第21話 望まなかった再会

 お披露目から二週間が経ち、マナは充実した日々を送っていた。

 午前中は心身の静養として栄養管理された朝食を食べて、ティリスとローゼが薦めてきた本とお茶をお供に読む。

 昼食を済ますと、午後はジャクソンと魔法講義か淑女教育に勤しむ。


 王宮での淑女教育は礼儀作法だけでなく、テーブルマナーや社交のためのダンスに話術や知識を学ぶ。

 ほんの少しの基礎しか学んでいないマナにとって、どれも真新しい体験だった。

 だけど、元々寄せる肉がないほど華奢というより痩せすぎているせいで、普段からドレスに慣れるため毎回コルセットを身につけるたびに、専属メイド二人が複雑そうな顔をするのはひどく申し訳なく感じた。


 魔法講義は順調に進んではいるものの、習っている内容はどれも見習い魔術師が学ぶ基礎ばかり。

 もちろん基礎を疎かにすることはしたくないし、ジャクソンの厚意を無碍にしたくない。それでも、天恵姫という肩書がある以上、このままでいいのかと不安を抱くのは当然だ。

 そんなマナの心情を察したのか、


『天恵姫は何も【黄金】の王宮魔術師のような強い魔法を使えるからではなく、精霊王と契約できることこそに価値があります。まだ使える魔法が少なく弱くても、あなたがイーリス様の加護を受けている――その事実だけで十分なのです』


 苦笑を浮かべたジャクソンにそう言われてしまった。

 そもそも、いくら天恵姫て全員が強い魔法が使えるわけではないらしい。

 実際イーリスがこれまで契約した歴代の天恵姫達は、攻撃魔法が苦手な者がいれば、逆に呪いが得意な子がいたという。


 彼女らの存在は、時として国の存続にも左右する。下手に強い魔法を無理に覚えさせ、制御を誤って国を亡ぼすような最悪な事態を招くよりも、余計な手出しをしないまま自国に留まらせる方がまだ良いのだ。

 自分の抱いた不安も、その話を聞いた途端にどこかに飛んで行ってしまい、結果としてマナの勉強意欲向上に繋がったのは、ジャクソンを含む王宮一同にとっても良き報せになった。


 そして数日ずっとそばにいてくれたエレンは、マナの静養を理由に断り続けているパーティーの誘いや領地の派遣などのお詫びで忙しいらしく、あの日からあまり会えていない。

 マナ自身も彼の身の上を少し聞いたとはいえ、やはりあの作り顔と予言の件を引きずって上手く話せないため、今は距離を取るべきだと思った。


「マナ様、そろそろ街に出かけてみませんか?」

「えっ?」


 淑女教育が終わったティータイムでひと息吐いたマナに、そんな言葉がかけられた。

 声の主は、ガイルとジャクソンと同じ【銀】の王宮魔術師エドワード・ハルソン。爵位は伯爵で、最近婚約者であり幼馴染みだった女性と結婚したばかりの男性だ。

 鮮やかな赤髪をした彼は、目を丸くするマナに朗らかな笑顔を向ける。


「今王都では天恵姫と精霊王の降臨を祝して、一ヶ月ですが祭りを開いているんですよ。半月近くも王城に篭りっぱなしでは少し気が滅入るでしょう?」

「そんなことはないです。私にはまだまだ学びたいこともありますし……それに、エレン様がお許しになってくれるか……」

「大丈夫です! エレン様には俺がちゃんとお伝えしますし、それにもし不安でしたら、エレン様と一緒に出かければいいんです」

「エレン様と、出かける……?」

「はい。いわゆる、デートです!」

「デート……」


 デートという言葉は、マナも知っている。

 想い合っている男女が外に出かけ、色んなお店を巡り、楽しむこと。

 平民だけでなく貴族も婚約者同士や夫婦で街に出かけることはあるため、たまにガルムとメディテがデートをする姿を窓越しから見たことがある。


 世間ではマナとエレンは国が認めた婚約者同士。

 でもマナ自身、その事実が本当なのか自信がないために、エレンと出かけることに戸惑ってしまう。


「それじゃ俺、ちょっくら聞いてきますね!」

「え、あの、エドワードさん!?」


 仮にも主人であるマナの言葉を待たず、エドワードはバルコニーを去ってしまう。

 鮮やかな赤髪と逞しい後ろ姿が見えなくなったところで、マーマレードジャムをたっぷり塗ったスコーンを食べていたイーリスが呆れた顔で言った。


「猪突猛進な人ね、彼。きっと帰ってきたら、頭にたんこぶができてるわ」

「そ、それはないと思うけど……でも大丈夫かしら……?」


 そんな二人の杞憂が現実のものになったのは、ちょうどティータイムが終わった頃。

 イーリスの言葉通り頭にたんこぶを作ったエドワードは、がっくりと肩を落とす。


「その……しばらくは無理だそうで……俺が代わりに行くと言ったら、思いっきり殴られました……。しかも! 『新婚のくせに何ふざけたこと宣っているんですか? というか、人様の婚約者に手を出さないでください。奥方に報告しますよ?』って超鋭い毒舌つきで!!」

「そ、そうですか……」

「あ、でも、街に行かせるのはエレン様も賛成でして、祭りの最終日までには間に合わせるらしいです! ですのでご安心を!」


 マナが落ち込んだように見えたのか、エドワードは慌てながら伝える。

 そのことに一言お礼を告げた後、ローゼに頼んで治療して貰い、エドワードは仕事に戻った。


「それではマナ様、ご夕食のお時間はまだなのですが……この後はどういたします?」

「午後はもう予定ないんですよね?」

「はい。トルクニス侯爵様は仕事が立て込んでいますし、今日は淑女教育がない日ですしね」

「じゃあ……書庫室に行きたいです。お二人が薦めてくれた本はもう読んでしまったので……」

「そうですね。じゃあ、今日はマナ様がお気に召す本を探しましょうか」


 夕食までの暇つぶしとして、イーリスを肩に乗せたマナはティリスとローゼを連れて書庫に向かう。

 王宮の書庫室は、ヴィリアン王国建国からの歴史書だけでなく女性・男性向けの物語や各学問の蔵書を幅広く扱っている。

 もちろん王都には貴族街と平民街にそれぞれ図書館はあるが、蔵書数は書庫室の方が圧倒的に上だ。


(そういえば、書庫室は王宮に登城した人なら誰でも出入りできるのよね)


 イーストパレスは政務を行う文官が配属される部署が集中しているため基本立ち入り禁止だが、書庫室のみは登城した者なら誰でも出入りできる。

 家族と鉢合わせる可能性はあるが、ジャクソンの話ではガルムが所属する部署は雑務を主にする部署で、書庫室にはあまり来ないと言っていた。


 鉢合わせを気にせず本を選べると思うと、マナの不安は少し軽くなる。

 そう思いながら時折頭を下げるメイドや給仕に会釈しながら、文官の出入りが激しい書庫室に足を踏み入れる。

 五階建ての書庫室は壁一面が書棚となっていて、中央は吹き抜けのホール。それぞれの階にはどの階にも移動できるよう階段が配備されている。


 運動不足気味の文官や司書は息切れを栗仕返しながら階段を昇り降りしていたが、実家で馬車馬のように働かされていたマナは、自慢ではないが体力と腕力は一般的な貴族令嬢よりある。

 そのおかげで息切れもせず平然としていたが、それが彼らの男としての自尊心プライドを傷つけたことは知らない。


 書庫室で目ぼしい本を探していると、ふと扉の前でティリスとローゼが見知らぬメイドと話していた。

 会話は聞こえないが、二人の顔は険しい。不思議に思い、マナは小走りしながら二人に近付く。


「どうかしたのですか?」

「あ、マナ様。……実は、少々厄介ごとがありまして」

「申し訳ありませんが、少しの間だけ持ち場を離れてもよろしいでしょうか?」

「は、はい……もちろんです」


 天恵姫専属メイドは、身の回りの世話だけでなく護衛も含まれていることはマナも最近知った。

 伝言を届けに来たメイドの顔色から察するに、急を要する仕事なのだろう。

 だからこそ、マナは二人をその場から離すことを躊躇わなかった。


「ありがとうございます! すぐ戻りますので!」

「マナ様、書庫室から出ないでくださいね! 絶対ですよ!」


 念を押すように言われたマナは、廊下を走る二人に手を振って見送る。

 姿が見えなくなってから、大人しく書庫室に戻ろうとした時だった。


「――お元気そうね、お義姉ねえ様」


 すぐ近くから聞こえた声に、マナは足を止め、息を呑んだ。

 どれほど時間が経っても、耳の中にまでこびりついた甘い声。

 自然と心の奥深くの傷を掘り起こし、全身が痙攣したかのように震える。


 顔を強張らせながら、声をした方を振り返る。

 視線の先にいたのは、お気に入りの赤いドレスを着て、頭部の後ろを大きなリボンで結んだ、愛らしい少女。


「しぶとく生きていたのね。私達が大変な目に遭っているというのに……なんてひどい義姉あねなのかしら」


 本来登城すら禁止にされていたはずのアイリーンは、憎しみで濁った双眸をマナに向けながら現れた。

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