四章 その風刺画を描いた画家の名

四章①

 一夜明け、静水城に出勤した春菊は昨夜から今朝にかけての出来事を思い出す。


 春菊と天佑の炙り出し行動の結果分かったのは、郭家側の間者と思わしき者達は三名もいたということだった。三名とも昨年から今年にかけて雇われた者達だったのだが、やはり春菊に対して当たりの強い使用人とぴたりと一致した。


 今朝忙しそうな天佑の従者に聞いた限りだと、間者達の扱いについては少し特殊な事になりそうだ。

 普通であれば圭国の法に基づいて裁かれるらしい。

 しかし、間諜等の雇われ元であろう郭家との昔からの関係を考慮し、このくらいのことで、汚名を被せて失脚させるわけにもいかないようだ。だから代わりの措置を申し出るつもりとのこと。

 謝罪を求めると共に、郭家が保有する芸術品を一つ要求するらしい。


 別に楊家は金に困っているという感じではないので、その対処が疑問ではある。

 しかし、天佑が郭家に対して春菊の実父である菜青梗が過去に描いた山水画を所望しょもうすると聞き、春菊は飛び跳ねて喜んだ。


 勿論春菊の為ではなく、あくまでも楊家の屋敷を飾るために、優れた画を求めているのは分かっている。それでも、観に行きやすそうな場所に飾ってもらえるならとても嬉しい。きっと何時間でも画の前に座り込んで眺めてしまうだろう。

 深夜にいかれた鶏の真似をした甲斐があったというものだ。


 うきうきしながら画院内の画材倉庫で作画のための準備をし、自分の卓に戻って自分の役割を頭の中で確認する。


 春菊は本日、静水城に来てすぐに後宮へ向かい、淑妃の宮を訪ねた。

 勝手に行ったわけではない。淑妃本人から画の依頼を受けるためだ。

 大人しい雰囲気の淑妃の話によると、彼女は皇太后から春菊が描いた牡丹の画を見せてもらい、彼女自身も春菊に花鳥画を描いてもらいたいと考えたらしい。


 そういうことならと春菊は俄然やる気が出ている。

 

 頼まれた画題は蝋梅ろうばいと、その枝にとまる蜂食はちくいだ。

 蝋梅は冬に鮮やかな黄色の花を咲かす樹木だ。

 しかしながら現在の季節は春なので、花の時期はとっくに終わってしまっている。

 それでも、花の見頃の時期の、最も美しい状態で描いて欲しいようなので、枝ぶりだけ後宮の御水園で本物を観察し、花の方は想像で補おうと考えている。

 蝋梅と共に描く蜂食の方は白都にはそれほど多く生息するわけではないが、春菊は一度蜂食を見たことがあり、その造形と色彩の鮮やかさはちゃんと記憶にある。


 小さな体の大部分が黄緑色で、口元に青、頭部に橙色が差し色のように入っている。画の中に取り入れたくなる気持ちは十分理解できるくらいには美しい鳥ではあるけども、黄色い蝋梅の花と体の半分が黄緑色の鳥では、画面全体がぼんやりとし、完成度が高くならないかもしれない。


 春菊はどうしたものかとしばし考え、構図で解決することに決めた。

 飛び立つ寸前の蜂食を紙の手前に大きく配置する。

 そして羽根を出来る限り精緻に描く。

 目からくちばしまでの太く黒い線を印象的に際立たせたら、画全体が引き締まって良いのではないか。

 人で言う顎の部分は黄色と相性の良い色合いの青を置き、細かな筆遣いで柔らかな毛の質感を表現する。

 蝋梅は、黄色の花よりもせた灰茶色の枝を目立たせる。

 蜂食の対角側に密集した花々もきちんと描き、淑妃からの依頼にきちんと応える作品としてまとめあげた。


「よし、いい感じ! あとはこれを淑妃に渡す前に、画院長に確認してもらわないと」


 一応春菊は現在、静水城の雇われ画家なので、ちゃんと仕事の成果を所属長に確認してもらう必要がある。画院長はしょっちゅう画院からいなくなる人だけれど、画が十分乾くまでの間には戻ってくるのではないだろうか。

 春菊は、それまでに個人的な画の練習に励もうと決め、すずりで固形墨をすって墨汁の量を足す。


 描くのは昨日見に行った旧市街の住宅四棟だ。

 香洛様式のそれらは、外壁の煉瓦と反った形状の黒い屋根、そして入り口に吊り下げられた赤い提灯が印象的だった。それらを出来るだけ古めかしい雰囲気で描きたい。


「ええと……水分を少なくして、掠れ気味に描いたら、ちょっと乾燥した雰囲気出せるんじゃないかな」


 遠慮せずに呟いた独り言は誰にも拾われないし、とがめられたりもしない。

 というのも、皆自分の作業に一生懸命なので、他人の独り言が耳に届かないからだ。

 逆に誰かの独り言や声を押し殺した会話も、春菊の耳に入らないことの方が多い。

 それでも上長の怒号が飛ぶことはない。

 この程よい距離感が、春菊にはちょうど良く、とても居心地が良い。


 記憶のまま筆を動かし、狙った雰囲気で四棟の住宅が描き上がる。

 それにしても、あの提灯は違和感があった。いくらなんでも新しすぎだった。

 見たままの状態で描いたなら、外壁や屋根の退廃した雰囲気から浮いてしまいそうだ。

 どうしたものかと顔を離し、じっくり自分の画を観察していると、春菊のそばで立ち止まった誰かが「その建物……」と呟いた。


「え?」


 顔を上げて声の主を確認してみると、皇太后付きの女官、雨桐が大きく目を開いた状態で、春菊が書いたばかりの画を見下ろしていた。


「貴女、もしかして……」


 小声かつ不明瞭すぎる声だったので、うまく聞き取れなかった。

 自分への問いかけというよりは、ただの独り言のように思うけれど、自分のすぐ側に立たれているので確認しないわけにもいかない。


「雨桐? 今何って言ったの?」

「何でもない。……気にしないで」

「う、うん」

「それより、貴女、淑妃様の宮に行ったそうね? 画でも頼まれたの?」


 清水城に初めて来た日、春菊は雨桐の怒りを買った。

 しかしながらその後何度か顔を合わせるうちに、雑談をするようになり、彼女が画院に来る時はこうして声をかけてくれるようになった。


「そうなんだよ。蝋梅と鳥の画題を貰って、今描き終えた。でも、後宮の蝋梅は見ごろが終わっちゃってるから、花の色や形状は僕の想像で描いちゃった。一応過去に見たことのある蝋梅を元にしているから、大丈夫だと思うけど」

「……じゃあ、その住宅の画も想像で描い–––––––」


「その出来栄えで充分だろう」


 男性の声が雨桐の言葉を遮った。

 声の方を見やれば、入り口にこの国の皇帝廖憂炎が立っていた。

 

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