三章 皇帝の従兄弟の婚約者

三章①

 後宮の御水園で陰陽の画を描いた日、春菊と天佑は皇帝の殿舎にそれぞれ部屋を用意してもらい、そこで休むことになった。

 翌朝には朝食まで用意され、至れりつくせりの待遇を受ける。

 春菊の方は楊家の屋敷に戻ることなくそのまま画院へ出勤し、夕方まで思う存分山水画を描いた。

 邪気が消え失せたお陰で自分の意図通りの画が描けるようになり、春菊の画はようやく安定感を取り戻せた。


 ––––そんなこんなで満足して楊家の屋敷に帰宅した春菊は、あてがわれた部屋の卓に”陰陽の画”を並べていく。

 早朝に描いた御水園の石の画、宿の女主人に描いているところを目撃されてしまった鶏の画。

 蠱術師宅に居た時に描いた画も複数ある。


 憂炎はこの独特な画を見た時、扱いを間違えたならどんなわざわいが降りかかるか分からないなどと言っていた。

 自分も同じ考えを持っていて、この画を楊家に置いておくののは危険なのではないかと思っている。

 だから春菊は今日ずっと悩んでいる。


「どうしようかなー?」


「––––何がですか?」

「わわっ!?」


 聞こえるはずのない声が部屋の戸口あたりから聞こえ、春菊はその場で飛び跳ねた。振り返れば、やはり天佑が呆れたような顔で立っていた。


「驚かれるのは心外です。私はこの部屋の前で声をかけてから入室しました。集中しすぎて気が付かなかったのではないですか?」

「そうかも。いつもごめん……」

「謝罪は要りません。そろそろ貴女の不可解で品の無い行動に慣れてきましたので」

「あう……」


 天佑はそれ以上春菊の振る舞いについては何も言わず、卓を一周するようにして”陰陽の画”を眺める。


「ここに並ぶ画は全て、貴女が特殊な方法で描いた画になりますか?」

「そうだよ。えっと……、天佑もその場にいたから聞いてたと思うけど、憂炎はこの画を危険なものだと言っていたよね」

「ええ。災があるやもと、おっしゃっておられました」

「だからさ、僕。この画を持ってこの屋敷を出て行くべきなのかもしれないって考えているんだ。だって、僕がこの画の扱い方を間違えちゃったら、君やこの屋敷の他の人達が酷い目に遭うかもしれないし」

「なるほど。貴女が懸念なさっていることについては良く分かりました。しかし……」


 天佑は自らの扇を口元に持っていき、考える素振りをする。


「一つお聞きします。貴女はまた元のぼろ宿のような、治安の悪い場所に住むおつもりなのですか?」

「そうだね! お金のことはあまり分からないから、高い宿に泊まると、うっかり代金を払えなくなるかもしれないし!」

「貴女って人は、全く……」

「あはは……」

「……貴女は私の師ですし、憂炎にも気に入られています」

「憂炎が? 気に入ってはいないと思うよ」

「いいえ。あの気難しい御仁おひとが貴女に呼び捨てを許し、殿舎への宿泊も許したのです。ここまでの気の許しようはないことですよ」

「う、うん」


 何故か嫉妬するような目で見られ、居心地が悪い。

 

「つまり私が言いたいのは、貴女の身の安全を確保し、まともな暮らしをさせる必要があるだろうということです。白都で暮らすのに充分なだけの資産を蓄えなさい。そして、一般常識を身につけるべきです。それまでの間、この屋敷に暮らすといいでしょう」


 正直言って、天佑の申し出はかなり有難い。

 崑崙山を出されて白都に移り住んでからというもの、不安定な生活をせざるをえなかった。

 山で適当に養われていたので、限られた財産で暮らすということが出来ないのだ。

 資金不足で創作活動が出来ない状態に陥ったことも一度や二度にとどまらない。


「ありがとう! 君たちに危害が及ばないように、なんとかこの画を安全に保管する方法を見つけてみせるよ! それと一応確認なんだけど、画院の臨時画家もやめた方がいいのかな? 思ったよりも早く白都に漂っていた邪気をおさめることが出来たから、このまま働き続けていいのかどうか分からなくてさ」

「春菊さんはどうしたいですか?」


 思い浮かぶのは静水城内にあった父親の描いた二枚の画だ。

 幼い時分に春菊が手渡された画よりもずっと洗練された画を、これからも観れたなら画を描く意欲が湧き続けるだろう。

 それに画院で会った多くの画家との交流も楽しめている。

 芸術面で良い刺激を受けているのだ。


「出来ればもう少し働いていたい。あそこで研鑽を積んだなら、もっと僕の画が良くなるんじゃないかって思うんだ」

「それは間違いないでしょう。より優れた画を描き、また私の為に描いてください」

「うん!」

「それに、貴女のそもそもの目的は邪気を封じることでしたが、まだ解決に至ったわけではありません」

「へ? 解決……したよね? 僕の墨はもう落ち着いているよ」

「現在が良くても、石に蠱を仕込んだ黒幕が誰だったのかまだ判明しておりませんから、今後どうなるかなんて分かりません。もし犯人が暴走したなら、貴女がまた山水画を描けないような状況になることだってあり得るわけです」

「あー、そうかー」

「都のまともな風水師が何人か暗殺されてしまっていますし、完全に解決するまでお力添えいただきたいですね」

「分かったよ。陰陽の画がまた描けるようになるまでの一週間は平穏だったらいいけど……」


 陰陽の画は一度描くと次に描けるようになるまでに一週間を要する。

 それまでの間は、落ち着いて作画に没頭出来れば良いのだが……。


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