第4話 美貌と年齢詐欺は紙一重

 エレンにエスコートされて乗った馬車は、四人乗り仕様の貴族向けのものだ。

 中は向かい合わせに置かれた座席があり、鞣した白革を使っているおかげで座り心地が良く、明るめの木材を使っているのか薄暗く感じない。

 マナがされるがまま座席に座ると、ポスリと軽い音を立てる。


 その音を聴いて、エレンの口元が微かに引き攣る。

 いくら皮張りとはいえ、この馬車の座席は誰が座っても軽く沈み込む。だが、マナが座っても、まるで硬いもののように微塵も変動しない。

 一目見た時から平均女性より痩せているとは思っていたが、ここまでとは思っていなかったエレンは、パルネス男爵家に対する処罰を何にするか脳内で模索し始めた。


「………………あの、そろそろ教えてください。例の、花嫁の件を……」

「え? ああ、そうでしたね。すみません、少し考え事をしてて」


 その途中でマナに声をかけられ、我に返ったエレンは姿勢を正す。


「……では、順を追って話しましょう。先ほども話した通り、シャルロット前王妃殿下はこの国の未来と運命を背負う予言者です。そこはあなたもご存じですよね?」

「はい……この国で王妃様の恩恵を受けていない民はいません」

「前王妃は二〇年前、この国に天恵姫が誕生するという予言をしました。ですがそれは、外部には絶対に漏らしてはいけないもの。この予言を知っているのは、王族とその重鎮、それから【黄金】と一部【銀】の王宮魔術師のみです」

「どうしてですか? 今までのように国民に予言を伝えれば、天恵姫を早く見付けられるのに……」


 そうすれば、マナはあの家で辛い日々を送ることはなかった。

 そう思っていたことに気付いたのか、エレンは同意するように小さく頷く。


「確かにその通りです。ですが過去に、何度か天恵姫関連の予言が王宮外に漏れたことで、壮絶な天恵姫の奪い合いが勃発しました。その内二回ほど精霊王と本契約する前に亡くなった記録もあります」

「そうなんですか………?」

「ええ。中には他国に天恵姫を売ろうとした者までいたらしいですが……詳しくは知りません。その記録もかなり古いので」


 どうやら天恵姫はマナが思う以上に大きな存在らしく、この件に対して国全体が慎重になってしまうのは仕方ないと理解してしまう。

 だからこそ、信じられなかった。自分がその天恵姫であることが。


「話を戻します。とにかく、その予言を告げられてから二年後、あなたが生まれたことは王宮にすぐに伝わりました。ですが一八歳になるまで精霊王と本契約できない以上、王宮は何もすることができず、迎えの日まで天恵姫を監視することにしました」

「監視……」

「ええ。あなたがパルネス男爵家で過ごした生活の全ては、とっくの昔に王宮に筒抜けということです」


 それはつまり、家族ぐるみでマナを虐げていたことが、すでに王宮に伝わっているということ。

 本当に家族の誰かの首が飛びかねない事態に、マナは自然と冷や汗を流す。


「…………そんな顔しなくても、さすがに天恵姫の生家に死刑など下しません。あの時言ったのは半分脅しです」

「は、半分? 半分だけなのですか……?」

「ええ。理由はどうあれ、あなたを虐待していた証拠はあるので、その件に関しては後ほどお達しはあるでしょうが」


 どの道、パルネス家は処罰から逃れられない。

 無論逃す気はないと考えるエレンの前で、マナは膝の上に置いていた両手でドレスの裾を掴んだ。


「大体の事情は分かりました。ですが……そこでどうして、私があなたの花嫁になったのか分かりません」


 一番の疑問を訊ねると、エレンは少し難しげな顔をしながら答える。


「これも曖昧な話になってしまいますが……天恵姫の予言が告げられた後、その伴侶となる者が現れる予言が、どういうわけが天恵姫誕生から五年以内に授かるんです」

「五年以内に……?」

「理由は分かりません。一部の学者達は『精霊王が愛する天恵姫の伴侶の品定めを五年かけているから』と提言しましたが、正直信憑性がないので覚えなくて結構です」

「つまり……その五年以内に授かった伴侶の予言が告げた相手が……」

「……ええ、そうです。あなたが生まれてから四年後……つまり一四年前に、前王妃は伴侶の予言が授かりました。その予言の内容が、僕があなたの伴侶になるというものです」


 そこまで話を聞いて、ようやくマナも納得がいった。

 彼が出会った直後に『花嫁』と言ったのは、遠い昔に予言によって決められていたことを知っていたから。

 ようやく謎が解けた安堵感はあるが、それ以上にマナの心中を占めたのは後ろめたさだ。


 若くして【黄金】の王宮魔術師になったエレンは、本当ならもっと綺麗で可愛らしい令嬢と結婚して、幸せになるはずだった。

 しかし予言によって、こんな魅了も面白みもない弱い女と結婚することになる。

 それがひどく、申し訳なかった。


「…………………ごめんなさい」

「え?」

「私みたいな、なんの取り柄もないつまらない人間が……あなたの人生を、縛って滅茶苦茶にしてしまって……っ。本当に、ごめんなさい……っ!」


 ああ、全部夢ならよかったのに。

 自分が天恵姫であることも、こんな綺麗な男性ひとが夫になることも、死ぬ機会がなくなってしまったことも、全部。


 悲しいのか悔しいのか分からず、ぽろぽろと涙を流すマナに、エレンは座席から腰を浮かせる。

 そのままゆっくりマナに近付いたかと思ったら、そっと指で目尻から零れる涙を拭う。

 華奢な見た目と反した、男らしく骨ばった指が触れて、マナは瞬きを忘れて目を見開く。


「……泣かないでください。確かにあなたにとってはそう思うかもしれませんが、僕はあなたと結婚することは別に嫌ではありません」

「どう、して……?」

「それは……僕があなたに恋をしているからです」


 恋。

 それは、マナにとって一番縁遠い感情。


 ずっと家に縛られていたマナにとって、それを向けてくれる人は母以外一人もいなかった。

 だけど、その一人が今、目の前に現れた。


「あなたが……私に……? でも、私はあなたを知りません。今日、初めて会ったのですよ」

「ええ、その通りです。ですが、先ほども言った通り、王宮は今日まであなたを監視していました。その過程で僕はあなたという女性ひとを知り、恋に落ちました」

「…………………っ」

「あなたがあの家で、どれほど辛い目に遭ったのか知っています。だからこそ、僕はあなたを幸せにしたい。あなたが安心して眠れる居場所を与えてあげたい」


 エレンの口から告げられる言葉は、どれも本心だ。

 本当に全部知っている彼は、マナの欲しい言葉をくれる。

 その想いが、優しさが、泣きたくなるほど嬉しい。


「今すぐ僕を好きになってくれとは言いません。……ですが、これからゆっくりと、僕のことを知っていってください。それだけが、今の僕の望みです」


 馬車の外の喧騒が聞こえないほど、マナは目の前のエレンに意識が向いていた。

 こんな風に真摯に想いを告げてくれた彼は、心の底から自分を大切にしようとしてくれている。

 ならば、ここでその想いに応えることこそが、今のマナがしなくてはいけないことだ。


「……私は、人並みの教養はありません」

「そんなもの、いくらでも教えます」

「貴族としての立ち回りもできません」

「これから経験を積んでいけばいいんです」

「自分に自信がないから……他人の言葉や噂に踊らされて、色々と迷惑をかけてしまうかもしれません」

「それくらいなんてことはありません。あなたが知りたいことは全部答えます」


 確認するように自分の欠点を明かすも、エレンは事も無げに欲しい言葉を投げかける。

 そこまではっきりと言われ、マナは覚悟するように頭を下げた。


「エレン様……不束者ですが、これからよろしくお願いします」


 無意識に嫁入りする女性の常套句を言ってしまったが、エレンは目を細めながら微笑んだ。


「……ええ、もちろんです。あなたを一生お守りします。これから先の未来――死が二人を分かつまで」


 豪奢な馬車の中で交わされた、二人だけの秘密の誓い。

 司祭も立会人もいないけど、それだけで不思議と満たされた気分になった。

 自然と頬が紅潮していくのを感じながら、両手でぱたぱたと扇いでいると、エレンは思い出したように言った。


「ああ、言い忘れていましたが、すぐには結婚しませんよ。というか、できません」

「え? どうしてですか?」

「式の準備もそうですが……一番の理由としては、年齢ですね」

「年齢……?」


 そこまで言われて、マナはふと気づく。

 目の前にいるこの人は、一体いくつなのだ? と。

 見た目もそうだが性格もだいぶ大人びてはいるが、さすがに二〇歳は超えていない……はずだ。


「……あの、失礼なことをお聞きしますが……エレン様は今おいくつなのですか?」

「一七歳です。一ヶ月前に誕生日を迎えたばかりです」

「え……ええっ!?」


 年が近いと思っていたエレンが、まさかの年下という事実にマナは久しぶりに大きな声で叫ぶ。

 衝撃的なカミングアウトに遭った直後、馬車は無事王宮に到着した。

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