六章 珍道中

六章①

 再び石蠱による悪夢のような光景を目にしてから八日経つ。

 春菊は画院の画材室にて、本日使う分の絵具を壺から小皿に移す。

 単調な作業中に思い出すのは、どうしたって先日からの一連の騒動についてのあれこれだ。


 あの日、春菊が描いた陰陽の画は天佑の元婚約者である郭巧玲に破られ、画に描かれていた石蠱と思わしき物体が出現した。

 それによって郭家の面々は強烈な腹痛に苦しむはめになり、蠱術師である羅雹華が解蠱を施こした。

 一応その施術が功を奏し、郭家の面々の命は救われた。

 そして、蘇華文がそうだったように、それぞれが別人のように大人しくなった。

 雹華は『心が摩耗した』と言っていたけれど、春菊はそんな彼等を前に、どうしたものかと悩んでしまった。

 その状態で、重犯罪を取り扱う大理だいりにて、自分たちが犯した罪について説明出来るだろうか。


 途方に暮れる春菊の代わりに、画院長があれこれと動いてくれ、その日の騒動はとりあえずのところおさまった。

 その後も画院長が事後処理をしてくれたため、春菊は長々と質問され続けることなく、こうして職場に復帰出来ている。

 

 今は画院長も事後処理から解放され、郭家に対する処置については天佑が主体になって進めてくれているようだ。

 左丞相は後宮に異物を運び込んだ疑いで、大理だいりで尋問を受ける予定とのことだが、蠱の存在については伏せるようなので、どのくらいの罪になるかは春菊にはさっぱり分からない。

 ただ、天佑は左丞相が行った数々の悪事についてもまとめて告発するらしく、郭家の当主は左丞相の位から降ろされることになるかもしれないとのことだ。


 ちなみに、雨桐は行方が分からなくなってしまっている。

 左丞相家に挨拶しに来た彼女と話した感じでは、あの奇石に蠱を仕込んだのは彼女なんじゃないかと思わずにいられなかったが、あれから全く会えていないので、真相は分からないままだ。


(そういえば、老鄧と呼ばれていた人もいつの間にか消えていたんだった。雨桐とは、血のつながらない母娘みたいだったけれど、今は一緒に行動しているのかな? また蠱術を使って悪事を働いていたら嫌だなー)


 春菊は彼女達のことで、もう一つ気がついたことがあった。

 旧市街にあった香洛様式の住宅数棟のうちの一軒に、”鄧”と文字が書かれた提灯が吊るされていた。

 それだけだったら、奇妙な偶然とだけ思ったかもしれないけれど、画院であの住宅の画を描いた時の雨桐の反応からして、彼女と関係の深い建物なのだと察してしまった。

 春菊はどうしても確かめたくなり、こっそりと再びあの家に行ってみた。

 すると、以前あったはずの赤い提灯はどこにも無くなってしまっていて、家屋の裏口付近に幾つかの壺や薪が転がるのみだった。

 だけども、建物周辺の不穏さが隠せていたわけではなかった。

 大きな壺には濃厚な邪気がまとわりついていて、これに悪しき物が入れられていたのは明白だった。

 一度蠱術師宅に住んでいたからこそ、あれこれと考察がはかどった。


 つまりは旧市街のあの住宅が造蠱の現場だったということなんだろう。


 春菊はそこまで考え、ため息をつく。

 これ以上考えても不毛でしかないから、今やっている作業に集中すべきだろう。

 

 別の絵具に手を伸ばすと、画材室にひょっこりと副画院長が現れた。


「菜春菊。貴女が描いた画を太医院に納品しにいきましょう。その作業がひと段落してからで全然構いませんから」

「あ!! 今納品しに行くよ。あの画は太陽が高い位置にある刻限に、もっとも綺麗に見えるはずだから」

「では一緒に向かいましょう。あ、脚立を忘れてはいけませんね」

「僕が持って行く!」

「いやいやいや。貴女の身長と体重から考えるに、脚立きゃたつを持ったら風にあおられてしまい、まともに歩けないでしょう。脚立は私が持ちますから、貴女は画と掛け軸をお願いします」

「分かったー!」


 春菊は元気良く返事を返してから、乾かしていた画を丁寧に軸箱にしまい、副画院長の後に続く。


 外に出ると、随分爽やかな風が吹いていた。

 そういえば、端午節に近い頃合いなのだ。雹華は造蠱作業に忙しくなり、春菊が話に行っても相手にしてくれなくなるだろう。

 それを思うと少し寂しい。


「––––そういえば、郭家のご令嬢の……、巧玲という名でしたっけ?」

「あ、うん」

「ご縁談がまた無くなってしまったみたいですね」

「あらら。大変だね」

「静水城では左丞相が持ち込んだ石の所為で、謎の奇病が広まったのではなないかとの噂が広まってしまっています。その真相が明らかになれば、……いや、真相が明らかにならずとも、あの方の失脚は確実でしょうね。失脚した方の娘との政略結婚なんて、上流層の方々にとっては意味の無いものですから」

「白都で婚姻を結ぶのって難しいんだなぁ」

「それはそうですよ! 簡単であれば私が独り身のはずありません!」

「ほー? なるほど」


 上流層の結婚事情というのを理解するなんて、春菊には不可能なんだろう。


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