三章⑨

 羅家は蠱術師の家系なのだと雹華に聞いたことがある。

 その生業なりわい一本で立派な屋敷を築き上げたほどなのだから、多くの人間に蠱術による影響を与えてきたのだろう。


 羅家の広い敷地内には建物が三棟あり、そのうち二つは造蠱ぞうこに利用し、最奥の一棟だけを居住用としている。


 春菊は少し懐かしい気分になりながら、雹華ひょうかに話しかける。


「ねぇ、雹華。君の言う鶏って、やっぱり蠱がついているの?」

「そうよ。お前に私の蠱をことごとく封じられたから、新たに造ったの。鶏を媒介とする蠱––––鶏蠱というんだけど、初めて造るからあまり出来は良くないわ」

「ふむふむ。僕、たぶんその鶏蠱を新市街で見かけたことがあるなぁ。悪さをしそうだったから、画で封じちゃったけど」

「白都には私の他にも蠱術師がいるから、その人が造ったのかしらね」


 彼女の話を聞きながら、春菊ははっとする。

 雹華に圭国中の蠱術師の名を教えてもらえたなら、静水城で事件を起こした人間が絞り込めるかもしれない。


「雹華は圭国で活動する全ての蠱術師の名前を知っている?」

「全員は知らないわよ。この国がどれだけ広いと思っているの?」

「それもそうかー」

「ただ、蠱術師は決まって女なの。身寄りがなく、独り身の孤独な人間。あたしやお前みたいな、ね……。社会から弾かれてしまった女が目を付けられ、蠱術師の跡を継ぐために養われるのよ」

「そう言えば前もそんなこと言ってたね」


 のほほんと会話する春菊とは逆に、雹華の目つきはだんだん鋭くなっていく。


「……一応言っておくけれど、静水城の例の件に、私は関わっていないわよ」

「知ってたんだ?」

「そりゃね。何かが起こると真っ先に怪しげな術を生業にする者が疑われるのよ。お偉いさん達は、私たちがたとえ無実だとしても、適当に捕まえて罪を着せるんだから、可能な限り自分で情報を集めて、自衛しとかなきゃならないの」


 確かにその通りなのかもしれない。

 だからこそ、今みたいな全ての蠱術師に疑いの目が向いているような時期は目立たないように過ごしたいのだろう。しかし、だとしたら何故春菊に蠱を使うような依頼を引き受けたのか?

 雹華は春菊の疑問を汲んだように、郭巧玲かく こうれいからの依頼について語りだす。


「先代の蠱術師と左丞相家は深い関わり合いがあったの。羽振りのいい仕事をくれたり、犯罪関与の疑いをもたれたら、うやむやにして罪に問わないようにしてくれたり、凄く良くしてもらった。だから左丞相家の人間からの依頼は断りづらいのよ」

「この国で仕事をするには、縁が大事だものね」

「その通りよ。でも、あのお嬢様の新たな結婚相手となったお方への蠱術は……、後々あたしの首を絞めかねない。だから、あんたに適当に蠱術を使ってお嬢様の苛々を鎮めようってわけ」

「おー、そういうことなんだ。事情は分かったよ、君にはかなり世話になったから、君の言う通り、鶏蠱は引き受けよう!」

「ありがとね」

「でもさー、僕が蠱にあたったかどうか、向こうはどうやって判別するのかな? 分からなかったら、雹華が依頼に応えたってことにならなくない?」

「お嬢様と話をしてみて分からなかった? 向こうは楊家の使用人の中に、郭家の者を何人も忍び込ませているの。だから、お前やあの美しい当主の言動は筒抜けってわけ」

「そういうことだったんだ!」


 言われてみると、楊家では妙に春菊に対して当たりの強い使用人が居る気がするし、やたらじろじろと見てくる人達も居る。

 あの人達が郭家の息のかかった使用人だったりするもかもしれない。


鶏蠱けいこに取り憑かれた人間は、鶏鬼けいきになり、喋る言葉が全て鶏の鳴き声になるのよ。そして痙攣したり、おかしな行動をとったりするの」

「へー、ちょっと愉快な人みたいになるんだね。でもそのくらいなら、僕にもそれっぽく振る舞えそう!」


 春菊に蠱は効かないが、そのくらい分かりやすい症状なら、春菊にも一芝居打てそうだ。

 楊家に帰ったらさっそく目立つ場所でやってみようと決めてしまう。


 雹華は春菊に頷いた後、「そこで待ってて」と、最奥の建物へと入って行く。

 大人しく待っていると、彼女は一抱えもある籠を持って戻って来た。

 中に入っているのは暴れ回る一羽の鶏。けたたましく鳴きわめく様は闘鶏よりも酷い有様で、これを持って帰ったなら街中の注目の的になりそうだ。


「僕が以前見た蠱がとり憑いた鶏と同じ状態だ!」

「扱いには気をつけなさいよね。他の人を襲わせたなら、恐ろしいことが起こるわよ」

「分かってる!」

「それと、もうお前はここに来るんじゃないわ」

「え……」

「楊家のお抱え画家になったんでしょ? あたしもお前と会うことで痛くもない腹を探られたくはないし、面倒ごとに巻き込まれたくもない。もう会うのはこれっきりよ」

「……でも君は恩人だし、何かあったら助けてあげたいよ」

「ふん。思い上がらないで。ほらもう行って」

「またね」


 もう雹華との友情が元通りになることはないのだろうか?

 少し寂しくなる。


 春菊は何度も振り返りながら羅家の屋敷を後にした。



□■□■□■□



「––––––––さすがの私でも怒ることがあるということを忘れないでもらえますか?」

「ひょっとしてさっきのこと?」

「ええ、もちろん」


 燭台の光のみが照らす楊家の客間にて、天佑は形良い額に扇子を当てながら、困り果てた顔をしている。

 というのも、つい数刻ほど前の春菊の行動があまりにも酷かったからだ。

 多くの使用人達が見つめる中で、いたって真面目に狂った鶏の真似をしてみていたのだが、うっかり楊家の主人である天佑にも目撃されてしまった。


 ”雅”を愛する彼には許し難い暴挙だったようで、春菊はその場でこっぴどく叱られた。そして身動きが取れないように身体に縄をかけられたまま、客間に連れて来られ、今日一日何をしていたのか白状させられている。


 仕方がなしに天佑の元婚約者の件を除いた全てのことを説明すると、盛大なため息が返ってくる。


「お馬鹿としか言いようがありません……」

「だって白都に来たばかりの頃、雹華にはだいぶお世話になったんだよ。恩返しをしたかったんだ。あっ! また誰か来た。コッコッコ、コケコッコー! コケコケー!!」

「おやめなさいっ!」


 入室してきたのは天佑の従者で、春菊を見て腹を抱えて笑い出す。

 何がおかしくて笑われているのか全く分からないけれど、もしかすると春菊が蠱にかかった人間の悲惨さを表現しきれていないのかもしれない……。

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