5. 幽霊の正体(1)

 侍女たちの目撃証言から、この幽霊騒動の主役たる者の輪郭が浮かび上がって来た。

 性別は女性。歳はわからないがまだ若い印象を受けるといい、これは誰に聞いても一致した意見だった。

 主にこの女性の幽霊は真夜中近くに姿を現し、泣いたりわめいたり恨み言を言ったりしているという。時には暴れて物を壊すとも言っていた。

 現れる場所は様々だが、特に多いのは皇帝の住まう金紫宮。部屋の中に姿を現したりはぜずに、扉を外から開けようとガチャガチャしていることが多いという。また、金紫宮の食堂に出ることも多いのだとか。


「夜の皇宮って綺麗なんだなぁ……」


 月の明るい夜。よく幽霊が出るという広い食堂を歩きながら、ジャムが独りごちる。

 明かり取りとして上方に取り付けられた窓からは、清涼な月の光が降り注いでいる。それが大理石でできた縦長の食卓を青白く光らせる様は、まるで精霊の仕業のようだ。それがより神秘的な雰囲気を醸し出していた。


「あら、これくらいどうってことないわよ」


 パフィーラは特に珍しさを感じないようですましたものだ。

 誰もいなくなり灯りの消えた食堂に、二人の足音が静かに響く。


「早く出てきてくれないかしら」

「そうだね」


 食堂を抜けて、廊下に出る。わざと曲がりくねったり分岐したりと複雑な構造に造られている金紫宮の構造は、すでに頭に入れてある。

 必要最低限の灯りと、窓から差し込む月光。その非日常さがジャムの心を浮き立たせる。


「ケツァールはこんなところで働いてるんだな。俺、見直したよ」


 ジャムはお世辞にも賢いとは言い難い。いまだ定職にもつけていないから、日雇いでなんとか食べている有様だ。

 もちろん、亜人種だから嫌煙されているのは感じなくはない。それでも、ジャムには人間の友人も多く、助けてくれる人もいる。魔法の力を持つと知っている者も多くいるため、他の亜人種よりもあたりは控えめだ。

 つまり、ジャム自身が甘えていると言ってもいい。

 それに引きかえ、ケツァールは立派だ。彼は他国からディアマンティナへ来て住み着いたため、ただでさえ不利だったのにそれをものともしていない。ついには皇宮に勤めるようになったのだからすごい。


「まぁ〜ジャムはいいんじゃない? わたしと一緒に都を出るんだもの」

「まだそれ言う? 行かないって言ってるのにさ」

「行くわよ。そういうことになってんの」


 そう断言されると、なんだか雲行きが不安になってくる。

 しかし、その不安は小さな泣き声によって遮断された。


「……っ、パーフィ」

「やっと出てきたわね。皇帝へーかの寝室の方かしら?」

「そうだね。行ってみよう」


 レーシタント帝国の皇帝、ユーカス・アルス=ストーリアはまだ二十五歳の若き王だ。五年前に帝位についていた姉の病死により帝位についた。

 レーシタント帝国は、有史以来ずっと女帝が治めてきた国だ。しかし、今はユーカスの他に皇位継承権を持つ者がいない。

 いずれユーカスが結婚し女子が産まれれば、次はその女子が帝位を継ぐだろう。

 その皇帝ユーカスの寝室へと二人は一直線に進む。

 早足で入り組んだ廊下を歩く。夜遅いとはいえ、ちらほらいたはずの使用人たちの姿は見えない。みな、幽霊に恐れをなして部屋に逃げ込んだのかもしれない。


「こっちだ」


 右手の通路を曲がる。泣き声がはっきりと耳に届く。悲しげに泣く女性の声。

 泣いているということは、悲しいことがあったのだろう。

 皇帝の部屋への最後の角を曲がる。そこから伸びる廊下の突き当たりには、帝国の象徴とも言えるフェニックスをかたどった鉄製の大きく豪勢な扉。

 そしてその扉の前に、幽霊は、いた————。

 しゃがみ込んで扉を叩いたり押したりしながら泣いている。こちらには背を向けている形だ。

 豊かな赤みがかった金髪が背に流れていて、その身を包むのは宝石や金糸を贅沢に使った豪奢なドレスだ。どうやらかなり身分が高いか、お金持ちだった様子だ。身体の向こう側の扉が透けて見えていることから、彼女が問題の幽霊であることは間違いなかった。

 確かに、背を向けていても若い印象がある。それは見た目がどうというより、肌で感じるのだ。

 近づく二人の気配に、泣き声がぴたりとやむ。


「えっと、あのさ……」


 幽霊退治と称して来たものの、泣いている姿を前にするとどうしていいかわからなくなる。

 泣いているのは、泣く理由があるからだ。それを一方的に退治なんてしていいのだろうか。


「なんでそんなところで泣いてるんだ? 良かったら理由とか、聞かせて、くれないかな……?」


 女はなにも答えない。無言で、それでも頭を上げた。静かに立ち上がる。そしてゆっくりと二人をふり返った。


「————ッ‼︎」


 その姿に、ジャムは鋭く息を飲んだ。彼女はその瞳を悲しみに染め、口から大量の血を流していた。その血は首を走り、胸元からお腹の辺りまでを真っ赤に染め上げている。

 そしてなにより、その顔————。


「セレン…へい、か……?」


 顔色は蝋のように白く、目は落ち窪みほおは削げていたが、ジャムはその顔をはっきりと知っていた。

 まだ幼かった頃のジャムの頭をなで、面会のたびにその力を良きことに使いなさいと言ってくれていた人。

 その幽霊は病気で亡くなったはずの前皇帝セレン・アルス=ストーリアだった。

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