【弐拾捌】どろぼう猫の食あたり2

「そこの女を渡してもらおうか」


 最初に路地から現れた象頭は腕の中にいる女性を指差しながら自己紹介などすっとばし命令するように言った。

 突然の事に桃はいまいち状況が把握できずにいた。だがそれはレオと女性も同じなのだろう。


「そう言ってますがどうしますか?」


 しかしながら依然と落ち平然としていた桃は女性に視線を落とし尋ねた。


「嫌だよ。男だろ? か弱い女の子をあんな訳分からない野郎に渡さず守れよ。つーかこのスマホ返して欲しかったら守ってくれ」

「随分な物言いですが、ここであっさりと渡してしまっては寝覚めが悪い気がしますね。ですが事情が分かりませんし……どうしたものでしょうか」

「もう一度だけ言うぞ。そいつを渡せ」


 すると象頭は最後の警告と言わんばかりにそう言った。その後に桃らの背後には圧をかけるように同じく黒スーツの犀頭が三体、姿を現した。

 それを流し目で確認した桃はリオに左手を伸ばす。


「リオ。私のコーヒーを」

「あ? ……あぁ。ほら」


 意外だったのだろう言葉を理解するのに少し時間がかかり戸惑った様子を見せたリオだったが、預かっていたのコーヒー入り紙コップを手渡した。

 それを受け取ると今度は女性の前へ差し出す。


「蓋を取ってもらえますか?」


 こんな時に何を悠長なと言っているんだ? というような目で桃を見上げながら女性も言われた通り紙コップの蓋を取る。蓋が外され解放された湯気は大気へゆらゆら踊るように旅立ちコーヒーが美味しい温度だと伝えているようだった。


「ありがとうございます」


 そして礼を言った桃はコーヒーの匂いを楽しみそして一口。口から食道を通り胃に辿り着くコーヒーを感じながらその美味さを堪能した。


「マスターのコーヒーは本当に美味しいですね」


 今の状況には似つかわしくないが、ホッと一息ついた。


「ですが仕方ありません。今度マスターには謝らなければいけませんね」


 周りを置き去りにし、一人そんな事を呟いた。


「おい、さっさとしろ! 素直に女を渡すか、痛い目をみてから渡すかだ。必要なら命を奪うことも惜しまんぞ。今すぐに決めろ」


 もう一秒も待つ気はないということは一目瞭然で、今すぐに決断を下す必要を迫られる。

 だが桃の中では既に答えは決まっていた。


「確かにこちらは二人、そちらは六人。戦うには少々分が悪い気がします」

「なら答えはひとつだな。渡せ」

「いいでしょう」

「なっ! おまえっ」


 桃の慮外な答えに女性は瞠目し口を半開きにして愕然とした。声は出さなかったものの隣でリオも驚いたような表情を見せる。

 だが二人を他所に桃は行動を次へと移した。


「ではどうぞ」


 そう言いながら桃は手に持っていた熱々コーヒー入りの紙コップを象頭へ渡すように放り投げた。地球上に存在する物理法則に反することなくコーヒーは傾いた紙コップの中に居続けながら空中を移動。虚を突かれた行動に象頭は思わず紙コップをキャッチするが、当然ながら受け取ると同時に紙コップの中からコーヒーが飛び出し顔に襲い掛かる。


「あ、あつっ! あつい! くそっ!」


 火傷しそうなほどの熱さも一緒に拭うようにコーヒーのかかった部分を何度も手で払い、左右と背後の犀頭は焦った様子で象頭へ意識を向けていた。その反応で五体の犀頭が象頭の手下もしくは彼より格下であることが伺える。

 一方で桃はその間に女性の膝裏に腕を回し背に回していた腕と共に女性を抱え上げた。それは所謂お姫様抱っこ。

 そして女性を抱き上げた桃は傍に伸びる車道へ飛び出した。


「リオ。逃げますよ」


 通り過ぎ様の言葉で桃の作戦を理解したリオは笑みを浮かべた。


「あいよ」

「逃がさんぞぉ!」


 返事した直後、背を取っていた三体の犀頭の内の一体がリオの肩を掴んだ。


「よく味わえよ」


 だがリオは自分の分の紙コップからリッドを外し熱々のカフェラテを捨て台詞のような言葉と同時にかけると桃を追って車道へ。怒鳴り声を上げるクラクションを無視し一気に車道を渡りきる桃とリオ。


「何してる! 早く追え!」


 象頭の怒声にその二人を、正確には桃に抱えられた女性を追おうとした犀頭らだったが車道に足を踏み入れようとした瞬間、バスの危険を警告するクラクションにその足を止める。目の前ギリギリを通り過ぎたバスによりほんの数秒視界が遮られ再び向こう側の歩道が見えた頃には既に三人の姿は消えていた。





「ふぅー。どうやら撒けたようですね」


 単調にならぬように角を曲がり路地を利用しながら暫く走った桃だったが、ひと呼吸で整えられる程にしか息は荒れていなかった。


「いやぁ、さんきゅー。助かったよ」


 脚を組んでは頭の後ろで手を組み優雅に抱っこされながら女性は軽くお礼を言った。


「ったく誰のせいで折角のカフェラテをぶちまけたと思ってんだよ」


 同じく息が上がってないリオが紙袋だけを持って不満を垂れた。


「そう言う割には結構楽しんでいるように見えましたが?」

「まぁ多少わな。だけどカフェラテの事を思い出したら……はぁ」


 その溜息からは彼が余程カフェラテを飲みたかったということが伝わってくる。


「また明日か近いうちに買いに行きましょうか」

「そうだな。今日のとこはこのスコーンを楽しむとするか」


 紙袋を顔の前に持ってきて匂いだけを一足先に楽しむリオ。甘くも香ばしい匂いでもするのだろうか。それは想像するだけでお腹の空くものだった。


「それでは見つかる前に戻りますか」


 そんな彼の隣で桃は女性を下ろした。


「あなたも一緒にいいですか? 色々と聞きたいことがありますので」

「わぁったよ。助けてもらったしな。それに喉渇いたし」

「ではその前にスマホを返してください」

「ちぇっ。覚えてたのかよ」


 忘れていることへ可能性を感じていたのか舌打ちのようにそう言うと差し出された手の上にポケットから出したスマホを落とすように置いた。


「ありがとうございます。では戻りましょうか」


 スマホをポケットに仕舞った桃と彼に続いて歩き出したリオと女性はAOFへ向かった。

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