第16話 初心者でも分かる魔法講義①

 午前中を堪能したマナは、エレンに案内された食堂で昼食をとっていた。

 用意された昼食は、脂身の少ない鶏肉のササミのステーキ。特製檸檬レモンソースはあっさりとしていて、ササミも程よく焼いてくれたおかげで噛むと鶏の旨味が口の中に広がった。

 今まで使う機会のなかったカトラリーに苦戦しながら、もそもそとサラダを食べていると、目の前で水を飲んでいたエレンが思い出したように言った。


「ああ、そういえば……すみません。僕は午後から仕事がありますので、今日は恐らく夕食まで会えないかと思います」

「い、いいえ! むしろ多忙の中、わざわざ私のためにお時間を使っていただきありがとうございます!」


 本来エレンは【黄金】として、他の王宮魔術師と同じように仕事がある。

 それなのに、朝からマナの様子を見にきたり、エスコートしながら王宮や温室の案内をしてくれた。

 ガチャンッと音を立てて皿の上にカトラリーを置いて頭を下げたマナに、エレンは嫌な顔をせず言った。


「お礼なんて結構です。僕とあなたは国に認められた婚約者同士、多少仕事から離れても誰も文句は言いませんよ」

「…………」

「それと、あなたの午後の予定ですが、ジャクソンを師として魔法について学んでもらおうかと思います。あの家のせいで、恐らく詳しいことまで教わっていないでしょ? ジャクソンは僕の直属の部下の中では一番の古株で、教え方も上手なのできっと良い先生となるはずです」

「は、い……ありがとう、ございます……」


 午後の予定について話しているも、マナは顔を俯かせる。

 目の前でエレンが何かを話していても、その内容はあまり頭に入ってこない。


(また……あの作り顔……)


 先ほどの贈り物を集めた部屋で、エレンは素である顔を見せていたのに、今はまたあの作り物の嘘の顔になっていた。

 今思い返せば、初めて会った時から、彼の立ち振る舞いはまるで理想とする男性の仕草や態度を真似ていた。

 きっと今までかけてくれた言葉は、全てマナが望む言葉を役者が舞台で台詞を読むように言っていただけに過ぎないかもしれない。


『……ええ、もちろんです。あなたを一生お守りします。これから先の未来――死が二人を分かつまで』


(でも、あの言葉だけは本物のはず。私はそれを信じている。……いいえ、信じたい)


 マナはエレンのことを何も知らない。

 彼の過去も、未だ明かされない本名も、どうしてこんな自分を好きになったのかということも。

 それでも、あの日馬車で交わしてくれた誓いは、きっと嘘偽りのない彼なりの真心のはずだ。


 そう信じたくても完全に信じ切れない自分に嫌気が差しながら、マナはエレンが提供する会話に相槌を打ちながら昼食の手を進めた。

 会話の内容は、全部頭の中に入っていなかった。



「――初めまして、天恵姫マナ様。私はジャクソン・トルクニス。以後お見知りおきを」

「初めまして、パルネス男爵の娘のマナです」


 午後になると、マナの部屋に年嵩の男性が現れた。

 ガイルと同じ銀刺繍が施されたマントを着ており、髪は白髪交じりの藍色で、瞳は同じ色。

 年はガルムと近いが、体躯は正反対だ。筋肉がほとんどない細身なガルムに対し、ジャクソンは数々の修羅場を乗り越えた歴戦の戦士の如く鍛え抜いた体躯をしている。


 まるで熊のような大男が、豪奢なマントを身に纏う様は少し不釣り合いに見えてしまう。

 むしろ鎧や農作業服の方が似合いそうだ、と思ってしまった。

 だがマナの挨拶を聞いて、ジャクソンは眉尻を寄せた。


「マナ様、初対面の身でありますがご忠告がございます。あなたは天恵姫として王宮に召し上げられた国賓。いくらあなたの生家について国民全員が知っていても、他国ではあなたのことを一切知りません。もし公の場で生家の名を口にした場合、よからぬ者がご家族に危害を加えるかもしれない。その予防として今後『パルネス男爵の娘』ではなく『当代天恵姫』と名乗るほうが適切です」

「そうだったのですか……教えていただき、ありがとうございます。ジャクソン様」

「様は結構です。私はあなたより身分が下ですので、気軽に呼んでください」

「えっと……それじゃあ…………ジャクソン、さん……?」


 様呼びからさん呼びにするも、本人の顔は渋いまま。

 だがこれ以上馴れ馴れしい呼び方ができず戸惑っていると、バルコニーのガラス扉前で日向ぼっこしていたイーリスが助け船を出す。


「マナの敬語口調はデフォルトなの。むしろさん呼びは親しい人しかしないって思えばまだ気が楽になるわ」

「……なるほど。そういった事情でしたら、甘んじましょう」

「ありがとうございます」

「いいえ。では、そろそろ勉強を始めましょうか」


 なんとか呼び方についての話が無事終わり、気を取り直して魔法講義が始まる。

 ベッドの前に置かれた椅子に座り、机の上には新品のノート。貴族向けの高級仕様の帳面にインクをつけた羽ペンの先を置くと、ジャクソンは左手に小型黒板、右手にチョークを持ちながら説明し始める。


「魔法とは、精霊と契約を交わすことで行使できる奇跡の御業のことです。それを使える者は魔術師であることはご存知ですね?」

「はい」

「精霊にはそれぞれ属性があり、【火】【水】【地】【風】【氷】【雷】【光】【闇】の八つあります。魔術師はそのどれかの属性を持つ精霊と契約しますが、中にはこの属性を二つ持つダブルエレメンツがおりまして、エレン様は【氷】と【闇】のダブルエレメンツ持ちの精霊と契約しています」

「そうなのですか?」

「ええ。しかも、精霊王と大精霊を除く精霊の中でも最上位であるドラゴンです」

「あら、もしかしてローウェンのこと? 彼、あの子の契約者だったのね」


 イーリスもエレンと契約した精霊について知っているのか、日向ぼっこを中止すると、そのままマナの方に近寄り、ぴょんっとジャンプして机の上に乗った。


「ご存知で?」

「ええ。ドラゴンの中でダブルエレメンツ持ちは両手の指しかいないもの。その中でもあの子は意外と気難しいはずよ」

「契約当初はそれなりに苦労したそうですよ。一応力は貸していましたが、それ以外は全然言うこと聞かなくて……毎日口喧嘩ばかりでしたね」

「ジャクソンさんは……エレン様のことをよく知っているのですか?」


 懐かしそうに語るジャクソンに、マナは思わず訊ねる。

 その質問を聞いて、彼は小さく頷いた。


「ええ。王宮魔術師歴は他と比べて長いですし、エレン様とはそれこそまだ彼が赤ん坊の頃から知っています」

「そうだったのですね……!」


 まさか身近にエレンの過去を知る者がいて、マナは驚きながらもふと思いつく。

 もしかしたら、彼ならばエレンについてもっと詳しく教えてくれるかもしれない。

 そう思っていたのが顔に出ていたのか、ジャクソンは肩を竦めながら言った。


「ですが、まずは魔法の勉強が先です。それ以外の話は勉強が終わった後のお茶の時間にしましょう」

「は、はいっ」


 窘められるように怒られ、身を竦めるマナ。

 でもいつもは罵声と暴言ばかり浴びせられた身としては、今の叱り方は少し新鮮に感じてしまったのは秘密だ。

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