三章③

 夕刻の画材屋にひょっこり現れたのは、静水城画院の副院長を努める鄭浩然てい こうぜんだ。

 彼は先に店内に居た春菊と蘇華文を視界に入れ、目を見はった。


「そこにいるのは菜春菊と、えーと……、外見が変わりすぎて判別が難しいですけど、蘇華文ですか?」

「……げ」

「副院長! さっきぶりだね〜!」

「春菊さんは仕事が終わった後に、急いで画院を出て行ったなーと思っていましたけど、真っ直ぐこちらに来てたんですね。うちの店を贔屓にして下さって有難うございます」

「うち……。ねぇ、この店は副院長のお店なの? 店長とどういう関係なんだろう?」

「そこに座る店長は私の父なんです。父さん、店番は私がやるから、夕飯の準備でもしててくれ」


「お前が惣菜を外で買ってくれば楽が出来たというのに、親に作らせようとは気の利かない息子だよ。まったく」


 店主はぶつぶつと言いながら店の奥へと引っ込んで行く。

 その隙に入り口付近に突っ立っていた華文が戸を開け、こっそりと外に出ようとしていた。


「あ! 華文はもう帰るんだね」

「当たり前だろ!! こんな奴の店なんか長居してたまるか!!」


「こんな奴呼ばわりなんて酷いですね。元は同僚だったというのに……」

「過去のことを持ち出して親しいふりなんかするな! 菜春菊、あの依頼の件は頼んだからな!!」

「試し描きするだけだから!」


 春菊の念を押すための一言は、派手に戸が閉じられる音によってかき消された。

 あれだけ勘違いのないように会話に気をつけていたのだから、たぶん大丈夫だと思うが、相手が相手なのでどんな解釈になっているのか不安だ。


「らしくない表情をしていますね。蘇華文に何か嫌がらせでもされているんですか?」

「んー」

「あの人は一応元同僚ですし、お父上とも顔見知りなので、力になれるかもしれませんよ」


 流石は職場の上司、頼りになる。

 浩然の顔を見上げると、好奇心からなのか目が輝いていた。

 その表情を見て思い出す。この人は噂好きな性格をしていて、静水城内の情報にやたらと詳しい。詳しいだけではなく、出会ったその日に初対面の春菊にも皇帝の体調を聞かせるくらいには口が軽い。

 秘密を多く抱える人にとってはあまり関わりたくない人かもしれない。


 しかし今の春菊にとってはちょうどいい相談相手だったりする。

 

「実はさー、あの人に木版印刷用の原画の作成を依頼されたんだよ」

「原画の作成? 貴女にですか?」

「うん」

「変ですね。春菊が知っているかどうかわかりませんが、蘇華文は元々画院で働いていた画家なので、山水画を得意としていますよ。私と同様に、あなたの父上菜青梗さい ちんげん老師からみっちりと書画についての教えを受けていたんです」

「あの人も父上の教え子なんだ!? えー、それはちょっと嫌かもしれないよ」

「ふふふ。兄弟弟子も選びたいものです。それにしても、何故華文は自分で原画を描かずに貴女に依頼したんでしょうか。矜持きょうじの高い性格だったように記憶してるんですがね」

「あの人が不得意な題を依頼されたみたいだよ。官吏をやっている華文の父親づてに”荒れた田畑と風伯と雨師の画”を求められたとか。『何度も試したけど、描けなかった』と言ってた」


 春菊の話を聞いた浩然は何かひらめいたのか、人差し指を上に向けた。


「それってもしかして、昨年香洛こうらくで起きた災害の様子を描く感じですか? 風伯と雨師が揃っていたら台風を想像してしまいますし、台風ときたら香洛を思い浮かべます」

「香洛って、圭国南方の都市なんだっけ? 台風がきていただなんて、初めて知ったかも」

「昨年酷い台風が上陸したようで、農作物が壊滅状態になったようですよ。おかげで食糧難になって……、というか、香洛はここ十年の間、毎年のように水害に見舞われています。中央からの支援がまるで追いつかず、まともに暮らせるような状態ではないようです」

「そんなに酷いんだ……。可哀想だなぁ」

「えぇ、すっかり神々に呪われてしまったのだと噂されていますよ。毎年天罰が下っているとかなんとか……」

「神様ってそんなに酷い人たちじゃないと思うよ?」

「私は神様に会ったことがないので分かりませんが、今の噂は都合が良すぎだとは思います。神様の名前を使って、にしておきたい人達がいるんじゃないかと……。望ましくない政治が行われているから、天罰が下っていると民に思わせたがっているというか」

「え……」


 思い浮かべたのは憂炎ゆうえんのぼろぼろになった姿だ。

 あれだけ体を張っているのに、誰かから彼の行う政治について不満が持たれてしまっているんだろうか?

 なんだかやるせないような気持ちになってくる。


「政治って難しいよね……。僕みたいに国政とか何も分からない人からしたら、偉い人たちが何をしているのかさっぱり分からないもん。だから見てすぐに分かるような画が必要なのかな……。でも僕、そんなの描きたくなんかないよ。僕が描かなくても、誰かが描いた変な画がばら撒かれたりするのも嫌だなぁ」

「私も同じ気持ちです。春菊さんは天佑様に山水画を教えるために、あの方のお屋敷で暮らしているのでしたよね?」

「うん」

「だったら、天佑さんに今回の依頼の件を相談してみたらいいです。天佑様は従弟である憂炎様のことを何よりも大事に思っていらっしゃいますし、尚書として皇帝陛下の職務を支えてもいらっしゃいます。関わるべきでない方々について、教えてくれるかもしれません」

「一回相談してみるよー」

「それがいいと思います。うっかり変な事に加担してしまったら、死罪になる可能性もありますからね」

「ううう……」


 画院が理想的な職場すぎて忘れがちになるが、静水城は皇帝に害する可能性のある者はあっさりと始末される。憂炎と顔見知りだからといって、やりたい放題出来るわけではないのだ。


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