五章⑥

 春菊は郭家の客間に通され、しばし待つように言われる。

 使用人に出された胡麻団子を一口で食べてから茶をぐびりとやると、刺すような視線を感じて目を上げる。

 真向かいに座る巧玲の眼差しが怖すぎる……。


「ねぇ、左丞相。僕達って今何を待っているのかな? 画を描く道具は卓上に揃っているのに」

「知人に譲った山水画が届くのを待っているのだ。えー、一時的にだな……ごほん、貸してもらうことになっておってだなー、げほげほ」

「ん?」


 左丞相とのこれまでのやり取りから推測すると、おそらく該当の画は父が描いた水景だと思える。

 その画は現在春菊の部屋に散乱した木箱の一つに入っているはずなので、気軽に貸し借り出来るような状態ではない。

 何よりも、天佑ほど礼儀作法に煩い人間が、春菊に断りもなく誰かにあの画を貸すとは思えない。


 左丞相は反応が悪い春菊から、自分の娘へと視線を移す。


老鄧鄧さんは随分手間取っているようだな。あれほどの女でも寄る年波には勝てなくなったか」

「……あの人、今日は彼女の養女に会う予定らしいから、時間のやりくりを間違ったんじゃないかしら」

「そうか。養女氏はもう地元に帰るのだったな。もう少し働いてもらうつもりだったが」


 左丞相の言葉に対し、目の前の巧怜は声高らかに悪態をつく。


「あんな惨めったらしい女のことなんか知らないわ! そんなことよりも、そこの画家と二人っきりにしてもらえるかしら?」

「何故だ?」

「……個人的に話があるのよ」


 巧怜の目には明らかな殺意がある。

 きっと彼女と二人きりになったら、酷い目に遭うだろう。

 面倒なことが起こる前に、老鄧とやらに早く来てほしい。


 春菊の願いが通じたのか、程なくして客間の戸が音も無く開いた。

 入室して来た老女の顔を見て、春菊は思わず「あ」と言ってしまった。

 そうだ、この人だった。

 楊家に盗人が入った際、くりやの下女の証言を元に春菊は似顔絵を描いたのだが、いくら記憶を掘り起こそうとしても、誰に似ているのかまでは分からなかった。

 

 春菊は胡麻団子を食べたことにより、回転の良くなった頭で再び考える。


(でも、もっと決定的な証拠がないと、この人が先日の盗人騒ぎの犯人だとは決めつけられない)


 老女はやや焦燥感を滲ませながら、木箱を左丞相に手渡した。


「お待たせしました」

「首を長くして待っておったぞ!」

「長時間待たせてしまい、申し訳ありません。あらかじめ屋敷に配置していたもの達から画のりかを聞き及んでおりましたが、まさかあそこまで部屋が散らかっているとは……。警備の厳しさからゆっくりと吟味するわけもいかず、それらしき物が描かれたものを急いで持ってまいりました」

「なぁに、模写させた後に、しれっと元の場所に戻しておけば、気づきもしないだろう」

「それには同意できかねますね。まずはそこに居る子供は殺してしまうがよろしいかと」


 左丞相の手元から老女の顔に視線を移すと、彼女はひたりと春菊を見つめていた。

 巧怜が待っていたとばかりに、人差し指で春菊を指差す。


「その通りよ! この画家は生かして返すことは出来ない!」


「うわわっ」

「もう私や郭家が何をしたのか察しがついたようでございますから、残念ながら口を封じなければなりません」


 確かに今の状況を考えてみると、彼らにとっては春菊を生かして楊家に返す理由などないだろう。

 巧怜も老女も、春菊が楊家に画家として居候しているのを知っているのだ。

 だけど、この二人に春菊を殺せるかどうかは疑問だ。


「あのさ、言いづらいんだけど、普通の人には僕を殺せないかもしれないよ。試しに首の辺りを切ってくれてもいいけど」

「ほう? ……確かに貴女の気は、一般人のものとは大きく異なっている……」


 老女は探るような目つきで春菊を凝視する。

 春菊が言っていることを半端にしか理解できないんだろう。

 でも嘘はついていない。春菊は崑崙山から白都に来てから、いくつもの善行をつんだ。

 その度に人間離れしていき、過去何度か死んでもおかしくない状況に置かれた。しかし、息絶えることはなかった。

 自分でも、なんでいまだに生きていられているのか分からないが、それが自分に備わる神通力によるのだけはなんとなく分かっている。


 戸惑いを見せる老女とは逆に、郭家の父娘には春菊の言葉をただの子供の戯言と判断したようだ。

 巧玲があからさまにため息をつく。


 信用してもらえなくても、春菊は別に困らない。

 それよりも、やらなければならないことがある。


「とりあえず木箱の中身を確認させてもらうね」


 出来る限り素早い動きで左丞相の手から箱をひったくり、その蓋をずらして中の紙を手に取る。

 すると、それを上回る速さで老女に奪い返され、春菊は彼女の手で後方に突き飛ばされた。


「うわっ!」

「ここがどこだか理解しておられるか? 勝手に動かないでもらおう」


 冷たい口調と、背中の鈍い痛みに顔を顰める。

 体勢を立て直そうとするが、急に聞こえてきた甲高い笑い声に気を取られる。


「あっはっは! 何なの、このどす黒い画。汚いったらない。手が汚れちゃーう」

「……おかしいですね。持ってくる前には白い絹が入っていたはずですが」


 春菊も気になり立ち上がってみると、巧玲が言う通り、彼女の手にあるのは黒い紙だった。

 その表面に白線で画が描かれていて……、遠目からもごつごつとした岩が描かれているのが分かる。


 春菊は背中がひやりとする。


「その画に触ったら駄目だよ!!」


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