【弐拾参】AOF19
そして桃は部屋を出て左右に伸びた廊下へ。下に敷かれたカーペット、壁、天井、ライトに至るまで手入れが行き届き高級の名に相応しい気品感じられる廊下。
その廊下を静かに歩き隣の部屋へと入る桃。
『約束の時間まであと少しだ。それまで折角の景色でも楽しんどいてくれ』
先程耳に張った受信シールから聞こえてきたのは西城の声だ。
「このように素晴らしいホテル、中々泊る機会がありませんからね」
桃は隣と同じように高級感溢れる部屋を真っすぐ進むとバルコニーに繋がる大窓の前で足を止める。
そこには都会の絶景が広がっていた。
「夜はもっといい景色が見れそうですね」
それから数分後、景色を眺める桃の耳へ西城の声が入った。
『桃。それらしき奴が来た』
「了解しました」
桃は景色を眺めたまま気を引き締める。
そして西城に返事をした少し後、後ろのドアノブが下がる音が部屋へと広がった。ドアが開き足音が中へ入ってくる。
そして立ち止まった。
桃はベストのポケットから懐中時計を取り出し視線を落とした。
「時間通りですね」
そう言いながら振り返ると、そこにはこの場所に似つかわしい高級スーツを身に纏いボストンバックを片手に持ったオールバックの男が立っていた。
「さっさと終わらせるぞ」
男は雑にベッドへボストンバッグを投げ捨てた。
「前金の千五百万だ。確認しろ」
前金で千五百万。残り半分の千五百万と合わせ計三千万。それほどの大金を要求していたという事実に内心、一驚に喫するがそれを悟られぬよう表情は一切揺らがない。
桃は余裕を含んだ表情のままボストンバックまで歩くと男に背を向けチャックを引く。中には言葉通り札束が雑に入っていた。
その中から適当に一束取り出すと一枚を引き抜き本物かどうかのチェックを形だけ始める。
「あの掃き溜めのゴロツキにしては随分とマシな格好をしているじゃないか。あの掃き溜めでもそれぐらいの金は稼げるようだな」
「えぇ、稼げますよ。実際、既に千五百稼ぎましたので」
桃は微かに嘲笑的な笑みを浮かべながら別の札束をひとつ手に取ると振り向きその札の束を振って見せた。煽るように言葉を発した男だったが桃の返しに思わず表情を歪め舌打ちを飛ばす。
そして桃はそのままベッドへ座ると次に札を数え始めた。
「どうしてこのような依頼をしたのですか?」
桃は数える振りをしながら大窓の傍で両手をポケットに入れ景色を見つめる男に犯行の動機を尋ねた。
話すかどうか迷ったのか少し間を空けて男は話を始める。
「私の息子はピアノを習っている。あの子には才能があるだ。だからコンクールの為に毎日、毎日練習漬けだ。だがな、あの子は一度も入賞したことがないんだ。いつもあと一歩で負ける。可哀想だと思わんか? 毎日の練習が報われないなんてな。それに比べいつも息子を差し置いて入賞するあの娘は週にたった五日しか練習していない。それもその練習時間は息子より短い。それなのに表彰台に立つ」
段々、声と握った手に力の入る男の感情はもはや確認するまでもなかった。
「きっとあそこの親が裏で何かしているに決まってる」
だが突然、誰かが穴でも開けたようにすっとその力は彼の中から抜けていった。
「まぁ、そんなことはどうだっていい。大事なのは息子だ。――だが息子はある時、私にこう言った。『次のコンクールで入賞できなければピアノを辞める』と。とても悲しそうな顔をしていたよ」
そして今度は顔を俯かせ片手で目を覆った。
「だから親として何としてもあの子を入賞させたい。もっと続ければ才能が花開き世界を魅了するだろう。その可能性をここで終わらせて欲しくない。それにこれを乗り越え更に自信をつけて欲しいんだ。全ては息子の為。まぁ親心ってやつだな。そうと決まれば後はどうするかだ。初めは審査員に賄賂でも渡そうかと思ったが、そのようなことを良く思わない人間だったとしたら今後に支障を来たすかもしれん。だから手っ取り早くあの娘をエントリーさせないようにしたんだ。他にも色々と裏工作などあると思うが、あそこの親がどう手を打ってくるかも分からないんでな。確実な本人を誘拐という方法を取ることにした。もちろん傷つけるつもりはない。だから君らには傷一つつけぬよう指示し、こうやって大金をはたいてでも無事に家へ帰してやりたいんだよ」
まるで自分の行いは自然な流れでの行動であるかのよう話す男からは、罪悪感などの感情は一切感じられなく、悪びれた様子などなかった。
「そのお子さんの為にしたことを逆に利用され大金を支払うことになった。自業自得ですね」
「その通りだ。だが今回の一番の問題はそこではない。別に千五百万など端金だ」
「言いますね。ではあなたにとっての問題とはなんですか?」
その問いかけに対し男は桃の目の前まで緩慢とした足取りで近づいてきた。
そしてカチャリと不穏な音に桃は札を数える手を止めそっと顔を上げる。
額に触れる冷たい無機物の感触。それは実際に確認する前から容易に予想できたもの。拳銃(小型リボルバーN三十二)だった。
「私の面子だよ。この事を漏らされては私の面子は潰れかねん。それにこの事をネタに、お前らはどうせまたたかってくるのだろう? 腹は読めている」
「ではどうするつもりですか?」
だが桃は銃口を頭に向けられているとは思えないほど冷静だった。
「まずは仲間に連絡を入れろ。今すぐ娘を解放しろとな」
「もうコンクールはいいんですか?」
「コンクールは明日だ。今更出れんだろう。それに出たとしても息子の勝ちは見えている」
「なるほど」
「だからお前とその金を渡す代わりに娘を解放してもらう。その前にまずゆっくりと立ち上がれ。両手は見えるように上げておけ。妙な真似をしたら迷わず撃つからな」
「分かりました」
指示に従い桃は両手を上げたままゆっくりと立ち上がった。
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