五章④
画院を訪れた恰幅の良い人物を、画院長は『郭殿』と呼んでいる。
そして、彼が画院に依頼しようとした画の特徴は、先日の間諜騒ぎで楊家が得た山水画の特徴と一致しているように思えてしまう。
鈍い春菊にもこの人物が左丞相であり、彼が楊家に渡した山水画を惜しく思っているのが推察出来た。
そして左丞相の娘といえば郭巧玲である。
すなわち、郭親子と天佑は現在かなり微妙な関係となっているということだ。
あれこれと春菊の面倒をみてくれる天佑のことを思えば、左丞相からの依頼は受けるべきではないのかもしれない。
しかしながら、この依頼を受けたなら、春菊の父親があの画を描いたいきさつを知れるかもしれない。
春菊は依頼を受けるのをやめた方がいいとは思いつつも、どうしたものかと考え込む……。
「––––では、後で家の者を迎えにやる。お主はうちの馬車で我が屋敷に来ると良い。詳しい打ち合わせは屋敷でやろうではないか。期待しておるぞ」
「あ、はい」
去り際の左丞相の言葉に、春菊は反射的に返事をしてしまった。
そして少々後悔する。今の短いやり取りで、作画の依頼は正式に決まってしまっただろうか。
院長はため息をつきつつ自らの額に手を置き、困ったような表情で春菊の方を向く。
「やめた方がいいと思うのだがなぁ」
「……院長はなんでやめた方がいいと思うの?」
「画院の誰かから説明を受けていると思うが、画院とは基本的に皇帝陛下の為に画を描く組織なのだ。各建物や妃達などのために描いているようでも、それらは全て皇帝陛下の物と見做される。だから、郭家の私物となる画を引き受けるのは、画院の目的から外れているのだよ」
「そっか、だったら今から左丞相を追いかけて断わろうかな」
「うーむ、それだと左丞相から恨みを買う……。どうしたものか……」
「口を挟まなきゃ良かった……」
「やってしまったものは仕方があるまい。そうだな……、菜春菊が個人で依頼を引き受けたことにするのはどうだ?」
「個人でかぁ……。分かった、そうするよ」
その後も画院長と太医院に納める画などについて打ち合わせる。
太医院が医事行政に関わる組織なだけに、どのような画題にするのが相応しいのか不安があったが、年長者である画院長の意見によって何となく方向性が見えてきた。
画の構成についての話に移ると同時に、副院長が戻って来た。
春菊と目が合うと笑顔になり、いつもの通り、本日仕入れて来たであろう噂話を話し出す。
「淑妃のところで働いている下女と話して来たのですが、皇太后付きの女官が一人、本日付けで辞めるようですよ」
「その人って、僕にも関係ある人?」
「そうです! 画院にも良く来ていた雨桐が辞めるみたいでした。例の事件の後、体調がすぐれない日が続いていたそうで、故郷に帰って療養するんだとか」
「えっ!!」
雨桐の寂し気な顔立ちを思い出す。
あれだけ後宮での仕事に誇りを持っていそうだったのに、辞めてしまうとは思いもしなかった。
それだけ体調が悪いんだろうか?
「雨桐はまだ後宮に居るのかな? 最後に会いたいよ」
「今日までは居るかもしれないと聞きましたけど、もう出て行ってしまったかどうかまでは分からないですね。春菊には当たりの強い時もあった気もしますが、別れが辛いですか?」
「それはそうだよ! 色々言われたけれど、どれも正論だった。それに面倒をみてもらったりもした。最後にお礼を伝えて、元気になってほしいって言って来る!」
春菊は院長の許可を得てから、一目散に後宮を目指す。
しかし、たどり着いた頃には雨桐はすでに後宮を去ってしまっていた。
軽く落胆しながら彼女の私室を歩いていると、卓の近くでころんと何かを蹴飛ばしてしまった。
かがみ込んで確認してみると、蹴ったのは陶器の欠片だった。
欠けてしまっているから判別が難しいけれど、龍らしき生き物が二匹絡まった絵が描かれていた。
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