【弐拾】AOF16

 桃と蘭玲が小部屋へ入ると少女は怯えた表情で二人をただ見つめていた。脚を抱く両腕へぎゅっと力を籠め更に体を縮める。そんな少女のカチューシャ付きの長い黒髪はボサボサと乱れ、手足に顔や着ていた可愛らしい長袖ワンピース、ハイソックスは埃や何やらですっかり汚れきっていた。

 桃はそんな少女を見ると無事なことにホッと安堵すると柔らかな足取りで近づいて行った。一歩一歩と近づく桃に対し、少女は体をビクッと跳ねさせては更に隅へと逃げてゆく。

 そんな少女の傍で立ち止まった桃は柔和な表情のまましゃがみ、なるべく視線を合わせた。


「石神瑠璃さんですか?」

「――どうしてわたしのお名前知ってるの?」


 恐怖に怯えたその声は震えていた。


「初めまして。私は桃太郎と言います。あなたを助けに来ました」

「ほんとに?」


 今にも消えそうなか細い声だったがそれは先程と違いどこか希望という明るさを帯びていた。


「はい。お父様とお母様に頼まれてきました」

「ママとパパ……」


 言葉だけだったが両親の存在を近く感じ安心したのか少女の双眸が潤みだす。


「うぅぅぅ。わたし……怖かったよ」


 そして緊張や不安を覆い尽くす程の温かさが彼女の心を包み込むと、夜空を駆ける流星のように泪を流しては桃へと抱き付いた。桃はそんな瑠璃の冷え切り震えた体を抱きしめ背中を撫でるようにと叩く。


「あの人ね。わたしが泣いたらね。大きな声出すんだよ。――でも怖くて寒くてね。もうわたし……」


 すると栓が抜けたように泪が溢れ出し、声を上げてわんわんと泣き出した。


「もう大丈夫ですよ」


 暫くの間、桃はそうやって瑠璃が落ち着くまで優しく抱きしめて続けた。

 そして彼女が泣き止み落ち着きを取り戻したところで桃はポケットからハンカチを一枚取り出し手渡す。


「これでご両親に会う時は笑顔を見せられますね」

「早くママとパパに……会いたいよ」

「では帰りましょうか」


 泪を雑に拭いたハンカチを握りしめた瑠璃を左腕で抱きかかえ立ち上がると辺りを見回した後に蘭玲へ視線を向けた。


「蘭玲。申し訳ないのですがジャケットを借りてもいいでしょうか?」

「いいですよ」


 快く了承した蘭玲はレザージャケットを脱ぎジップパーカー一枚となった。その間に傍まで来ていた桃にそのレザージャケットを手渡す。それを受け取ると桃は少女にかけて上げた。


「これで少しは温かくなりましたか?」

「うん。ありがとう」


 少女は蘭玲の方を向いてお礼を言った。そのお礼に蘭玲は笑みで応える。


「では行きましょうか」

「はい」


 そしてドアの存在など忘れ切ったその出入り口を通り三人は小部屋から出た。


「このまま無事で帰れると思うなっ!」


 だが小部屋を出たその時。横から怒鳴り声が飛び出し桃は顔だけを動かす。

 そこでは血塗れの四目が金砕棒を頭上に振り上げていた。丁度、桃がその視線を向けたのと同時に金砕棒は持てる力の全てで振り下ろされた。

 だが冷静に一歩、足を前に踏み出しそれを軸に体を回転させては最低限の動きで金砕棒を躱した桃。

 そして更に間合いを一歩で詰めると右手に握っていた刀を左手に移動させ、空いた右手で瑠璃の視界を一時的に世界から切り離した。

 それとほぼ同時に四目の顔を容赦なくをひと蹴り。鼻血が宙を舞う中、怯み数歩退いた四目は先の戦いによる怪我も相俟ってかそのまま片膝を着いた。その隙を逃すまいと更に距離を詰めようとした桃だったが、後方から闇に紛れるほど黯く染まった柳葉飛刀が三本彼を追い越した。

 喉、右目、額へと深く突き刺さり入れ違うように血が吹き出す。

 後方ドア付近では蘭玲が四目に止めを刺した柳葉飛刀と同じモノを左手で構えていた。そして急所をとらえた柳葉飛刀を更に押し込むように四目はゆっくりと前方へと倒れていく。

 すると床へ倒れた拍子に懐からガラスのように薄く透明なスマホが転げ落ちた。


「瑠璃さん。手を離しますが目を瞑っていてくださいね」

「うん。分かった」

「では離しますよ」

「いいよ」


 瑠璃の目を覆っていた手を離した桃はゆっくりと広がる血より先にそのスマホを拾い上げた。

 そして何度か画面を操作して電話履歴を表示させる。そこには同じ番号が列をなしているだけで名前や他の番号はひとつも無かった。


「彼らに依頼をした犯人の可能性は高いですね。――それと忘れぬうちにやっておきますか。”F”。ここでの戦闘映像をEOCBに送っておいてください」


 その声に桃の一歩後ろ上空に’F’が姿を現した。’F’には光学迷彩などの技術を用いたステルス機能がありその姿を背景と完全に同化させることが出来るのだ。


「データ送信中……データ送信中……データ送信中……。送信完了」

「念の為にここを出るまでは起動しておきますか」

「追尾システムヲ続行シマス。ステルスモードON」


 そして’F’は再び背景へと消えていった。


「ねぇ、もういい?」


 すると瑠璃が痺れを切らしたように訊いてきた。


「直ぐにこの部屋を出ますのでそれまで瞑っていて下さい。蘭玲、先ほどはありがとうございます。この部屋はこの子にとって少々刺激が強いので外に急ぎましょうか」

「はい」


 桃はスマホをポケットにしまうと刀を左手に戻し蘭玲と共に急ぎ足で部屋を出た。

 それから一行は真っすぐエリアLの出入り口へと向かう。その途中、西城に報告の為に連絡するとエリアLの外まで迎えに来てくれる事となった。

 そしてエリアLを出た桃らを待っていた一台の車。助手席の窓が下りていくと運手席から西城が顔を出す。


「ご苦労だったな。とりあえず乗ってくれ」

「ありがとうございます」


 蘭玲は助手席のドアを桃は後部座席のドアを開ける。先に瑠璃を座らせシートベルトを締めてあげた桃は反対側から後部座席に乗り込んだ。


「発進するぞ」


 西城はそう言うとシフトチェンジし車を発進させた。それはこの時代には随分と珍しいマニュアル式。


「ご苦労だったな桃。お前も」


 バックミラー越しに桃を見た後に横の蘭玲へ一瞬目を向けた西城。


「仕事ですから」

「ふふーん。アタシにかかればこんなの余裕の善三郎ですよ」

「はぁ? なんだそれ?」

「アタシが今作りました。どんな依頼でも必ず成し遂げる伝説の何でも屋の善三郎。無口な彼はどんな時でも冷静に……」


 前で蘭玲のよく分からない説明が行われている中、桃は隣に座る瑠璃へ顔を向けた。


「もうすぐ会えますからね」

「うん。――ねぇ、お兄ちゃん」

「なんですか?」

「お手々繋ぎたい」


 それは少女の中に植え付けられた恐怖の所為か、それとも芯まですっかり冷えきった所為か、差し出された小さな手は今も震え、その表情は未だ不安が蔓延っていた。


「もちろんです。このような素敵な女性と手を繋げるとは光栄ですね」


 そんな彼女を解すような笑みを浮かべた桃は、女性をエスコートする紳士のように掌を上に向けた手を差し出す。そして彼の手の上に冷たくて震えた小さな手がそっと乗せられると石神家に着くまで優しく温もりで包み込み続けていた。

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