五章②

 春菊は父の描いた水景の画を自分の部屋に飾ってもらい、その前に寝そべったり、顔を近づけて父の筆致を確かめたりしてその日一日を過ごした。


 ちょっとした騒動が起こったのは、それから三日後のことだった。


 通路や中庭の騒々しさで目覚めた春菊は、部屋のそばを通り過ぎようとする使用人から、事のあらましを聞いた。

 驚いたことに、夜も明けぬ時刻に、楊家の屋敷に物取りが入ったとのこと。

 ついこの間、間諜の存在が発覚したばかりだというのに、今度は物取り。

 ここまで厳重な警備体制の屋敷であっても、物騒なことは避けられないらしい。


 使用人達が中庭に集まるのに合わせて、春菊も外に出て、おとなしく天佑の話を聞く。


「––––––少し見て回った限りでは何も盗られてはいないようですが、これだけの人がありながら、盗人一人捕らえられないとは情けないことです」


 天佑は閉じた扇の先を自らの下唇に当て、苛立ちを見せる。

 そんな彼に萎縮してか、使用人達は口々に許しを乞う。

 しかし、使用人達の声でその場が僅かに騒がしくなったのも良くないようで、呂壮が大きく手を叩いて場を静めた。


 そうした中、春菊がおとなしくしていると、ふいに天佑と目が合う。


「菜春菊。貴女の貴重品が無くなったりなどはしていませんか? すでに聞き及んでいるでしょうが、この屋敷に物取りが侵入したのですよ」

「ええっと、盗まれた物とかは無さそうだったよ。というか、たぶん僕の部屋には僕しか入ってないと思う」

「それでは問題なさそうですね」

「あのさ、一つ疑問なんだけども。盗まれた物が何もないのに、なんで侵入者が盗人だと分かるの?」

「外部の者が無断で屋敷に侵入し、こそこそと屋敷中を物色していたら、物取りとしか考えられませんよ」

「そうなのかー」


 天佑と春菊の会話が途切れた隙に、呂壮が使用人達に声をかける。


「盗人を目撃した人の中に、外見の特徴を記憶している人はいませんか? 記憶が新鮮なうちにまとめておいた方がいいのではないかと思うんです」

「––––––怪しげな外部者を目撃したのは、くりやで働く下女でございました! 今この場に呼び出しますか?」

「どうしましょうかね。ああ、菜春菊。もし今お手隙てすきのようでしたら、私と共に厨の下女に話を聞きに行きましょう。私は外見的な特徴を文にまとめ、春菊は似顔絵を描くのはどうでしょうか? 天佑様がお許しになるならば、ですが」


「それが良いでしょう。お二人に任せるとします」

「目撃した人に話を聞いて、犯人の特徴を反映させた人の顔の絵を描けばいいんだね。分かったよ!!」


 普段、衣食住の世話をしてもらっているというのに、春菊はこの屋敷において大して役には立っていない。だから、こういう時に自分の画が役に立つならいくらでも描くつもりだ。


 春菊は一度自分の部屋に戻って、文房四宝などを用意し、呂壮と共に厨へと向かう。

 下女は唯一の目撃者という立場が苦しいのかだらだらと脂汗をかき、まともに声も出せない状態だった。

 なだめすかしたりしながら根気良く話を聞いて、なんとか似顔絵を描き終えたのは、太陽が真上を過ぎ、傾きかけた頃だった。


 似顔絵を天佑の元へと持って行く前に、改めて自分の描いた絵を観察する。

 下女の話によれば、物取りは女だったようだ。

 しかも若くはなく、皺だらけの顔の老女だった。

 その人物の輪郭や目、口や鼻の形などを下女の話を元に描いてみたわけだが、描き上げてみるとなんとなく既視感のある顔立ちをしていた。


(この人、どこかで見たような気がするなぁ。ここ一ヶ月以内に、ほんの少しだけ僕と関係があったような……。どこだったかな)


 恐らくこの人物を見たのは一刻にも見たないくらいに短い間だったんじゃないだろうか? しかし、春菊は静水城というただでさえ多くの人間が居る中で働いているから、もし女官の誰かの顔に似ているだけで、他人の空似だったのなら、この既視感にはなんの価値も無い。

 むしろ赤の他人を盗人だと考えてしまう危険があるため、自分の記憶だよりはやめた方が良さそうだ。


(とりあえず、天佑に渡しちゃおう)


 なんとなく引っかかるものの、これ以上考えても無駄と割り切り、中庭へと出る。


 すると、天佑は少し意外な場所に居た。

 庭の中央部に配置されている丸い石の上に座り、ぼんやりと空を眺めていたのだ。

 そんな彼に春菊は駆け寄る。


「天佑ー! 君にしては適当な行動をしているね!」

「ええ、最近の激務に加え、早朝の盗人騒ぎですから……、少し疲れました。貴女の真似をしたならば、少し心が晴れるのではないかと思ったのですよ」

「煮詰まってそうだなぁ」

「かなり。……自由な貴女を羨ましく思います。来月には長期の休暇をとり、崑崙山へと一度帰るのでしょう?」

「そうなんだよ、楽しみ!」


 後宮の御水園にあった、奇石の一つを自由にして良いとの許可を貰えたので、これを西王母に献上したいと考えている。

 彼女は今まで数ヶ月毎に白都に遊びに来ていたのに、最近はとんと姿を見せなくなった。

 普通に寂しいし、彼女に功過格(善行を量計する行為)をしてもらわないといけない。待っているのも苦手なので、自分から会いに行くことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る