一章⑤
画院内では十名ほどの画家が作業中だった。
よほど慌てふためいているのか、彼の荒い足音は少々煩い。
作業をしていた他の画家達もその足音で春菊達の来訪に気がついたようで、一斉にこちらを向く。
彼等の表情は実に様々だ。
中には天佑に頬を染めている男性も居て、本当に様々な価値観の持ち主が集まっているのだと察する。
彼等は先に来てくれた男性に呼ばれると、慌ただしくこちらに近づいて来た。
「––––全く。静水城の芸術分野を担う者達がそのようにどたばたと……。恥を知りなさい」
「申し訳ございません! 天佑様の御前にて粗暴な振る舞いをするなど、あってはならぬことでした!」
真っ先に駆けつけた男が左手で右手の拳を包む拱手の姿勢で
「画院長の姿が見えませんね。あの方は今どちらへ?」
「画院長は
「憂炎って誰?」
春菊は初めて聞く名前が気になり、天佑に質問してみる。
画院の画家や天佑の従者らは、春菊の発言に何故か慌てふためいているようだが、何がまずかったのだろうか?
「憂炎は私の従弟にして、圭国の皇帝にあたる人物です。貴女が画院で描く画は全て憂炎のものとなるのです」
「そうなんだね、分かった!」
春菊が元気よく頷くと、天祐は澄ました顔で画院の画家に向き直る。
「––––それで、何故左丞相と画院長が憂炎についての打ち合わせをしているのです?」
「実は一昨日より憂炎様は病に伏せっておいでなのでございます」
「なんですって!?」
いつも穏やかな声で話す天佑がほとんど怒声に近い声を上げた。
”雅やかな言動”に拘っている男の変貌ぶりに、春菊は唖然とせざるをえない。
「どのような病にかかっているのですか? 知っていることがあれば今すぐに教えなさい」
「も、申し訳ございませんっ。侍医が診た限りでは、病名までは分からないようでして……」
「侍医の職に就いておきながら、なんと情けない……」
「憂炎様の症状は、画院で倒れた者達の症状と似ているように思いましたが……、あっ……、不確かなことを言うべきではありませんでした。お許しくださいませ!」
「気になることを言う。どのような共通点があるのです?」
「腹部に妙に硬いしこりがあり、それが時々動くのだとか……」
「しこりが動くですって? ……それは、生き物が腹の中に棲みつき、
「侍医は腹の中に貯まった便の可能性もあるだろうと」
「そんなわけがあるか!!」
「申し訳ございません! 自分はただ、画院長等の噂話を盗み聞きをしただけでございまして……、あ、まずい」
若い画家は顔を真っ青にして床に
天佑に言ってはならないような言葉でも有っただろうか。
天佑の顔を見やれば、その形良い目は吊り上がっていた。
怒りを抑えるのに精一杯なのだろうか。
暴力を振るうなんてことはないだろうけれど、念の為に春菊は彼等の間に入ってみる。
「ええっと……、つまり皇帝がお腹の中にいっぱいうんこを溜めたせいで、凝縮されたうんこになったんだね! しかもそのうんこが動き回ってる! うんこが意志を持ってるみたいな状態なんて、滅多にないことだよ! 流石は一国の皇帝をつとめるお人だ。素直に凄いって思った!」
聞いた話をつなげ、自分なりの解釈を混ぜてみただけなのだが、場は静まり返り、天佑は氷のように冷たい眼差しで春菊を見下ろす。
しかし、どういうわけか天佑は落ち着きを取り戻せたようだ。
一度取りつくろうような咳払いをした後、いつもの落ち着いた声色で話し出す。
「……なんてお下品なんでしょう。あまりの無神経さに絶句してしまいましたが、何故だか毒気が抜かれたような気分です。……とにかく、私は憂炎の様子を見に行きます。春菊は私が戻って来るまでの間、ここに居る画家、
そう言うやいなや、天佑は従者を連れて
去り行く天佑を、画家達はどこか
天佑ほど美しいと、性別など些細なことなんだろう。
彼の姿が見えなくなると、画家の大半は「あのお方は今日も美しかった」とか、「憂炎様と天佑様の御関係は麗しい。こっそりと画にして家に飾りたい」などと話しながらそれぞれの持ち場へと戻って行く。
画院の入り口付近には天佑の話し相手となっていた鄭浩然と春菊の二人だけが取り残される。
しかし、鄭浩然は何故春菊に仕事の説明をしなければならないのか、全く心当たりがなさそうだ。
無理もない。天佑は春菊のことを鄭浩然に一切紹介しなかったのだ。
だから春菊は自己紹介することにした。
「初めまして! 臨時で働くことになった菜春菊です! 天佑にこの職を紹介してもらったんだ」
画を描くこと以外殆ど何も出来ないけれど、それを伝えてしまったらこの場で首にされてしまうかもしれないから、そこは黙っておいた。
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