理人の手によって作られ、洗練されたスイーツというのは夢のような食べ物。


 イーリスも歴代の天恵姫に召喚されたこともあり、人間界の食べ物にはそれなりに精通している。

 だが時の流れを感じない精霊界と違い、人間界ではスイーツや料理が日に日に進化している。

 それ故に、こういった食事に興味津々になってしまうのは自然なことだ。


「こちらのサンドイッチは、トルクニス侯爵領特産品の蜂蜜をかけてお食べくださいね」

「……トルクニス侯爵?」

「はい。ジャクソン様は侯爵様なのですよ。しかも代々王宮に仕える名家の現ご当主様でもあります」


 ティリスの説明にマナが目を見開いていると、ジャクソンは頬を右手の人差し指で軽く掻く。


「いやぁ……そこまで大したことはないです。この蜂蜜も、初代トルクニス侯爵が暇つぶしで始めた趣味が、いつの間にか事業として発展しただけですし」

「それでもすごいことですよ。私、この蜂蜜を使ったパイが好きなんです!」

「私もです! マナ様も一度お食べになってください。頬が落ちてしまうほど美味しいんですよ!」

「そこまで言うなら、私も食べてみたいです」

「……分かりました。では、後日我が領の高級蜂蜜を使ったパイをお持ちしましょう」


 ティリスもローゼも絶賛する蜂蜜パイが気になり、マナも頼むとジャクソンは根負けしたように了承してくれた。

 だが自領の蜂蜜パイを褒められて嬉しいのか、目元が薄っすらと紅色に染まっていた。


「……ところで、マナ様。エレン様とは、どこまで進展しましたか?」

「え? 進展、といいますと……?」

「お二人は前王妃の予言によって選ばれた伴侶同士。国家規模の政略結婚とはいえ、やはり初対面である以上、何かとあることでしょう」


 恐らくジャクソンは、ただの世間話のような軽さで質問しただけだ。

 だけど、今のマナにとって、その質問はひどく答え辛いものだった。


「…………正直に申しますと、エレン様のことがよく分かりません」

「分からない、とは?」

「あの方は、初対面で私のことを好きだと仰いました。ですが……私はあの方のことを何も知らない。なのに、向こうは私のことをたくさん知っている。……それなら、私がどれだけエレン様に相応しくない女なのかご存知のはずなのに……」

「それは……」

「分かっています。これは私が一方的に不安がっていることだって。ですが……それでも、やはり分からないのです……どうしてエレン様が私のことを好きだと言ってくれたのか、どうして私の前だと素ではない作った顔を見せるのか……」


 ぽつりぽつりと語るマナに、ジャクソンは困った顔をしながらティーカップを手に取る。

 見た目に反して甘党なのか、ミルクと角砂糖をたっぷり入れたそれを一気に飲み干した。


「…………先ほど仰いましたが、トルクニス侯爵家は王家に仕える名家。それ故に、私は【銀】の中でも天恵姫の予言の内容を知る一人です」

「!」

「エレン様もその予言を知る方々の身内でして、彼が天恵姫の伴侶に選ばれた時は母君と兄君はとてもお喜びになりました。……ですが、彼の父君だけはそうではなかった」

「……どうしてですか?」

「単純な理由です。エレン様の父君は、天恵姫の伴侶に選ばれることを強く渇望していたからです」


 マナ自身、天恵姫がどれだけ貴重な存在なのか正確に把握していない。

 だけど、天恵姫の伴侶になりたいと望む人間が、自分の預かり知らないところでたくさんいることは理解した。


「その予言以降、エレン様は父君からひどく憎まれてしまい……食事に何度も毒を盛られたり、不慮の事故に見せかけた暗殺を何度も仕掛けられたり……当時三歳だった彼にとってそれはとても辛い日々だったでしょう」

「では……エレン様のお父様は、今どうしていますか……?」

「……亡くなりましたよ。伴侶の予言から二年後、エレン様が五歳の頃に」


 暗い表情をしたまま語ったジャクソンは、ローゼが新しく注いだ紅茶に角砂糖を数個入れる。

 ポチャン、ポチャンという音がやけに耳の中で響いた。


「その経緯があったせいか、あの方は予言で選ばれた伴侶でありながら、天恵姫に相応しくないと思い込んでいる節があるのです。悩みに悩んだ結果、エレン様は完璧な天恵姫の伴侶として演じることにしました」

「演じる……?」

「はい。あなたの前で見せたその作り顔は、エレン様なりに努力して生み出した理想の紳士的な男性の顔なのです。どうやら不評だったらしいですが」


 理想の紳士的な男性。

 マナ自身、男性とあまり話す機会も出会う機会もなかったせいで、男性の好みについてまったくこだわりがない。

 強いて言うなら、暴力を振るわず、罵声を飛ばさない、優しい男性が好みだ。


「では、どうしてエレン様は私のことが好きなのかも知っていますか?」

「もちろんです。……ですが、それは直接エレン様にお聞きした方がよろしいかと」

「それは……そうかもしれませんが……」


 確かに、自分に好意を抱く理由は本人に聞くことが正しい。

 出会った時、エレンはなんでも答えると言った。しかし、その答えがマナの望むものではない可能性がある以上、怖くて訊けない。

 そんなマナの不安を感じ取ったのか、ジャクソンは優しく頭を撫でる。


「マナ様。私はエレン様のこと全て知っているわけではありませんが……これだけは言えます。エレン様は本気でマナ様を愛しておられます。それだけは信じてください」

「……信じる……」


 それは、今までマナを裏切り続けた感情。

 どれだけ信じても、結局誰も自分を助けてくれなかった。

 微かな希望に縋りつきながら信じても、結局最後は裏切られる。


 マナにとって誰かを愛すると同じくらい、誰かを信じることはとても難しいことだ。

 信じて裏切られるくらいなら、いっそ何も信じないままでいたいと思うほどに。


「…………善処してみます」


 自信を持って肯定できず、差し障りのない返事を返す。

 その返事を聞いたジャクソンは、それ以上何も言わず、時計塔の鐘がなるまで一緒にお茶に付き合ってくれた。

 その優しさが、今だけは少し心苦しく感じた。

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