二章④

 後宮中央に位置する庭––––御水園。

 深夜帯に差し掛かった庭園は、ところどころに置かれた灯籠の灯りがあってもなお暗い。

 しかし、しだいに目が慣れ、闇の中に白色系の花や緩やかな川の流れが見えてくる。


 夜目がきく春菊とは違い、天佑は時間が経てども視界が悪い様子。

 春菊が持つ燭台の明かりを頼りに歩いているようだ。

 普段澄ましている男の口から、恐怖がにじむ声が上がるのが面白い。


「天佑は今日何をして過ごしてたの?」

「私も一応官吏として役割がありますから、そのお仕事をしましたよ。それと後宮の者達に話を聞いて回っておりました」

「世間話?」

「世間話と捉えた方もいるでしょうが、一応目的がありました。後宮では多くの女官や婢女はしため、宦官などが謎の病に倒れ、死に至っています。その状況について聞いておかねば、と考えたのですよ」

「なるほどねー。それで何か分かった?」

「そうですね……。おおむね今朝、てい副画院長に聞いた内容と同じでしたが、一つ新しい情報がありました。あの病にかかった者は、死の間際、腹の奥から生き物の鳴き声のような、気味の悪い音が鳴るようです」

「えぇ!?」


 天佑があまりにもおどろおどろしい物言いをした所為で、最後尾を歩いていた彼の従者が「ひっ」と短い悲鳴をあげる。

 確かに夜更けにこんな場所で聞く話としては悪趣味極まっている。


 だが、春菊にとってはそんなことよりも、自分の記憶に引っかかってしまったことの方が問題だった。

 誤解があってはならないので、一度天佑に確認の為の質問をする。


「それってさー、病人が空腹で、腹の虫が鳴ったんじゃないんだよね?」

「菜春菊……。あまり巫山戯ふざけたことを言うようなら、そろそろ怒りますよ? 空腹時に鳴る音と、瀕死の人間の腹から聞こえる音を聞き間違えるはずがないでしょう」

「そうかなぁ?」

「悪鬼のような、背筋が寒くなるような鳴き声だったようです」


 春菊は一度立ち止まり、腕を組む。

 実はそのような話を数ヶ月前に聞いたことがあるのだ。


 ––––あれはそう。西王母の宝物に落書きをし、都で善行を積むようにと言い渡されて数週間後のことだった。無一文で放り出された春菊は当然金に困り、自分の画が売れるようになるまでの間、他所様の馬屋や空き家などを転々とし、畑に植えられた作物を勝手に食べるなどして暮らしていた。

 そんな春菊はある時、一人の少女から差し入れを貰い、たまに家に招かれたりするようになっていたのだが、彼女との会話から伺い知れる生活が非常に奇妙なものだったのだ。

 端午節五月五日にたくさんの虫や蛇、蠍などを捕まえ、食い合いをさせること。生き残った一匹に特別な儀式をし、何かを取り憑かせること。毒蛇から培養した菌を粉にすること。それらを何らかの媒体に仕込むことなどなど。

 要するに彼女は蠱術師だったのだ。

 大金と引き換えに、蠱を使用して人間を害していた。

 しかしながら、”陽”の気を持つ春菊は”陰”の性質を持つ蠱と相性が悪すぎた……。

 暇な時間を使って、蠱の宿る生き物を画の中に描いていく内に、ことごとく彼女の蠱を抹消した。

 当然彼女は怒り狂い、彼女の元に残った僅かばかりの蠱で春菊を攻撃してきた。

 春菊は蠱が憑いた媒体をもくもくと描き続け、少女の残りわずかな蠱すらも全て消し去っていた。

 あの時、春菊は自分がやっていることを正義と疑わなかった。

 彼女が道を踏み外していると決めつけ、その元凶を消しているつもりだった。

 だけどその結果、彼女に絶縁を言い渡された。

 春菊の行動、言葉、態度、それら全てが彼女を傷つけていたのだ。

 孤独を抱える者同士、確かな友情を育んでいたような気がするが、あまりにも辛い最後だった––––。


「うぅ……。思い出さなくていいことまで思い出しちゃった……。胸が痛い……」

「何をぶつぶつと……」

「気にしないでほしい」


 蠱術師との関係はさておき、彼女から聞いた話の内容はたぶん役立つものばかりだった。

 特にこの、陰謀渦巻く後宮においては。


 天佑の話と画院の副院長の話をあわせると、謎の奇病の症状はとんでもない腹痛があり、時々しこりが動く。そして死の間際に気持ちの悪い鳴き声を発するようになるということになる。

 これにぴたりと当てはまるもの、それは––––。


「静水城の皆は、石蠱に罹っているんだと思うよ!」

「石蠱……? 初めて聞きましたが、それは一体何なのですか? 蠱とは毒を指す言葉だと思っていましたが」

「蠱は悪鬼のような存在といえばいいのかな。蠱にかかった人間の症状が、まるで毒をもられた人間の症状のようになるんだよ。今回は石に蠱が取りついていて、近くに来た人間に乗り移っていると思う。宿主が死ねばまた元の石に戻り、解蠱げこされない限り延々と人を殺し続けるんだ」

「……にわかには信じがたい話ですが、貴女はこんな時に嘘をつくような人間ではないはず」

「嘘なんかつかないよ!」

「ただ、この後宮において石は大なり小なりたくさんあります。貴女に蠱がとり憑く石を見分けることなど出来るのですか?」

「おおよその場所は、たぶん紙と墨で分かると思う! えっとそれでさ、天佑は御水園の石の記録を見てほしいかも。誰から買ったのか、誰の指示があったのか……。静水城で奇病が起き始めた時期に後宮に運び込まれた石を調べてほしい」

「石の入れ替えはそれなりに多いようですね。女官長なら庭園の管理簿のありかくらいは把握しているでしょうか」


 天佑はそう言った後、ちらりと自分の従者の方を向く。

 従者は「すぐに借りて参ります!」と風のように走って行ってからだ。

 理想的な主従関係では、言葉を交わさなくても意思疎通できるようだ。


 春菊は感心しながら地面に腰を下ろし、せっせと墨をすり始める。


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