第20話 歪む美貌と明らかになる真実

 王都フェルリエードの貴族街に建つパルネス邸は、重い空気に包まれていた。

 今まで虐げていたマナが天恵姫だったという事実だけでも混乱しているのに、その一件が噂となって王都中に広まったせいで、ただでさえ落ち目だったパルネス家はさらにその危機に瀕している。


 王都は今、天恵姫と精霊王の降臨で大変盛り上がっているため、連日祭りやパーティーが行われている。

 ガルムは名誉回復のためにそのパーティーに参加するも、エレンによって天恵姫の生家を名乗れず、噂を聞きつけた他の貴族から馬鹿にされるだけ。

 メディテもこの噂で元平民だったことがバレて、庭や街に出るだけで他の夫人から見下される視線を向けられるようになり、今では屋敷に閉じこもり、ヒステリックになって使用人に八つ当たりする。


 その被害の影響は娘のアイリーンにも及び、今まで仲が良かった友人達は手の平を返したかのようにお茶会に誘わなくなった。

 何度も手紙を送っても読まずに突っ返され、しまいには『あなたとは縁を切ります。もう二度と手紙を送ってこないでちょうだい』と絶縁状を叩きつけられた。

 しかも婚約者候補だった貴族令息達は、これまで求婚を願う手紙やプレゼントをたくさん贈ってきたのに、それが今では一切なくなる始末。その事実は、アイリーンが長く培ってきた自尊心プライドを深く傷つけた。


(……どうして? どうしてお義姉ねえ様が天恵姫なのよ!?)


 アイリーンだって、魔術師として教養を受けた身。

 天恵姫については基本知識として知っていたが、まさか落ちこぼれで無能な姉がその天恵姫だったなんて予想外だ。

 いくら姉が天恵姫だったことが知らないと話しても、周りは自分の顔を見ながら嘲笑して言うのだ。


――そんなことは知らない。全部あなた達の自業自得だ、と。


(自業自得ですって? そっちこそ、知らないくせに好き勝手言ってるんじゃないわよ……!)


 思い出しても腹が立つ言葉に、アイリーンは爪を噛みながら窓越しからフェルリエード城を睨みつける。

 以前なら華々しい王城に目を奪われていたが、今はマナがあそこで暮らしていると考えるだけではらわたが煮えくり返るほど腹立たしく感じた。


 アイリーンにとってマナは、ガルムの前妻だった女の娘で、メディテにとっては憎しみの対象の一人という認識だった。

 よくある貴族同士の政略結婚のせいで、メディテはガルムと結婚できず、横取りした女の間に子供ができたことに腹を立てていた。

 しかしその女と自分達の恋路の邪魔をした祖父が死んで、ようやく一緒になれたメディテは事あるごとに憎い女の娘であるマナを虐げ始めた。


 パルネス家の娘としての名誉をアイリーンに渡すために、マナが持っていた綺麗な部屋や服を全て奪い、使用人同然の扱いを受けさせた。

 黙々と床を拭くマナを見て嘲笑う姿を、いつも横で見ていたアイリーンにメディテはいつも言っていた。


『いいこと、アイリーン。あなたはこのパルネス家に相応しい、とても可愛くて自慢の娘。あんな出来損ないとは違うのよ』


 毎日のように言われ続けた言葉は、やがてアイリーンに歪んだ自尊心プライドを生み出し、やがて母と同じ行いをするようになった。

 何かと文句をつけては暴力を振るい、彼女の母の形見を奪っては目の前で燃やし、少しでも反抗すれば倉に閉じ込める。

 周囲から見れば愚かな行為だが、アイリーンにとってそれは普通で、家畜にする躾と同等だった。


 だからこそ、自分と母は遠慮なく無能な姉を虐げることができた。

 でも、それは数日前までの話。

 あの成人祝いのパーティーで、マナが精霊王イーリスを召喚したことで全てが変わった。


『天恵姫の生家』という一代のみだが十分すぎるほどの名誉と褒賞は、王宮の監視によって筒抜けだった虐待の件で前妻の実家であるフォーリアス家に奪われ。

 代わりに与えられたのは、天恵姫を長年虐げた一家という拭えない汚名。

 こんな屈辱は初めてだ。


(せめて……せめて、何かお義姉ねえ様を動揺させる情報があれば……)


 いくら天恵姫とはいえ、マナの性格は熟知している。

 たとえ信憑性のない話でも、あの姉ならば動揺するはず。

 何かいい情報はないかと必死に思い出していると、ふと姉の伴侶になった青年の顔が脳裏に浮かんだ。


(そういえば……あの方、エレン様って言ったわよね? 確か彼って……)


 エレンの顔を思い出し、アイリーンはパーティーで聞いた黒い噂を思い出す。

 今の彼の功績や名誉を一瞬で失わせる、最悪な噂を。

 その内容を思い出したアイリーンは、にぃっと口角を吊り上げる。


 窓に映るアイリーンの顔は、花のように愛らしい令嬢と謳われた彼女とはかけ離れた、ひどく醜く歪んだドス黒い笑顔だった。



「いや~、さっすがトール! あっという間だったな~」


 フォーリアス辺境伯領。

【風】と【光】のダブルエレメンツの鷹の精霊・トールを頭上で飛ばしているガイルは、持っていたトランクを手に舗装された道を歩いていた。

 十数年前の大飢饉が嘘と言わんばかりに、青々とした草花が広がっており、野菜畑は収穫間近の野菜で溢れている。街もひどく賑わっており、誰もが笑顔を浮かべていた。


 王都から馬車で一週間かかるが、トールの力を使って飛べば三日で着く。

 魔力だけなら余るほどあるので、特に疲労感を感じないまま、ガイルは軽い足取りでフォーリアス辺境伯の屋敷に向かう。

 トランク片手で【銀】の証である銀刺繍が施された黒マントを羽織ったガイルを見て、門番は訝しんだがエレンに託された書状を渡すと、血相を変えて応接間に案内された。


「…………まさか、姉の娘が天恵姫だったとは……。しかも、パルネス家でそんなひどい目に遭っていたなんて……!」

「お辛いことでしょうが、その手紙に書かれている内容は事実です。でも、マナ様は今は元気そうなのでそこはご安心を!」

「そうですか……!」


 応接間にやってきたのは、現当主ラウル・フォーリアス辺境伯。

 緩やかに波打つ金髪を一つに結んだ優しそうな男性で、ガイルから伝えられた話を聞いて、マナと同じ色をした瞳は遠目で見ても分かるほど潤んでいた。

 その隣に座るのは、ステラ・フォーリアス辺境伯夫人。胡桃色の髪と瞳が特徴的な、たおやかで儚げな女性だ。二人とも年がそう変わらないのか、とても若々しい。


「…………すみません。取り乱してしまって」

「いえ、大切な肉親のことですのでお気になさらず。ところで……失礼ですがフォーリアス辺境伯様は、マナ様のお母君であるクレア様とはご姉弟ですよね?」

「はい。僕と姉のクレアは一二も年が離れておりましたが、姉弟仲は良かったです。僕はクレア姉さんのことは尊敬していて、将来姉さんが家を継ぐのだと思っていました。しかし……僕が六歳の時に、例の大飢饉が起きたのです」


 目を瞑りながら語るラウルは、今でも思い出すと言った。

 自然溢れた領地が荒れ果て、皮と骨になった領民の姿を。

 両親が使用人達と一緒に屋敷中から金目になるものを集め、それを足しにして領地を駆け回った姿を。


 ――そして、怯えるラウルの手を握りしめながら、クレアが決意を固めた表情をしたことも。


「姉さんがパルネス家に輿入れして、数ヶ月くらいで領地が徐々に回復しました。その二年後には、姉さんから無事女の子を出産した手紙が来ました。そこにはしばらくしたら、里帰りをするとも書いてありました。ですが……今度は姉が急病で亡くなりました」

「何故、その時にマナ様を引き取らなかったのですか? いくらパルネス男爵が王都住まいの貴族とはいえ、地位的には辺境伯の方が上では……?」

「っ……引き取らなかったんじゃない、引き取れなかったんだ! 他でもない、パルネス前男爵のせいで!!」

「パルネス前男爵のせいで?」


 ラウルの話を聞いて、ガイルは首を傾げる。

 エレンから聞いた話では、パルネス前男爵は領地復興の資金提供の代わりにクレアの輿入れを条件にしたと聞いた。

 訝しむガイルを見て、ラウルは苦痛を堪える表情で言った。


「パルネス前男爵は、クレア姉さんが輿入れした後に父にある手紙を寄越してきた。それは『クレア嬢の死後、彼女の子供が娘だった場合、そのまま我がパルネス家で身柄を預かる。もし強引に娘と孫を引き取りに来た場合、援助を中断させる』と! あまりの強引さに父は怒り、姉さんが死んですぐにマナを引き取ろうとした。……だが、領地が完全に回復しておらず、もし手紙の内容が本当なら領地の復興が遅くなる。結局、父は姉と領地と天秤をかけ…………領地を選んだ」


 それはきっと、彼にとって苦渋の決断だったのだろう。

 娘と領地。どちらも大事なのに、片方を手放さなければならない選択を強いられた。

 もしガイルがラウルの父の立場なら、同じ決断をしたに違いない。


「そうして……そのまま、マナをパルネス家に預けたまま、僕達は領地の復興に尽力した。もう領地が回復して、パルネス前男爵を説得してマナを引き取ろうと思った矢先に……あなたが来たというわけだ」

「…………そういうことでしたか」


 ラウルの話を聞く限り、彼は嘘を言っていない。

 パルネス前男爵が脅迫紛いの手紙を送った件もそうだが、パルネス前男爵がクレアと同じ時期に死んだことも、ラウルは今日初めて知った。

 知っていたなら、もっと早くにマナを引き取っていたはずだ。資料の情報だけで知った今のパルネス家なら、フォーリアス家の申し出をすんなり受け入れていただろう。 


「事情は分かりました。でも、結局大飢饉と流行り病の原因は分かってないんですよね?」

「ああ。何度か魔法の疑いがあると見て、僕達も目ぼしい箇所は探ったが……芳しい結果が得られなかった」

「そうですか………………ん?」


 ふとガイルが応接間の窓に目を向けた瞬間、彼の目にほの暗い靄が見えた。

 靄は領地のど真ん中にある噴水に漂っており、本能で危険を察したガイルはソファから立ち上がる。


「! ど、どうした。いきなり立ち上がって……」

「すいません、ちょっと席を外します!」

「はっ!? お、おい!」


 突然立ち上がったガイルにラウルが驚くも、彼は窓を開けるとそのまま飛び降りる。

 近くで待機していたトールが一声鳴くと、ガイルの体はふわっと浮く。

 そのまま噴水を目指して飛んだ彼に、ラウルが目を丸くするも慌てて応接間を出る。


 飛行魔法で噴水まで飛び、そのまま着地したガイルに領民の誰もが驚くも、本人はその視線を無視して噴水を睨む。

 噴水からは透明な水を出しているが、その中に紛れて靄が漂っていた。

 それを見て、ガイルは右手をかざした。


「コール・ディア・ガイル――破邪の光よ、隠された悪しき力を暴け!」


 呪文を唱えると、トールは高らかに鳴く。

【光】属性特有の黄色い光が噴水に浴びると、爆発したように靄が現れる。

 靄は人の形を取り、ガイルを襲おうとするも、トールの持つ【光】属性によって防がれる。


 領民が悲鳴を上げて逃げ惑うのを見ながら、ガイルはさらに魔力を増やす。

 そして、自分を呪い殺そうとする靄に向けてもう一度呪文を唱えた。


「コール・ディア・ガイル――聖なる光と強靭な風よ、我が敵を討て!」


 直後、トールがもう一度鳴くと、今度は光と風の魔法が放たれる。

 光を宿した風刃ふうじんは、瞬時に靄を襲い、容赦なく切り裂いた。

 断末魔に近い悲鳴を上げながら靄は消えていき、静けさを取り戻す。


(あ……あっぶねぇ! もう少しでやられるところだった! すっげー強かった。いやエレン様には劣るけど。というより、あの靄ってやっぱ……)


 心臓をバクバクと鳴らしながら棒立ちしたガイルを見て、遠巻きでその光景を見ていた領民達から歓声が上がる。

 シャツにシミができるほど汗を流しながら、笑顔で手を振るガイルがそう考えていると、ラウルが数人の傭兵を連れてやってきた。


「い、一体どうしたんだ? 突然窓から飛び出したかと思ったら、噴水に行くなんて……!」

「……フォーリアス辺境伯様、たった今からお伝えする内容を落ち着いて聞いてください」


 戸惑うラウルに、ガイルはトールを肩に乗せると姿勢を正す。

【銀】の王宮魔術師に相応しい顔立ちをした彼に、ラウルは無言になり続きの言葉を待つ。

 そうして、ガイルはさっきまで対峙した靄を思い出しながら告げる。


「――先ほど、【闇】属性の靄を噴水から感じ取りました。恐らくですが……この領地を襲った大飢饉と流行り病は、その魔法によって引き起こされた人為的災害です。全ては天恵姫――マナ様を確実に手に入れる策略のために」

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