五章 水都の風景

五章①

 知人である蘇華文が鶏鬼と化してから約二週間後、楊家の屋敷に立派な木箱が届いた。

 これは先日発覚したちょっとした問題––––郭家の間諜が楊家で使用人として働いていた件について、口外しない約束として譲り受けた芸術品となる。

 そしてどうやらこの画は春菊の父、菜青梗が描いたものらしいのだ。

 それを前から知っていた春菊の期待はものすごく膨らんでいて、木箱を開けようとする天佑の従者、呂壮ろ そうの手元を無言で凝視してしまう。


 呂壮の慎重な手つきで取り出されたのは一枚の上等な絹だった。

 横長の布の両端には切り立った山々がそびえ、中心部には穏やかな大河が流れる。同じ画家として、その対比の描き分けにまず目がいく。

 巧みな風景描写のみならず、人間達の配置も実に効果的だ。彼等のおかげで大変味わい深い作品に仕上がっている。

 いわゆる水景なのだが、河で小舟に乗って漁をする漁師の姿や、近景に描かれた旅人達の姿など、ご当地の人々の営みが垣間見れる。

 画を見ているだけで、行ったこともない地に意識がふっと飛んでいくような不思議な気分になる。


 そして左側に視線を向ければ、落款らっかんがあり、ちゃんと実父である菜青梗の印が捺されていた。


 言葉もなく絹に書かれた画を見つめる春菊は、呂壮に穏やかに声をかけられる。


「立派な作品です。まるで菜青梗老師の雄大な心を垣間見るかのようです。……私のような者に、真なる芸術を理解し切れるはずもないのですが」

「僕みたいな粗雑な者でもすごい画だって思うよ! それにしても、この画はどこの風景を描いたんだろうね?」

「湖……ではなく、大河のようですね。川部分には流れのようなものが書かれていますし。それに、ここに小さく楼閣ろうかくの屋根や鐘楼しょうろうが描かれています」

「わぁ、本当だ! よく見つけたねー!」

「これらの建物があるのですから、この河の近くに比較的大きな街がありそうです」

「確かにそうなのかも」


 呂壮の言う通り、画の隅の辺りに霧がかかり、その中に特徴的な建造物が数棟見えている。よくよく見ると、住宅のような物も薄墨で描かれている。

 たぶんこの街を知っている人が見たら、ここがどこなのかすぐに分かるような風景なんだろう。

 

 それにしても、郭家はどうしてこの画を手元に置き続けていたんだろうか?

 単に、父が菜青梗が有名な画家で、この画が素晴らしいからという理由だけなのかもしれないが、見れば見るほど色々なことが気になってしまう。


「天佑様は、この画を暫くの間、貴女に預けたいのだそうです。お父様の画を部屋に飾って置けますよ。良かったですね」

「えええええ!? そ、そんなことが許されるの!?」

「勿論ですよ。天佑様はこちらの画を見ると、郭家の父娘を思い出し、気が滅入るのだそうです。あの方は先日の一件だけでなく、郭家の方々から他にも様々な迷惑行為を仕掛けられておりましたから……。貴女が部屋に飾り、父上殿の画を存分に楽しまれるのがよろしいとのことです」

「そういうことかぁ。だったら私が引き受けることにするね! 天佑にはお礼を伝えてほしいよ!」

「ええ、伝えておきますとも」


 天佑は最近、非常に忙しそうにしている。

 香洛周辺の治水事業の件で関係各所とのすり合わせがうまくいかないようで、毎日のように早朝から出かけ、夜更けに帰って来る。

 今日は珍しく屋敷に居るが、書簡しょかん作成にかなり苛ついているのか、彼の部屋からは時折苛立ったような独り言が漏れ聞こえて来る。

 やはりまつりごとというのは気苦労が絶えないものらしい。


 呂壮が「ではお運びします」と、丁寧に絹をしまい、中庭へと出る。

 春菊はその背中を小走りで追いかける。


「ところで、風刺画の件はどうなりました? 貴女がおかしな陰謀に巻き込まれやしないかと、冷や冷やとしておりましたが……」


 呂壮の優しさに驚き、春菊はぽかんと口を開けて彼の顔を見る。天佑は自分の屋敷に間諜を入れてしまうくらい人を見る目がいまいちなのに、最も近しい者は選び間違えなかったようだ。

 春菊は呂壮の配慮に感謝しながら、彼の問いに答える。


「あの件は、僕に依頼した人が蠱みたいなのに憑かれちゃって、依頼についての話は一切無くなったよ。別の人が頼みに来るってこともないよ」

「それは良かったです。とても安心しました」


 羅雹華との少ないやり取りで把握しているのは、彼女の解蠱術のおかげで、風刺画の依頼主である蘇華文が目を覚まし、体は元に戻ったことくらいだ。

 しかし、心の方は蠱の影響が強いのか、それとも邪気に汚染されたためなのか、回復が遅いとのこと。いまだに雹華の家に留まって、彼女の手伝いをやったり、ぼんやり空を眺めたりしながら一日を過ごしたりしているらしい。

 暴漢になったり、鶏鬼になったり、廃人のようになったり、忙しい男である。


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