三章⑤

 厄介な同業者、蘇華文から依頼された画は風刺画と呼ばれるものらしい。

 天佑は眉をひそめながら、その風刺画について説明する。


「画に政治や社会についての批判や皮肉の意味を込め、不特定多数の人間を煽るのです。貴女のような優れた画家が描くべきではないと思いますよ。画を観た方々を不快にはさせたくないでしょう?」

「そりゃ、不快になんかさせたくないよ」


 自由気ままに画を描いている春菊ではあるが、最低限気をつけていることがある。それは画を観る者を嫌な気持ちにさせないようにすることだ。

 せっかく描いた画が、み嫌われたならやはり悲しい。


「風刺画は社会や政治への批判が込められている……かぁ。あのさ、こんなこと聞いていいのか分からないけど、どうして政治とかが批判されているのかな? 政治と言われると憂炎と繋げて考えちゃうんだ。でも、あの人と一度話してみて、悪い人だとは思わなかったよ」

「憂炎は何も悪くありません。貴女も後宮で見たでしょう? 浪費家なわけでもなく、思慮が欠けているわけでもない。女好きでもない。ただ……」


 天佑は一度言葉を止め、迷うような表情をする。

 どこまで春菊に語るべきか決めかねているのだろうか。


「あの方は……、七歳の頃に父親である前皇帝が崩御し、若くして皇帝位に就きました。だから後ろ盾を必要としたのです」

「後ろ盾ってなんだろう? 補佐をする人?」

「当の本人は当初そのつもりだったかもしれません。でも、実際は少しずつずれていったようです」

「もっと詳しく話してほしいかも」

「実質的な摂政せっしょうの役割は皇太后が担われました。そしてその助言役として私の祖父や父が……、つまり政治において楊家の影響力がかなり強くなっていたのです。父と祖父はそれぞれ一昨年、昨年亡くなり、私が楊家の当主になりましたが」

「うーん……、それで政治がうまくいっていたなら、問題ない気がするよ」

「……そう思わない人達もいるようです。皇族の血をひいていない楊家の女が一時的にでも政治を行なっている状態が気に入らないと。私からすると、ただの揚げ足取りをしているだけに思えてしまいます」


 春菊は皇帝と楊家のとした人間関係を完璧に理解出来たわけじゃない。しかし、周囲の人間たちの心がだいぶ狭いのは分かった。広かったなら何もこじれなかったように思えてならない。

 だけど政治の中心にいる人達がそれについて正面から駄目出しをしたとしても、何も解決しないどころか、逆に指摘したことが新たな憎しみが生まれるだけなのも想像出来る。

 白都で一年暮らしただけの春菊だが、人間の感情的な難しさは身をもって味わってきたのだ。


「悪鬼よりも、蠱よりも、人の心が怖いなぁ」

「奇遇ですね。私もそう思っています。何年間もずっとね。……さて、読みたい書物があるので、貴女は自分の部屋に戻ってください。送りますから」

「うん」


 天佑に促され外に出ようとすると、どこかに消えていた天佑の従者が走り寄ってきて、山盛りの麻花マーホアを手渡してくれた。麻花は水で練った小麦粉をねじり、油で揚げたお菓子なのだが、天佑が帰りに買ってきてくれたのだという。素直に嬉しい手土産なので、春菊は二人に礼を言った。

 さっそく一つ口にすると、素朴な甘さが口の中に広がる。


「わぁ。おいひぃ」

「貴女は大変雅やかな画を描くというのに、俗っぽいものを好みますよね」

「君の言う”俗”がどんな感じなのか分からないけれど、美味しいものは素直に美味しいって言っちゃうよ。そんなとこまで人の目を気にしたくないもん」

「無理をしてみやびやかさを追い求めること自体も、俗っぽい行動となのかもしれませんね」

「どういうこと?」

「ただの独り言です」


 今の天佑はいつもと違っている。

 なんというか、そこはかとなく緩い感じなのである。

 やっぱり婚約を解消されたことにより、心境の変化があったように思える。


 少し離れた所で上を向く天佑は月を見ていた。

 さっきは春菊が騒がしくしたから綺麗な月夜が台無しだと言っていたが、彼は月を特別視しているんだろうか。


「あのね。僕、月を見るとになった仙女のことを考えちゃうんだ。だからちょっと月を見るたびに面白いなって思っちゃう。ひきがえるになれたらやっぱり、自分の体がに感じられるのかなー?」

「おぞましい。想像したくもないですね」

「君とは意見が合わないね」

「ええ。それにしても、貴女が今話してくださったのは嫦娥じょうがの神話ですか? これだけ美しい月を見て、一風変った神話を思い出すとは、やはり貴女は変わっていますね」


 実は嫦娥の話は実際に起こったことだったりする。

 とある一件から不老不死ではなくなった嫦娥は、西王母に不老不死の薬を貰ったが、それを独り占めしてしまったから、彼女はになった。

 嫦娥が月にいたことから、満月の夜に団子を供えるような文化が民間に広まったと西王母は言っていたが、そちらの方は本当かどうか分からない。

 しかし春菊はそれには触れず、本当に言いたかったことを口にする。


「同じ物を見ても思うことは人によって違う。それって、創作にも当てはまると思うんだ」

「創作にも当てはまるとは?」

「同じ画題でも、人によって描く画は異なるんじゃないかって思う。それってさ、育った環境に差があればあるほどに、別物になるのかも! だから、僕、華文に依頼された画を描いてみるよ。きっと、僕が描いた画は風刺画にはならないと思うから」


 天佑は探るように春菊をじっと見つめた後、口の端を思い切り持ち上げた。

 さっきよりもずっと表情が明るい。


「そういう挑戦的な思考は嫌いじゃないです。それに、貴女が蘇華文の依頼を断ったとしても、他の画家に風刺画が依頼され、より面白おかしく描かれるかもしれないですからね」

「うんうん」

「念の為に、画が描き上がったら私に見せてください。貴女を信用していますが、第三者の視点があった方が貴女にとってもいいでしょう?」

「分かった。描いたら必ず見せにくるよ!」


 話しながら歩くと、中庭はあっという間に通り過ぎてしまう。

 春菊の部屋の前に到着し、別れる前に天佑は気になる情報を話してくれた。


「そうそう、後宮でのあの一件を調べていたのですが、貴女が怪しいと教えてくれた複数の石の提供元が分かりましたよ」


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