第29話 真実

 頭がガンガンと痛む。

 身じろぎすると頬に柔らかい感触を感じ、マナはゆっくりと目を開ける。

 最初に視界に入ったのは、毛足の長い真紅色の絨毯が敷かれた床。次は王宮で何度も見た高価な調度品の数々だが、それでも派手な内装は身に覚えがない。


(ここは……?)


 思わず起き上がると、自分の腕が後ろで動かないことが分かった。

 慌てて首を後ろに動かすと、自分の両手首を金属の枷で嵌められていることに気づく。

 その枷も魔術師の拘束に使われるもので、明らかに貴族の屋敷の一室では異質すぎる。


「確か……私、サルベール伯爵とお話をしていて……」


 頭痛のせいで頭が激しく悲鳴を上げるも、なんとか気を失う前のことを思い出す。

 待ち合わせ場所の東屋で突然ライオルが現れ、何度か会話をしている内に空気が不穏となり、そして背後には熊の姿をした精霊と手首に嵌められたリング。


『さあ、行きましょう天恵姫! あなたと真に結ばれる伴侶である私と共に!!』


 そして、ライオルの恍惚とした顔とあの言葉を。


(真に結ばれる伴侶……? でも予言ではエレン様と結ばれると言われていたはず)


 何かの勘違いか、それともただの狂言か。

 いずれにしても、今の自分は彼に誘拐されてこの屋敷にいる事実は変わらない。


(早く逃げないと)


 だが、足は拘束されていないとはいえ、両腕が動かせない状態ではドアもロクに開けられない。

 しかも枷の影響によって、イーリスを呼び出すこともできない。

 それでも逃げ出す算段を必死に考えようとした時、ちょうど部屋のドアが開いた。


 もしかしたら、自分の様子を見にきた見張りかメイドかもしれない。

 そう思いドアに視線を向けた直後、ひゅっと息を呑む。


「――あらあら、昔に戻ったみたいね? お義姉ねえ様」


 ドアの向こうにいたのは、見下ろしながら嘲笑を浮かべたアイリーン。

 その後ろにはライオルとガルム、そしてメディテが立っていた。

 何故彼女達が、と考える前に、つかつかと前に出たメディテが右手に持っていた扇でマナの頬を叩く。


「……っ!」

「この疫病神め! あなたのせいでわたくしの人生がまた滅茶苦茶になったわ!」


 頬を叩かれた衝撃で再び床に倒れたマナに、メディテは血走った目を向けながらそのまま足を上げて、彼女の細い体を何度も蹴る。

 踵が高い靴のせいで、先が何度も体に刺さる。久しく忘れていた痛みに、マナは呻き声を上げる暇もなくただ体を丸めることしかできない。


「生かしておいただけでも感謝しなくちゃいけないのに、天恵姫になった途端に復讐だなんて! なんて卑しい娘なの!? そのドレスもエレン様に媚びて強請ったものなのでしょ? ほんと、男に取り入る才能は母親譲りね!」

「ち、ちが……っ、お母様はっ……!」

「口答えしないでちょうだい! あなたはそうやって這い蹲っているのが相応しいのよ!」


 止めとばかりに腹部に重い蹴りを入れられ、マナは激しく咳込む。

 ようやく落ち着いたのか、荒い息を吐くメディテをライオルは薄笑いしながら宥める。


「まぁまぁ、その辺にしておくれ。いくら天恵姫とはいえ、私は傷だらけの娘を腕に抱く趣味はないのだ」

「……そうですわね。申し訳ありません、サルベール伯爵」

「何、あなたの怒りはもっともだ。これくらいは目を瞑るさ」


 二人の会話を理解したくても、痛みのせいで意識が朦朧とする。

 なんとか起き上がろうともがくマナを前にして、アイリーンは腹違いの姉の前でしゃがみこんだ。


「お馬鹿なお義姉ねえ様に教えてあげるわね。……お義姉ねえ様はね、これから名実共にサルベール伯爵様の花嫁になるのよ」


 花嫁。

 それはマナにとって一番縁遠かったけど、今では一番近いもの。

 だがそれの相手は、あの美しい人であって、目の前の男ではない。


「な、何故……どうして、そのようなことを……!?」

「何故? どうして? それはもちろん、あの予言が偽りのものだからだ!」


 顔を青くして身を震わすマナを見て、ライオルは役者のように語る。


「私の父は、王宮の中で王妃の予言を直に聞ける立場にいた。あなたが天恵姫として生まれる予言も、その伴侶の予言も、父は己の耳で確かに訊いたのだ。私が天恵姫の伴侶であると!」

「…………では何故、私がお聞きした予言とそこまで食い違ってしまったのですか? どうして伴侶がエレン様になっていたのですか……?」


 信じたくない。信じられない。

 前王妃の予言が、誰かの意図によって内容を変えられていたなんて。

 ならば……ならば、エレンは本当の天恵姫の伴侶ではないということだ。


(エレン様はこのことを知っているの? もし、そうなら――)


 あの言葉も、口づけも、全てが嘘になってしまう。

 やっと自分の気持ちに、エレンへの返事の答えを伝えようと思っていた矢先だったというのに。

 最悪の想像をして絶句するマナを見て、ライオルはくすりと笑う。


「ええ、ええ、そうです! あの御方は全てご存知です! それはひとえに、あなたを手に入れるため! その理由をお教えしましょうか?」


 まるで悪魔の囁きのように、ライオルは言葉を紡ぐ。

 マナが一番知りたがった、彼の正体を。


「――エレン様の本名はエレン・リナウス・ヴィリアン。現国王クリストファー・セルブス・ヴィリアン様の実弟にして、前国王を殺した張本人! 本来なら裁かれるべき、極悪非道な魔術師なのです!」

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