一章④

 天佑てんゆうに自分の生い立ちの話をした日から一週間ほど経過したのち、春菊は思いもよらぬ役割について提案された。

 それは静水城の画院で臨時の画家として働くというもの。

 すぐには返事が出来なかった。

 というのも、今の自分はかつて画院で働いていた父と比べたらまだまだ未熟だからだ。

 その辺の不安を天佑に相談したところ、彼は春菊を現在の白都において三本指に入るほどの画家ととらえているようで、春菊が画院に相応しい画家ではないのなら、他の誰もが不適切ではないかと言われてしまった。


 そこまで言われてもまだ抵抗感はあったものの、父が働いていた画院に興味が無いはずはなく、この国の芸術の中心地でもある施設に入れたならかなり楽しいだろうとの確信もあり、結局承諾してしまった。


 しかしながら、承諾した後に聞かされた情報には微妙な気分になるものもあった。


 最近は画院の画家が次々にやまいに倒れていて、人手不足な状態に陥っているそうだ。だからこそ、春菊のような素性の知れぬ者でも採用される流れになったのは想像に容易いが、頷いた後で聞かされるとたちの悪い詐欺に引っかかったような気分にさせられた。



––––楽しみだったり不安だったりの日々を交互に繰り返しながら一週間ほど過ごし、ついに静水城への初登城の日となる。

 本日春菊が着ることになったのは天佑のお下がりの深衣である。

 相変わらず男用なのだが、春菊が普段着ているあい色の道袍はが目立ち、かといって天佑に仕立ててもらった桃色の襦袍ではあまりにも幼女に見えすぎたらしい。

 城内の様子が分からない春菊は助言に従うしかなかったし、これで官吏や女官などに文句を言われても天佑の名前を出して堂々としてようと決めてしまった。


 屋敷を出発するまでの間になんやかんやとあったわけだが、天佑と彼の従者の三人で静水城内に立ち入ると、その広さに度肝を抜かれた。

 歩き回るならば一日は余裕でかかってしまいそうな面積の敷地には大中小、様々な建物や橋が立ち並ぶ。敷地内には川や広場などもあるので、まるで立派な街一つを高い塀で囲ってしまったかのようだ。

 ちなみに、昨年まで住んでいた崑崙山もかなりの広さではあった。

 しかしあそこの場合、岩肌に張り付くように仙人や道士の住居が配置されていて、縦に長い構造だった。だから、静水城のような水平方向に広い施設は新鮮みがある。


 春菊の部屋がすっぽりと入るほどに幅のある護城河を渡り、巨大な建門––––静和門内に入っていく。門とは言っても、一階中央部分が綺麗に整備された通路に貫かれているだけで、他の機能的には普通の建物だ。

 ––––いや、普通の建物と言うには政治的に重要すぎるかもしれない。

 ここで皇帝は臣下達からの上奏を受けたり、まつりごとを執り行う。

 このような重要な施設内に、春菊が働くこととなる画院は存在するようだ。


 皇帝の日常的な移動経路の近くに画院が置かれているのは、現皇帝が芸術分野に対して強い関心を持っているからとのこと。

 時々画院に皇帝が顔を出したりもするらしく、気を抜いてうたた寝などをしているのを目撃されでもしたら、処刑されても文句は言えない。


 ––––などと心臓が凍りつきそうなくらい恐ろしい話を天佑から聞きつつ、静和門内を奥へ奥へと三人で進んで行く。


 それにしても官吏の人数が多い。

 礼部、戸部などの木札が下がった部屋の前を通りすぎたが、ちらりと覗いた室内には官吏達がたくさんいて、忙しそうに動き回っている。

 普段は画を描きながらのんびりしているから、こうして勤勉に働く人々を見ると不思議な気分にさせられる。


 金箔が惜しげなく使われた天井も見応えがあり、上を眺めながらぼんやりと歩いていると前を歩く天佑にどんとぶつかる。


「どふっ、あたた……」

「貴女、何なんですかその歩き方は。前くらい見ながら歩けませんか?」

「ごめん。見慣れない物ばかりで楽しくなっちゃてたんだ」

「全く……。今日からこの建物で働くのですから、気を引き締めなさい」

「わかったー」

「ここが画院になります」

「おお!」


 それなりに広い一室からは墨の匂いが漂ってくる。

 天佑の腹の横あたりから顔を出して室内を眺めてみると、壁という壁に掛け軸が下がり、整然と並ぶ卓の周りでは十名ほどの画家が動き回っている。

 誰も彼も入り口付近で立ち止まる春菊達には目もくれず、作画のために宣紙と対峙しているようだ。


 邪魔をしては申し訳ないくらいの張り詰めた空気なのだが、天佑はごく自然に彼らに向かって声をかける。


「画院長は不在なのですか?」


 天佑のよく通る声によって、室内にいた画家のうち最も入り口から遠い場所に居た者が弾かれたように顔を上げる。

 目を見開いたまま固まっているところをみるに、天佑の訪問は想定外なんだろうか?


「天佑様!? すぐに参ります!!」

「そのように焦らずとも良いです」

「い、いえ。貴方をお待たせするわけにはいきません!」


 何度も転びそうになりながら走り寄ってくる男は画院の管理者なのかもしれない。


 

 

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