一章⑩
春菊は自分で描いた花鳥画を乾かしてから、再び迎えに来てくれた雨桐と共に後宮の皇太后の宮に入る。
皇太后はすんなりと春菊を私室に通し、雨桐を仲介する形で春菊の画を受け取った。
興味深げな表情で暫く画を眺め……、堪えきれないとばかりに吹き出した。
神妙な顔で縮こまっていた春菊は、彼女の予想外の反応にびくりと体を揺らす。
「あ、ありゃ?」
数々の名画を献上されてきたであろう皇太后の目には、春菊の画は陳腐に映ったのかもしれない。
残念だけれど、自分の力量が足りなかったのだと、自覚すべきなんだろう。
「僕の画は不合格、ですか? 後宮への立ち入りは禁止になります?」
「くくく……。そんなことはない。好きなだけ後宮に来て、画を描くが良い」
「へ? あ、ありがとう、ございます!」
後宮での作画を許されたということは、つまり皇太后から出された採用試験は突破できたと考えて良さそうだ。
では何故あんなに笑われたのか?
春菊がその理由を尋ねようかどうか迷っていると、皇太后が語り出す。
「古の統治者は良き教えを後世に伝えてくれている。『
「ふむふむ。……んん? てことは、つまり……」
「花は枯れる。痛む。そして花弁は頻繁に欠ける。それでも完璧な美しさを保っているように見えるなら、それは金で解決しているに過ぎない」
「そうなると思います! 凄くお金がかかってますよね!」
「そうだな……。後宮にかけられている無駄な費用を、私や他の妃のためにかけられる膨大な費用を、そなたが見抜き、どのように私に献上する絵に表現するのか興味があったのだ」
「あまりにも牡丹が完璧な状態だったので、違和感があると思ってしまいました。その欠点を許さない程の美しさをどうにかこうにか描き表してみたいなと……、試してみたのがこれです」
「うむ、分かるぞ。美しく描かれた牡丹の下に撒き散らされた無数の羽根。これはつまり、過剰に美しく咲き誇る牡丹とむしり取られた羽根により、外に出ることも叶わない女どもの惨めさを表しているのだな」
「え゛!?」
「皇帝一人のために、いかに無駄な金が掛かっているかと、そなたの痛快な嫌味が聞こえてくるような作品だ。気に入ったぞ、菜春菊」
「嫌味なんか、全然、全く、これっぽっちも込めてないよ!」
「芸術と贅沢は切ってもきれぬ関係だ。芸術品は心を豊かにするものだが、私も今一度気を引き締めるとしよう」
「ええと、そんな深い意味なんかない……、ですよ?」
必死で否定をこころみるも、皇太后は鼻で笑うのみ。
何だか人間性を誤解されてしまった気がするが、もう皇太后からの春菊への印象は決まってしまったようなので、諦めるしかない。
ぼんやりし続ける春菊は、苛立ちを隠そうともしない雨桐に追い立てられるようにして宮殿を出る。
「––––画院には一人で戻りなさい。それと、私はあんたみたいに芸術家ぶった人間が嫌い。皇太后様や妃様達が無駄に浪費してばかりだと思っているの? 妃様も、私達も後宮で何もしていないわけじゃない。ここでそれぞれが役割を果たしている。そうしなければ、生きていけないから! 後宮の女を馬鹿にしないで!」
「馬鹿になんかしてないよ。でも気を悪くさせちゃったなら、ごめんなさい……」
詫びは受け入れられず、雨桐はさっさと宮殿へ戻ってしまった。
「僕っていつの間にか嫌われてたりすることが多いなぁ。たぶん他人からするとやばい人間に思われがちなんだろうな」
もう一度宮殿を振り返ってから、しょんぼりと歩き出す。
こうして人間性が否定された後は、いつでも酷い孤独感に苛まれる。
この先、画院の臨時画家としてやっていけるんだろうか。
落ち込みながら歩いていると、自分がどこを歩いているのかわからなくなった。
自分を方向音痴だと思ったことがなかったけれど、後宮内の各宮殿や、植え込みの配置が複雑で、しかも広すぎる所為で迷ってしまったらしい。
「どうしよ。このまま歩き続けてたら、いつかは後宮から抜け出せるのかな?」
ぼそりと呟いた独り言は、誰からも拾われはしない。
だがその代わりに、少し離れた場所から複数人の声が聞こえてきた。
「––––ゆうえ––––様!! これ以上––––されては!」
「寝ておかなければ––––––––、何故お体を––––––––!」
内容までははっきりと聞き取れないものの、声が男性達のものなのは分かる。
しかも随分せっぱ詰まったような雰囲気のようだ。
この先で何が起こっているのか。
というか、後宮は基本的に女しか立ち入れないはずなのに、どうして複数人もの男性の声がするのだろうか?
(後宮の中で悪いことをしようとしてる人達ではなさそう? どうしたんだろ?)
すると、後宮内で最も立派な建物の前に三人の人間が居た。
そのうち一人は手すりにもたれ掛かり苦しそうにしている。そしてもう一人は苦しむ人物を支えようとし……、振り払われる。
二人を後方に庇うようにし、周囲を注意深く見回す男性も居る。
(体調悪そうな人がいるみたい。手を貸しに行った方がいいかも)
春菊は状況をろくに考えもせずに、三人の男の近くに走り寄った。
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