閑話 ガヴァルの静かなる歩み★

 ガヴァルは非常にゆったりと静かに歩みを進める。

 錫杖を地面に立てて音がなる度、まるでソナーの様に人が、景色が、物体が、匂いが、魔力までも視認する事ができる。

 鼻で空気を軽く吸い込み、常人には到底知りえない細かな情報を杖に宿っている大僧正が取捨選択しゅしゃせんたくし彼に伝達される。

 大僧正と彼は非常に長い時間を共に過ごしている。しかし大僧正が彼にをかけたことはただの一度もない。終わらないモンスターに対する怨嗟の末、ガヴァルと大僧正の間には彼らにしかわからないあまりにも複雑怪奇ふくざつかいきで独自なプロトコルが形成されていった。


「慣れっこだけどよぉ参っちまうね。元気のいい娘っ子だ」


 今しがた伝えられたのはニーニャに気味悪がられているという大僧正からの情報であった。


「向こうか……」


 レイス達とは別のルートを大僧正から提案されそちらに彼は歩を進める。

 校舎を歩いている中、大僧正から情報が新たに発せられる。

 数歩先で小さな子供が足をつまづかせる可能性ありという。


「しょうがねぇなぁ」


 弛緩しきった足に筋肉を強張らせ地面を蹴り抜き、子供の元へ瞬時に移動し、支えようと手を差し伸べた瞬間、異常な音を耳が捉えた。錫杖を地面に立てると目の前には左手で酒瓶を持ち右手で子供支える男の姿があった。


「おっと……先ぃ越されちまったねぇ」

「爺さん今の動き……まぁいいか。おう、ぼうずちゃんと前見て歩け。あぶねーぞ?」

「ありがとーおじちゃん!」

 子供は2人に手を振り走り去っていった。

「なぁ爺さん」

「なんだい若ぇの」

「丁度酒盛りする相手探しててな。どうだい」

「まぁいいぜ。用事はあるが時間はまだあるしなぁ」

「よし決まったな。俺について……来れるよな」

「あぁ、なんの問題もねぇよ」

 2人は近くに設置されたテラスへ移動し向かい合う形で座る。

「コップ取ってきてやるよ」


 男がそういうと席を離れ、ガヴァルが鼻をすすったと同時に男はガラス製のコップを2つ手に持って戻ってきた。


「全くコップ位祭りなんだから用意しとけよな。めんどくせぇ。おらよ爺さん」

「あぁ悪りぃねぇ若ぇの」


 ガヴァルのコップに無色透明の酒が注がれる。

 男は自身のコップにも酒を注ぐと席に座り、そのまま酒を飲み始めた。

 盲目の痩せ細った老人と中肉中背の髭面の男はただ黙って酒を口に運ぶ。

 先に口を開いたのはガヴァルであった。


「いいコップだなぁ。高そうだ」

「探したんだが近くになかったんでな、家までわざわざ帰って持ってきたんだぜ?」

「そうかい、そりゃ災難だったねぇ。さぞかし近所に──」

「爺さんあんた何者だ?」

「俺? 見りゃあわかんだろ。ただのめしいの浮浪者さね」

「ただの浮浪者があんな奇っ怪な動き出来て堪るかよ」

「そういうあんたも……相当脚に自信があるみてぇだねぇ」

「酒注いでやるよ」

「あぁ、悪いねぇ」


 男はガヴァルのコップに酒を注ぐと、コップを掴み亜高速で彼に向って酒をぶちまける。しかしそれよりも寸分早く左手で錫杖を軸に跳躍し、テーブルの上に乗り錫杖を男の喉元に突き立て、錫杖を引くと机から降りて椅子に座りなおした。


「大した速さだねぇ。あとちょっと回避が遅れてたら顔面穴だらけになってたかもねぇ」

「その一糸いっしたがわぬ突きの技術……あんた……もしや?」

「おっとバレちまったかねぇ。昔は突きより斬り捨てるのがもっぱらの専門だったんだが、この指だからねぇ」

「剣聖ガヴァルは魔王との戦いで死んだと聞いていたが……」

「嬢ちゃんに助けてもらったのさ」

「やはり貴方も彼女から武具を……」

「あんたは遠征組にはならなかったんかい?」


 ガヴァルの質問に男はうつむくがすぐにガヴァルの方へ向き直った。


「俺には戦争中にあの人から武具を貰ったんですが、嫁さんの腹の中にガキがいたんでそっちの選択は有り得ません。正直言って正気の沙汰とは思えない。事実ここにいる事情を知ってる奴等の殆どが無事暮らせている。この国に被害が及ばないのは遠征組の恩恵にあやかっての事は重々承知ですが守るものがあると自由が効きませんから」

「随分と詳しぃんだねぇ」

「俺はこの国の事なら大半は知ってますよ。独自に網を張ってるので。そうだ、1つ面白い噂話があるんです」

「へぇなんだい?」

「この国で商売するには必ず王に謁見し献上品を差し出さなければならないんですが、あの人もご多分にもれず王に献上した物なんだと思います?」


 ガヴァルは顎を掻きながら上を向き小さく唸ってから口を開いた。


「あの嬢ちゃんの事だからねぇ。国1つでも献上しますとでも言ったんじゃないかい?」

「彼女が献上品として差し出した品、それは過剰な程大小の宝石で宝飾がなされた王冠と分厚い毛皮でできたローブ、そして純金でできた杖の3つだと言われているんです。その3つが差し出された瞬間、実に2分もの間その美しさに見惚れ城が静寂に支配されたという話です。当人はおたおたしていたらしいですよ」

「なるほどねぇ。嬢ちゃんらしい話だねぇ」

「我々は各々1つしか持っていませんが、3つも持つとなるとどうなってしまうんでしょうか……」

「さてねぇ。中々寝付けねぇんじゃねぇかなへへへ。あぁそういや、俺の知り合いは確か2つ持ってたぜ。鎧と剣だったかねぇ。もう昔の事だから覚えてねぇや」

「しかし剣聖に会えるなんて夢の様です。俺も戦争中は剣士でした。貴方のお噂はずっと耳にしておりました。その……俺は貴方の選択間違ってないと思います。俺だって同じ立場なら──」

 ガヴァルは椅子から立ち上がり、数歩ゆっくりと歩くと立ち止まった。

「あんたの選択こそ正解だよ。いいか、絶対にやけを起こすな。冷静になって家族を守る事だけ考えりゃいい。俺からの忠告だ。ん? そうか……」

「わかっています」

「久々に口にしたけど美味かったぜぇ。酒ありがとなぁ」


 大僧正からある情報が伝わり鼻をすすりながら彼はゆっくりとした動作で歩く。


「懐かしい匂いだ。テルピニスいるなぁ……」


 彼は匂いを辿ってゆっくりと確実に広場へと向って歩く。

 広場へ着くと人でごった返し、歓声が鳴り響く。

 ガヴァルは強化された聴力で耳に届いた人々の発する声に眉をしかめた。


「うるせーな。頭に響くぜぇ」


 しかし鼻孔をくすぐる馥郁ふくいくとした香りを嗅いだ瞬間頭痛のことは頭から消え失せ彼は錫杖を軸に天高く跳躍し、魔法で浮く青白いプレートの上で文字通り高みの見物を決め込む学園長キルゼムの隣へ着地した。


「よぉテルピニス。しばらく見ねぇ間に30歳位若返ったのか?」

「公の場でその名を出すな! 貴様ガヴァルか!?」

「なんでぇ嬢ちゃんに初めて会った時に驚きすぎてしょんべん漏らしたことまぁだ引きずってんのかい。名前変えるまでして隠す事かねぇ」

「うっさいどアホ! 貴様私をバカにしにきたのか!?」

「んな訳ねぇだろ。大僧正が言ってる。封印が解ける」

「い、いつ何処でだ!?」

「今この時ここでだとよ」

「なっ――?!」


 突如空が割れどす黒くよどんだ光が天から降り注ぎ、ソレイユとルベルが剣を交えようかというその時、両者の間に漆黒の鎧を着た騎士が現れた。人間の顔をしてはいるが、現れたその騎士の額には真紅に輝く眼が妖しく光を放っている。


「ソルージェン……」


 今ここに災厄の権化は再び地上へ顕現した。その姿は勇者と謳われた人物に酷似し、呆気に取られ身動きできずにいる者達を3つの真紅の眼で捉え口角を上げ口から黒い瘴気を漂わせながらただ不敵な笑みを浮かべるのであった。

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