【完結】天恵姫に祝福を

橙猫

第1話 パルネス家の朝

 パルネス家の朝は、家族全員が揃った朝食から始まる。

 だけど、その清々しい朝の空気を、甲高い声が切り裂いた。


「ちょっと! 何よこの紅茶は!」


 パシャッと淹れたばかりの熱い紅茶が頭と胸にかけられたマナは、呻き声を上げることすら許されず、すぐさま頭を下げる。

 白磁に赤薔薇の模様が描かれたカップを片手に眉を吊り上げる妹と、その横で頭を下げたまま動かないみすぼらしいメイド服を着た姉を見て、近くで待機している使用人達はぐっと唇を噛みしめながら顔を背ける。


「熱くて渋すぎるわ! こんなの飲めたものじゃない!」

「申し訳ありません」

「今すぐ淹れ直して! それから、木苺のジャムも持ってきて!」

「かしこまりました」


 紅茶で濡れたまま踵を返すマナに、妹はふんっと鼻で笑う。

 静かに食堂から出た姉に対し、妹と継母は嗤いながら言った。


「ほんと、お茶一つも淹れられないなんて信じられない」

「そうね。あんな子がこの家の長女だなんて恥ずかしいわ。一八歳になったらすぐに追い出さないと。ねぇ、あなた」

「そうだな。あんな無能、この家に置いておく価値はない」


 継母の言葉を肯定したのは、血を分けた実の父。

 無慈悲に笑いながら会話する三人の声を聞きながら、マナは厨房に向かって歩き出した。



 世界の万物を具現化した精霊と契約することで、魔法を行使する魔術師が生きるエーデリオン大陸。

 魔術師を目指す者達は誰もが精霊と契約し、互いを無二の友として魔道を極めることは誰もが知っている常識だ。

 マナの生家であるパルネス家は、大陸の南に位置するヴィリアン王国の王都にある貴族街で一等な屋敷を構える男爵家であり、魔術師の名家だ。


 マナの実の母は辺境貴族の長女で、【風】属性の魔術師だった。

 母の実家が大飢饉と流行り病により、領土が枯渇した上に莫大な借金を抱えてしまい、その借金返済の条件としてパルネス男爵家に嫁ぐことになった。

 しかしそれはパルネス前男爵――つまりマナの祖父の独断で、父には結婚を誓った恋人がいた。


 その恋人こそがマナの継母であり、義妹・アイリーンの実母だ。

 パルネス前男爵は当時恋人だった継母が平民だったことで結婚を認めず、祖父の命令に逆らうことができなかった父は渋々母と結婚した。

 その一年後にマナが生まれ、父は人並みではあったがそれなりに愛情を注いでくれていた。


 しかしマナが二歳になり、母とパルネス前男爵が相次いで急死してから全てが変わった。

 父は祖父と母が死んだのをいいことに、すぐさま恋人と再婚。

 マナの継母となった彼女は、恋人を奪った女の娘である自分を激しく恨み、冷たく当たるようになった。


 母の形見のドレスや装飾品を奪われ、盗んだと言えば屋敷の外にある倉に一晩閉じ込められる。

 食事も平民が食べるものよりも質の悪いものを出させ、挙句の果てには自室を奪われ使用人が暮らす棟の片隅の部屋に放り込まれた。

 好き勝手に振る舞う継母の行動に、父は知りながらもずっと無視し続けた。


 それから二年後、マナが四歳になるとアイリーンが生まれ、マナの立場はさらに悪化する。

 父と継母はアイリーンを目に入れても痛くないほど可愛がり、マナのことなんか忘れたかのように振る舞った。

 自分がいない三人の姿はまさに理想の家族風景で、この時すでに家族に対してなんの感情も抱かないようになった。


 それからしばらくして、一〇歳になったマナは精霊の契約の儀に参加することになった。

 魔術師の名家は一〇歳になると精霊と契約し、その翌日から魔法の修行を開始する。

 マナも精霊と契約すれば、たくさんの魔法を学べ、いつか一人で生きていけるかもしれない、とそんな淡い期待を抱いていた。


 ――だが、マナに待っていたのは、精霊が契約に応じないという最悪の結果だった。


 本来、精霊は望む者の前に姿を現し、契約を交わす。

 しかしどれほど呼びかけても精霊は一向に姿を現さず、結果マナに与えられたのは魔女としての才能がないという落ちこぼれの烙印だった。

 その烙印を押されてからは、継母とアイリーンの虐めはさらに過激さを増した。


 視界に入れば罵詈雑言を飛ばすのは当たり前。

 気に入らないことがあれば、憂さ晴らしとして叩かれ、蹴られる。

 服は街の古市で買ったボロボロなものを与え、それを見て嘲笑う。


 すでに身も心も擦り減ったマナにとって、唯一望むのは明日が来ないこと。

 以前なら叶わないと思っていたその願いも、あと少しで叶う。


(明日は私の一八歳の誕生日……そして、成人になる日)


 ヴィリアン王国では、一八歳を迎えた者は皆等しく成人として認められる。

 平民は教会で集まり牧師からお祝いの言葉を頂戴した後、各々家で慎ましいお祝いをするが、貴族は王宮の一角を使って成人祝いのパーティーを開催する。


 この成人祝いは社交界デビューを意味しており、当日には会場は白を基調としたドレスを身に包む令嬢や燕尾服やタキシードを着た令息で溢れかえる。

 マナも戸籍上パルネス家の長女なので、このパーティーに参加する権利はある。


(でも……パーティーに着ていけるようなドレスがない)


 ドレスの類は全部継母とアイリーンに奪われるか、捨てられている。

 今のマナが持っているのは、境遇に同情した使用人達から譲り受けたお古か押しつけられた古着のみ。

 あの服で参加したら、家名に瑕がつくのは明白だ。


「ああ、お義姉ねえ様。こんなところにいらしたのね」


 黙々と裏庭の掃除をしていると、楽しそうな声が聞こえてきた。

 振り返ると、そこにいたのは可愛らしい真っ赤なドレスを着たアイリーンだ。

 継母譲りの波打つ栗色の髪を揺らす彼女は、社交界では可憐な華として注目を浴びている。そばには目付きの鋭い狐の姿をした【火】の精霊がおり、それがマナに見せびらかすように顕現させていることは明らかだ。


「……何かご用ですか」

「そう怯えないでちょうだい。お父様のお使いで来ただけよ」

「お父様の……?」


 アイリーンの言葉の意味が分からず、首を傾げるマナ。

 そんな姉の姿を見て、アイリーンは薄ら笑いを浮かべながら持っていた箱をマナに渡す。


「明日の成人式のパーティーでそれを着て出席するようにですって。よかったわね、お義姉ねえ様。あんなみすぼらしい服で出席しなくて」


 その言葉に、マナは今すぐこの箱を突き返したい気持ちになった。

 父は知っていたのだ。マナがまともなドレスを一着も持っていないことなど。

 知っていて、それをアイリーンに渡すよう頼んだ。


 ああ、なんて酷い屈辱なのだろう。

 父は自分のことなど、明日ゴミのように捨てるどうでもいい存在なのだ。

 だからこそ、こんな仕打ちを躊躇なくやってのける。


「それじゃあね、お義姉ねえ様。私これから魔法のお勉強の時間なの。パルネス家の娘として恥じない魔術師にならないといけないのだから」


 クスクスと嘲笑しながら、アイリーンは裏庭を去る。

 義妹からの蔑みの視線と父の無情な仕打ちに打ちひしがれながら、マナはそのまま立ち尽くすしかなかった。

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