第17話 初心者でも分かる魔法講義②

「次に、精霊についてです。精霊はこの世界の万物を具現化した存在であり、その姿は千差万別。下位は鳥や齧歯類などの小動物が多く、中位は狐や狼などの大型動物、上位は一角獣やグリフォン……いわゆる幻獣種と呼ばれている生物ですね。そして最上位はドラゴン、ドラゴンの方は各属性とダブルエレメンツを含めると十数頭が確認されております」


 左手に持つ小型黒板で、ジャクソンはチョークで三角形を描くとその内側に五本の線を描く。

 そのまま下から順に『下位精霊』『中位精霊』『上位精霊』『最上位精霊』『大精霊』『精霊王』と書いていく。


「さらに最上位の上……いわゆる各属性の精霊の頂点である大精霊が八体、そして全ての精霊の母である精霊王。大精霊と精霊王は他の精霊と違い人型をしており、そこから契約者の魔力に応じた仮初の姿になります。もちろん他の精霊も契約者の魔力量次第では人型になることも可能です」


 ジャクソンによる魔法講義は、これまで魔術師や精霊から縁遠かったマナにとって、どれも興味の尽きない内容ばかりだった。

 そもそもマナは六歳まで淑女教育は基礎のところまで学んでいた。しかしあの悪夢……例の事件を機に、マナの淑女教育はそこで打ち止めになり、辛うじて読み書きと計算だけは学べたがそれだけだ。


 その後、一〇歳の時に精霊と契約できなかった時点で魔術師としての教育もなくなり、それ以降は全部屋敷の仕事に日々の時間を費やした。

 毎日皿洗い、庭掃除、洗濯、給仕と幼い子供がするには重労働な仕事ばかりやらされ、わざと鉢合わせたメディテに暴力を振るわれ、罵声を浴びせられる。

 そんな日々を過ごしたからこそ、今の時間はとてもやりごたえのあるものだった。


「あの、大精霊は最上位精霊と何が違うのですか?」

「大精霊は各属性の精霊が住まう里を統括する立場にあり、我々でいうところの領主にあたりますね。どの大精霊も他の精霊では太刀打ちできない実力を持っています」

「では……その大精霊を召喚できる人って、いるのですか?」

「ごく稀にいるわ。そういえば……この国の王様がその一人じゃなかったかしら?」

「仰る通りです。現国王クリストファー殿下は、【風】の大精霊・ウェンディと契約しております。一度お姿を拝見しましたが、陛下と同じ金髪碧眼の美しい女性でしたね」


 クリストファーがまさかの大精霊の契約者だと知り、マナは素直に驚く。

 だが、そこでふとある疑問が生じた。


「ジャクソンさん、先ほど大精霊は各属性の精霊が住まう里の領主と仰いましたよね? では、彼らは契約している間、その里はどうなさっているのですか?」

「そこは大丈夫よ。精霊は魔術師が呼び出さない限り、普段は精霊界にいるわ」

「そうなんですね……あれ? ではイーリスはどうして人間界に……?」


 先ほどの話が本当なら、イーリスも精霊界にいるはずだ。

 なのにマナのそばにいることに疑問を抱いていると、ジャクソンは苦笑しながら答えた。


「そちらは単純に精霊の都合と申しますか……精霊界より人間界にいることを好んでそのまま居座る精霊もいます。イーリス様もそれと同じかと……」

「そうなの?」

「それもあるけど、私がマナのそばにいたいからよ。やっと会えた天恵姫だもの、とても離れがたいわ」


 そう言って、イーリスはマナの肩に登ると己の顔を頬に摺り寄せた。

 彼女の毛並みの柔らかさにうっとりするも、絶妙なくすぐったさを感じてしまいマナは小さく笑う。

 仲睦まじい姿を見て、ジャクソンは微笑ましく見守りながらも授業を進める。


「最後に呪文について説明します。我々魔術師が使う呪文は二つあり、最初の呪文を『召喚呪文』、二番目の呪文を『指示呪文』と言います。召喚呪文は精霊に力を借りるため、自らの名を名乗り、彼らを呼ぶための呪文です。これは全ての魔術師共通のものとなっています」


 召喚呪文は『コール・ディア・〇〇』――古い言葉で『親愛なる〇〇が呼びかける』と言う。

 この○○の部分は魔術師の名前。つまりマナの場合、解放呪文は『コール・ディア・マナ』となる。


「次に指示呪文は、文字通り魔法の内容を指示する呪文です。契約した精霊の属性に合った指示呪文を唱えることで、魔法を行使することができます。……そしてここで一番忘れてはいけないことは、魔術師は契約した精霊以外の属性の魔法は使えないということです。ダブルエレメンツのように二つの属性を持った精霊ならば二つの属性の魔法が使えますが、基本は一つの属性の魔法しか使えません。……ですが、マナ様が契約したイーリス様の属性は【全】。すなわち、全ての属性の魔法を使えます」

「全ての属性の魔法を……」

「ええ。魔術師ならば誰も……エレン様や国王陛下ですら敵わないでしょう。ですが、。彼らは精霊と契約していませんが、もし魔力封じの腕輪を所持していた場合、我々の力を封じ、一方的に嬲ることができます。特にマナ様は天恵姫……誰もが喉から手が出るほど欲する存在。わざと一般人を仕向け、害を為す者もこの先必ず現れます。もちろん我々が全力でお守りしますが、もしもの場合がございます。その場合、あなた様は自力で苦難を乗り越えなくてはならない局面が訪れるでしょう」


 黒板を持つ手を強くしながら語るジャクソンに、マナは自然と背筋が伸びたような気がした。

 天恵姫がどれだけ貴重なのか、一体どんな影響力を及ぼしているのか、正直なところ完全には理解していない。

 それでも、自分が身柄を狙われる立場になっているということはなんとなく察していた。


 エレンもクリストファーも、マナのことは国賓として丁重に扱うとだけ言っていた。

 だが、ジャクソンは真正面から『自分の身は自分で守れるよう努力しろ』と告げてくれる。

 それは王宮魔術師として、そして一人の国を愛する者としての言葉であることくらい、マナは痛いほど伝わった。


「………………そうですね。私はまだまだ未熟で、他の誰よりも無知なのは承知しております。正直なところ、天恵姫であること自体未だ信じられないくらいです」

「…………」

「ですが、私のせいで誰かが傷つく、もしくは傷つけられる時が来ても、何もできない無力な少女のままでいる気はありません。なので……これからも、魔法について教えてくださるとありがたいです」


 マナなりの精一杯の想いを告げると、ジャクソンは優しく微笑みながら、左胸に手を当てて頭を下げた。


「もちろんです。私も、そしてエレン様も、あなたが望むのならばいくらでもお教えしましょう」


 その言葉には、【銀】の王宮魔術師としての誇りと責務、そして父親のような穏やかな優しさが込められていて、マナは胸がほんのりと温かくなった。


「では、さっそく実践しましょう」

「えっ!?」

「何事も経験ですよ、マナ様。初日ですので、とても簡単な魔法を試しましょう」


 言うが早いが、ジャクソンはローゼに耳打ちすると、彼女は了承の意を込めた頷きをひとつすると、静かに部屋を出て行く。

 しばらくして戻って来たが、彼女の手には土が入った小さな植木鉢を持っていた。それをジャクソンが片手で受け取ると、もう片方の手で机の上にあったノートを閉じ、羽ペンやインク壺をそのまま脇に寄せた。


「花を咲かせる魔法は初歩中の初歩。魔術師なら誰もが使う魔法です。これなら今のマナ様の体調でも問題ありません」

「え、あの、でも……私は……」


 花を咲かせる魔法は、二度見たことある。一度目は実母が、二度目はアイリーンが。

 実母の時は庭で転んで泣いた自分を泣き止ませるために使ったが、アイリーンの時は魔術師としての特訓の一環だった。


 庭でアイリーンが魔法を使った途端、植木鉢に植えた薔薇の種が成長し、そのまま可憐に花開く様を見て、父と継母は手放しに褒めていた。マナには決して向けられない、優しい手つきと言葉を与えながら。

 その際に窓から覗き見ていた自分に、アイリーンが誇らしげな笑みを浮かべるも、蔑みを宿した目を向けられたことは今でも覚えている。

 あの時の記憶を思い出して、せっかく温かくなった胸がチクリと痛むも、イーリスが身軽な動きで机の上に乗ると、そのままマナの肩に飛び移る。


「大丈夫よ、マナ。今のあなたは天恵姫。私の契約者なのだから、これくらいの魔法は使えるわ」

「イーリス……」

「ほら、呪文を唱えて。安心しなさい、私がついてるわ」


 すりすりと頬擦りするイーリスに、マナはその柔らかさにうっとりしながらも頷く。

 緊張した様子で植木鉢に向けて右手をかざし、深呼吸を一つ。

 ジャクソンだけでなく、ティリスもローゼも見守る中、マナは静かに呪文を唱える。


「コール・ディア・マナ――花よ、どうか咲いて」


 マナの右手から、【地】属性の証である橙色の光が溢れ出る。

 光はキラキラと輝きながら、ゆっくりと植木鉢の中の土へと吸い込まれていく。

 やがて光が収まると、土の中からぴょこんと小さな芽が飛び出す。芽はそのまますくすくと成長していき、やがて白い薔薇が花開く。


 かつて、アイリーンがしたように、今度は自分が自分の魔法で花を咲かせた。

 その事実と、薔薇の可憐に咲く姿を見て、マナの青い瞳からぽろりと真珠のような涙が自然と零れ落ちた。


(やっと……やっと私も、魔法が使えた……)


 一八年も恋焦がれ続けながらも、使える日など永遠に来ない思っていた。

 それが今日こうして長年の悲願が叶い、嬉し涙を流す天恵姫を誰もが静かに見守った。

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