一章⑥
画院入口付近で春菊が名乗り、ここに来た目的などを話すと、
「え……、臨時で誰かが来ることになっているのは知っていましたが、貴女で間違いないんですか? 画院長のお話ではもっと年配の画家を想像したいましたが」
「長い間、画ばかり描いていたから、気分的には年配だよ!」
「どう見ても童女でしかありませんが……。ええと、誤解してほしくはないのですが、貴女の作画技術を疑っているわけではありません」
「そうなの?」
「はい、勿論…………。天佑様がごひいきにされている画家なのだと聞いていますから。それに、あの方が直々にここまで貴女を連れて来たのです。これ以上の信頼はありません」
「良かったー」
天佑は画院の人間に凄く信頼されているようだ。
彼には皇帝の従兄弟という身分的な要因よりも、もっと信頼される何かがあるのかもしれない。
「さっき天佑様が私を紹介してくださいましたが、改めて私の口から自己紹介させてください。私は鄭浩然と申します。画院の副院長を務めております。どうぞよろしくお願いいたします」
「よろしく!」
「貴女のお仕事はですね、えーと、後宮の建物や風景を描いてもらうことになっているのですよ。後宮がどのようなところかご存知ですか?」
「確か女の人しか入れない場所なんだよね?」
「半分正解ですね」
「半分は間違いなんだね」
「一部の男性は後宮に入れるのです」
「ちょっと意外な気がするなぁ……。ちなみにどんな人が入れるの?」
「圭国の皇帝陛下であられる
「ふむふむ」
「しかし、一般的な男性が立入禁止にされている理由を考えますと、たとえ画家であっても、むさ苦しい男共が入るのはなるべくやめるべきなのです。腕の良い女流画家がいるなら、その方に任せるのが良いと画院長と私で決めました」
「女であることが大事なんだね」
「勿論です。……えーと、それともう一つ貴女に伝えることがあります。言いづらいことではありますが」
浩然はそこで話を区切り、目を泳がせる。
「貴女が後宮に立ち入るにあたりまして、一つ面倒事に対応していただくことになってしまったのです」
「面倒なことかぁ……」
「本当に例外的なことなんですけどね、相手が相手なもので、私たちも承諾するしかなかったんです」
ずいぶん歯切れの悪い物言いをするものだ。
面倒事というくらいだから、普通の新入りであればしなくてもいいようなことをしなければならないのだろうか?
浩然は春菊を部屋の奥の方へと誘導しながら、その面倒ごとについて少しだけ説明する。
「憂炎様の実母であられる皇太后様が、気まぐれを起こしてしまったんです。天佑様が気に入っておられる女流画家に掛け軸用の作品を描いてもらいたいと、要求されておりまして……」
「僕の腕を疑っているから?」
「真意は分かりません。ただ、普段から美しい物への関心が高い方ですから、貴女の腕前に興味を抱いているだけのような気がします」
「そうなんだね。僕の画を見て落胆しないといいなー」
二人で話しながら奥の小部屋の扉の近くまで行くと、一つの掛け軸が春菊の目に飛び込んできた。
半切幅の宣紙四分の一ほどの大きさの紙に描かれているのは二羽の鶴の姿だ。
一羽は後ろを振り返り、もう一羽は首を真っ直ぐに伸ばし、遠方に視線を向ける。
頭部の朱色と羽の黒色が凄く印象的だ。
その濃い二色が鶴の存在をくっきりと浮立たせているのだ。
描き込みすぎていない簡素な画なのに、目が離せない。
二匹の鶴の画の特徴が、とある人物の画のそれと一致しているのに気がつく。
恐る恐る紙の左下に視線を移動させると、印されていたのは”菜青梗”の名。
やはり思った通りの人物––––父の作品だった。
「父上……。間違いなくここで働いていたんだ」
「父? 貴女の名前に”菜”があるということは、貴女は菜青梗老師の血縁者だったりしますか?」
浩然がの声は殊更大きく響き、室内中が
画家達のこの反応。現在ここに居る画家達は父のことを知っていると考えて良さそうだ。
もしかしたら……、という思いを込めて、春菊は出来る限り引き締まった顔で頷く。
「菜青梗は私の師匠でもあり、父親でもあるよ」
「老師の娘さんなんですか!?」
「うん。あの人は今でもここで働いているのかな? 都で以前住んでいた家は別の人が住んでいたから、父が今どこに居るのか分からなくて……、もし知っていることがあるなら教えてほしい」
「十年近く前に崑崙山に行くと言い残し、都を離れたのですが、それからは、老師の姿を見た人間は誰もいないのですよね。ただ、風の噂で、隣国へと渡り、向こうの天子直属の機関で画家を続けていると聞いたことがあります。私が知っているのはそれだけです」
「え!? 隣国!? なんでそんなところにいっちゃったんだろ?」
「私には見当もつきません……」
浩然の話と自分の経験を重ね合わせてみると、父は春菊を崑崙山に連れて行った後、都には戻らず、他国へと行ってしまったようだ。
それは自分の意志によるものなのか、それとも別の理由によるのか……、疑問は膨らむばかりだ。
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