三章⑦

 春菊は天佑に部屋まで送ってもらった後、一人で籠り、作画にいそしむ。


 神仙が暮らす崑崙山で育ちはしたが、今までひでりがみには会ったことはない。

 だから彼女を描くためにはどうしても自分の想像力頼りになる。


 何枚も何枚も試し描きをしてみて、気がつけば魃の試し描きだけで、床が紙で埋まっていた。

 若く美しい女性の姿、全身に熱気を纏わせる女性の姿、太らせてみたり痩せさせてみたり、様々な姿で描いてはみるものの、どれもが微妙に思える。

 はたしてこの画を見た人々は、神が描かれていると認識出来るだろうか?

 下手をすると、空に浮かぶ一般女性に見えてしまうかもしれない。

 

 どうしたものかと悩み、何となく父の描いた猿の画を思い出す。

 あの画は本当に素晴らしかった。

 猿の躍動感、野生味、荒い毛並み。

 様々な要素が詰まったあの画は実際の猿を見ながら描いたのだろうか。

 あれだけの画を、描けるようになるには、後何年かかるのか。


 だんだん途方もないような気分になり、床に寝転がり、そのまま寝てしまった。


□■□■□■□■□


 目が覚めると太陽がほぼ真上に昇っていた。

 起きた瞬間、寝坊してしまったのではないかと少し焦ったが、今日は休みだったと思い出す。

 ほっと胸を撫で下ろして、いそいそと寝床から這い出る。

 この屋敷に来てからというもの、気を抜くと怠惰な生活になってしまいそうになる。

 衣食住の世話をされるのは楽だけれど、楊家を離れた時にきっと苦労することだろう。


 春菊は二度寝していたい欲求を打ち負かし、身支度をして屋敷を出る。


 向かう先は白都の旧市街だ。


 早朝に画を描きながら思い出したのだが、旧市街には香洛様式の建物が並ぶ区画があるはずだ。

 今日はそこに足を運んで建物の造形を記憶し、自分の画の中に香洛の雰囲気を取り入れてみようと考えている。


 途中で酒家食堂で朝食兼昼食として大蒜にんにくの卵炒めなどを食べ、昼過ぎごろに旧市街に踏み入る。

 入った直後、それまでの空気と明らかに変わった。

 日陰でもないのに冷んやりとしているし、耳鳴りするような静けさがある。

 いつ来ても本当に不思議な場所だ。

 

 この旧市街は、前王朝時代には有力者が多く住んでいた。

 だから地面には整然と石が並べられているし、立ち並ぶ建物は設計がしっかりしているためか、歪みが少ない。

 しかし、整備された街路に反し、人気ひとけはあまりない。

 というのも、白都の住民の多くはこの区画を嫌っているからだ。

 王朝が変わってから、ここは随分住みづらくなったらしい。

 夜な夜な邪気が集まり、元々そこに居た人達は心身が蝕まれるなどの害があった。

 それに嫌気がさし、静水城近くに移ったり、香洛へと戻ったようだ。


 多くの人が移動した後、空き家には怪し気な生業の者達が住みつくようになった。

 街使警官すら巡回を嫌がるこの場所は、行き場の無い者達にとっては住みやすいのだ。

 だが、治安はそこまで悪くはならなかった。

 邪気に耐性のある者でもなければこんなところに長居は出来ず、ならず者が流れ着いてもいつの間にか病死する。または、暴力で荒らされたくない者達がさっさと始末する。


 実のところ春菊は崑崙山から白都に移住した直後、旧市街に住んでいた。

 廃墟に入って風雨を凌いでも追い払われることなどなく、道端で鼻歌を歌いながら画を描いていると、適当に世話をしてくれる人間が何人か居た。


 一年前の暮らしを思い出しながらぼんやりと石畳を歩き、目当てにしていた香洛様式の住居に辿り着く。

 砂色の煉瓦れんがで出来た外壁に、あせた黒色の瓦屋根。

 木造建築物が多い白都にあって、香洛様式の住居は異彩を放つ。

 住居の戸口の両脇には赤い提灯が一つずつかけられており、黒い墨で”福”と書かれているのが確認出来る。

 汚れてもいないし、破れてもいない。

 状態の良さから察するに、最近交換されたような気がする。


「この家はまだ誰かが使っているのかな? 赤い提灯は随分新しいみたいだけど……」


 提灯を回転させてその裏側を見てみると、”とう”の文字が読み取れる。

 ありふれた苗字なので、特定の誰かと繋げられはしないけれど、なんとなく引っかかる。

 他にも何か書かれていないかと隣の提灯に手を伸ばすと、背後から何者かに声をかけられた。


「お前、そこで何をしているのよ?」

「うひゃあ!?」


 驚いて振り返ってみれば、見知った少女がそこに居た。


雹華ひょうか!?」

「え、しゅ……ん」


 少女は目を見開き、自分の口を片手で押さえる。

 彼女の名は羅雹華ら ひょうかという。

 蠱術師を生業とし、この旧市街で暮らしている。艶やかな黒髪を頭頂部で二つの団子型にしており、釣り上がった目尻や小さな唇には紅が引かれている。

 きちんとした服装も相まって、まるで精巧な人形のように愛らしい。


 彼女には一年前随分と助けてもらったのだが、大喧嘩をしてしまったため、現在は全く交流が無くなっている。

 そして時間を空けて再開した今も、彼女の恨みは薄らいではいないようで、さっさと春菊に背中を向けてしまった。


 足速に去って行く雹華の背中を、春菊は懸命に追いかける。


「待って! 待ってよ、雹華! せっかく久しぶりに会ったのに、名前すらまともに呼んでくれないの!?」

「今寄って来るんじゃないわよ。見て分からない? 客人を連れているの!」

「へ?」


 よく見ると、彼女から少し離れたところに若い女性と老婆がいた。

 女性の方はどこかの令嬢なのか、明らかに上等な質の襦桾をまとっているし、歩く姿が優雅だ。老婆も身なりが良く、歳の割に動きがきびきびしている。

 彼女は何故か眼光鋭く春菊や雹華を交互に観察しながら、じりじりと近付いてくる。

 春菊を不審者とでも思っていそうだ。


 もしかすると老婆は令嬢風の女性の護衛かもしれない。

 二人とも旧市街に居るような人間ではないから、雹華に会うためにわざわざこんなところまで出向いたように思われる。

 蠱術師に何の用があるのか気になっていると、向こうの方から話しかけてきた。


「貴女、楊家で家庭教師をなさっているでしょう?」


 もの凄く意外な事を若い方の女性に言われ、背中がひやりとする。

 なんで初対面の人間がそんなことを知っているのだろうか?




 

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