第27話 誘拐

 昼食を終えたマナは、気分転換にウェストパレスとノースパレスの間にある庭園に来ていた。

 行儀見習いの貴族令嬢達が定期的にお茶会をする場として利用されており、毎日庭師によって手入れされている。


 色とりどりの薔薇が咲く庭園を歩き、黄色い薔薇のアーチを抜けると、半楕円形の東屋を見つけた。

 六本の円柱で支えられただけの東屋の中央には、お茶会用なのかテーブルセット一式が用意されている。

 向かい合わせになっている椅子の一つに腰かけ、マナはそこでようやく息を吐いた。


「ふぅ……」


 午後も魔法講義の時間だったが、【銀】の王宮魔術師であるジャクソンは本来多忙の身。

 今日も仕事で講義がなしになったと通りすがりの文官に伝えられ、時間を持て余してしまった。

 先の件があったせいで書庫室に行く気になれず、結局庭園を散歩することにした。


 本来ならティリスとローゼも付き添うのだが、今も送られてくる天恵姫宛の贈り物の整理のための人手が足りずに駆り出されている。

 もちろん最初は断るつもりだったが、マナが「行ってあげてください。お二人が帰ってくるまで庭園内から出ませんから」と約束すると、後ろ髪を引かれながらも了承してくれた。


 イーリスはまだ精霊界におり、昨日戻ってくる時間を聞けばよかったと内心後悔した。

 涼やかな風が吹き、薔薇の香りが漂う中、マナはそっと手袋をしている指先で唇に触れる。

 布越しでも伝わる、自分の唇の柔らかさ。それが、昨夜、エレンの唇と重なって――――


「~~~~っ!!」


 ボンッと爆発したように顔を真っ赤にしながら、マナは両手で頬を覆い、両足をジタバタと上下に揺らす。

 傍から見ると奇怪な行動に見えるが、今のマナにはそれを気にする余裕はない。


(キ、キス……キスしちゃった……! 私、初めてだったのに……!!)


 いくら家族から虐げられようとも、マナだって年頃の少女。

 昔読んだ絵本のように、運命の王子様と交わす口づけに憧れないわけがない。

 その相手が眉目秀麗なエレンならば、尚更だ。


(でも……あのお言葉は、本心だった……)


 あのキスの後、エレンが囁いてくれた言葉は、マナでも分かるほど本物だった。

 その前に告げた、あの言葉も。


(でも……余計に分からないわ。どうしてエレン様は私を……?)


 あの言葉が嘘ではないとは理解している。

 それでもやはりなぜ自分に対して好意を抱いているのか、それだけは分からない。

 うーんと悩んでいると、コツリと石畳を踏む音が聞こえた。


 最初、ティリス達が来たのだと思い、何も警戒せず後ろを振り向いた。

 だけど、そこにいたのは仲良くなったメイド二人ではない。

 そこに立っていたのは、ジャクソンと同じ【銀】の王宮魔術師の証である銀刺繍のマントを羽織った男性。


 年は実父ガルムとそこまで離れておらず、白髪交じりの金髪は肩の上まで緩く伸ばしている。

 顔立ちも精悍で、若い頃はそれなりに令嬢に持て囃されたと分かるほど整っている。だけど、髪と同じ色をした金色の双眸が、欲望で汚れていることに気付いた。


「ど、どちら様でしょうか……?」

「お初にお目にかかります、当代天恵姫様。私はライオル・サルベール。サルベール伯爵家当主でございます」

「……ご丁寧にありがとうございます。私は当代天恵姫のマナと申します」


 慇懃無礼に頭を下げたライオルに、マナも礼儀としてカーテシーを披露する。

 互いにお辞儀を解くと、ライオルはマナの頭のてっぺんから爪先をじっとりとした目付きで見る。

 その仕草が生理的嫌悪感を刺激し、一歩後ずさる。


「……それでサルベール伯爵。どういったご用でしょうか?」

「いえ。天恵姫様は療養のため王族と一部の貴族以外のみ面会を制限されておりまして……せっかく同じ王宮内にいるのですから、ご挨拶と思いまして」

「そうでしたか……」


 確かに、今のマナは長年の虐待による栄養失調と天恵姫として足りない教養を補うため、療養という名目で面会を制限されている。

 たまに王宮を歩くと話しかけてくる貴族はいるが、そういう時はティリスやローゼが横に入り、やんわりと断ってくれる。


 ライオルもそういった貴族の一人だと理解したが、彼がマナに対してそんな目を向ける理由が分からない。

 顔が整っている分、とても不気味に見えてしまい、また一歩後ずさる。


「そこでですが……天恵姫とぜひお近づきになりたいため、我が領地でささやかなパーティーを開きたいと思っているのです。どうかご招待に応じてくれますでしょうか?」


 物腰柔らかな物言いをしているが、どこか有無を言わせない強制力を感じる。

 いくらマナが王族の次に偉い天恵姫でも、伴侶の確認なしに貴族の領地に赴くことはできない。


「それは……私の一存では決められません。エレン様にご確認を取らないと」

「そうですか……では、仕方ありませんね」


 マナの言葉にライオルの目が細めた瞬間、背後で影が生まれる。

 振り返ると、熊の姿をした精霊がマナを捕らえるように両腕で抱え込んできた。

 逃げようとするも、その前にライオルがマナの右手首に幅広の腕輪をつけた。


 模様が彫られたそれは、一見装飾品にも見えるが、正体は魔術師の魔力を封印する特殊な枷。

 ジャクソンは主に犯罪を犯した魔術師や力の制御ができない未熟な見習いにつけるものと聞いていたが、それを天恵姫である自分につける理由はただ一つ。

 国家への謀反、それだけだ。


「さあ、行きましょう天恵姫! あなたと真に結ばれる伴侶である私と共に!!」


 意識を手放しかけるマナが最後に見たのは、荒唐無稽なことを言い放ったライオルの歪んだ笑顔だった。

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