二章 後宮の仄暗い庭

二章①

 後宮は基本的に女性ばかりが暮らしている。

 その特殊な環境で、春菊は三人の男の姿を目撃した。

 物取りや暴漢のような雰囲気であれば近づくことはないし、皇太后の宮に戻り報告をするだけだ。


 しかし彼等からはそのような荒々しさは感じられない。

 それどころか三人のうち一人は酷く体調が悪い様子だ。


 春菊は彼等の方へ駆け寄りながら声をかける。


「おーい!! 君大丈夫? お腹が痛いの?」

「何奴だ!? 止まれ!!」

「ひゃっ!?」

「どこから入った!? 賊のわりに随分幼いようだな!」


 うずくまる男にたどり着く前に、春菊は別の男に阻まれる。

 一瞬何を言われているのか理解出来なかった。

 生まれてこのかた、賊に間違えられたことなどないのだ。

 もしかして、今の状況はかなりやばかったりするんだろうか。

 血の気が引き、慌てて首を振る。


「ぞ、賊なんかじゃないよ! 僕は今日から画院で臨時に雇われた画家なんだ!」

「画家だと!? 嘘をつくな。お前のような小童こわっぱが画家なはずあるか!!」

「本当なのに……」


「そんなわらしと会話してもしょうがないだろう。縛り上げるための縄も持っていないし、とりあえず殺すか。邪魔だ」


 体調が悪そうな男性を気遣っていた男が、血も涙も無い言葉を言い放つ。

 その顔には何の感情も表れていない。

 きっと彼にとって殺しは慣れきった対処法なのだ。


 しかし、助け舟は意外なところから出された。


「––––待て……」


 苦し気にしていた男が顔を上げ、こちらを見ていた。

 歳は十代後半だろうか。

 目の下の濃いくまと、この国には珍しい短髪が特徴的だ。

 無造作に跳ねた髪の間から覗く吊り上がった目は青龍刀のように鋭い。


 それでも、燈籠とうろうの光に揺れる瞳は人外染みた色合いで、不思議な魅力が備わっているように見える。


「……そいつが着ている深衣……、天佑が昔……着ていた。……だとしたら」

「え、天佑のこと知ってるの? 僕あの人の家の居候なんだ」

「やっぱそうか……」

「憂炎様!? このような小童こわっぱに関心を持たず、殿舎でんしゃの中へお戻り下さい!」


 春菊は『憂炎』という名前に驚く。

 記憶が正しければ『憂炎』は圭国の皇帝の名だったはず。

 こんな所で会うとは思ってもみなかった。


「そいつ……は、天佑が連れて来た画家だろう。そいつと話がある……、俺の殿舎に」

「ですが!! こんな時刻に一人で後宮をうろつき回っているやからがまともなはずがありません!」

「お前、俺に逆らうのか? ……弱っている今ならたてついても許されると?」


 それまで息も絶えだえといった風だった憂炎は一転、お付きの者と思わしき男へ威圧的な態度を見せる。

 それこそ、逆らおうものならその場で殺すと言わんばかりである。

 

「……申し訳ございません。––––おい画家!」

「な、何だよ……」

「憂炎様のお言葉を聞いていただろう!? 殿舎の中に入れ!」

「入るけど……、僕も手伝った方がいいなら手を貸すよ」

「呼び捨てとは何事だ? これだから育ちの悪い一般庶民は嫌なんだ」

「お前! さっさと言われた通りに動け! そしてもう喋るな!」


 語気の荒い男に追い立てられ、春菊は殿舎に足を向ける。


 振り返ると、後方でがたいのいい男が憂炎を担ぎ上げたところだった。

 そういえば、画院で憂炎の腹部にしこりがあると聞いたけれど、あの運び方で大丈夫だろうか?

 運び方が悪いせいで容体が悪化したら、まともな意思疎通が出来なくなりそうだ。


 それでも『黙っていろ』と言われてしまったので余計なことを言わず、彼等と合流するようにして殿舎に入る。


 内部には多くの人が待ち構えており、無表情で春菊達を通す。

 圭国の君主を迎える態度としては冷え冷えとしているのが少し気に掛かる。


 その妙な空気感に耐えられず、春菊は憂炎に話しかけた。

 

「ねぇ、ここって変な所だね? 体調悪い人が運び込まれてるのに、皆動こうとしない」

「……どうでもいい。……早くそこの部屋に入れ」

「分かった!」


 憂炎の意志は彼の従者にも伝わり、巨大な扉が開かれる。

 内部は螺鈿らでん細工が美しい円卓と椅子が置かれていた。

 床にはもこもことした布––––たしか西の国との貿易品の絨毯と呼ばれていたはずだ––––が敷かれており、正面の壁には大きな山水画が飾られている。

 その画を見た春菊は今日二度目の嬉しい発見をした。


「ここにも父上の画が飾られてるんだ! こんな迫力のある猿はなかなか描けないよ!」

「父上……だと? ……お前、菜青梗さい ちんげん老師の……子供なのか?」

「そうだよー。皇帝が暮らしてる建物にも飾られてるなんて、思ってもなかったなー」


 隣国に暮らしているらしい父親の画は今でも静水城のあちこちに残っている。

 そのことが誇らしいけれど、それと同時に一つの疑問が湧き上がる。


 何故父はこんなに圭国で重用されていたのに、他国に住み続けているのだろうか?



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