2. 旅立ちは突然に

「あら、ジャム! 久しぶりじゃない」


 ジャムが息せき切って逃げ込んだ酒場で、一番に声をかけてくれたのはカウンターに座っていたエダだった。

 エダはジャムの五人いる養母のうちの一人だ。


「ああ、エダ。久しぶり」


 ふうーと大きく息をついて、彼女の隣に腰かけ、ひとまず水を頼む。


「なに疲れてるのよ、らしくないわね」

「ちょっとねー」


 げっそりしつつ、ジャムは先ほどのパフィーラとの衝撃の出会いを話して聞かせる。


「まぁ。ちゃっかりしてるわねー」

「感心してる場合じゃないって。俺、コンスタンス姉さんから借りたお金も返せてないんだぞっ」


 馬鹿ねえとつぶやいてエダが笑う。


「お金なんか借りなくてもなんとかしてあげたのに」

「いや、でもさ! 俺もエダたちに頼ってばっかじゃダメだろ?」

「その結果が借金なの?」

「う……いや、ちゃんと俺自分の力で返すからさ」


 今まで甘えてばかりだった。それでは駄目だとやっと思って一人暮らしに踏み切ったが、現実は甘くない。上手くいかないことばかりだ。

 それでも、ここでまた甘えて元の生活に戻るのも違う気がする。

 いつまでも母親たちの脛をかじっていては、今日みたいに逃げ出さなければならないままだ。合わせる顔もない。


「とにかくっ。あんな金払えるわけないだろっ。まだ借金も返していないのに弁償とか出来ないし。だいたい、あれは詐欺だ。ふっかけ過ぎだっ」

「ふーん。だから逃げてきた、と」

「そういうこと」


 そう返し、うなだれつつ運ばれて来た水を一気にのどへと流し込む。神経をすり減らした後だからなのか、ただの水でも心底美味しい。


「まぁ、でもあの子のことはいいよ、もう会うこともないだろうし。問題なのはコンスタンス姉さんからの借金だよなぁー」


 再び、ため息。そして、カウンターにほおづえをついた、その時。


「あらそうかしら?」


 ジャムの背後から鈴を転がすような可愛らしい声。その声に、思わずしっぽが縮み上がる。

 まだ記憶に新しい声だ。その声がもたらす嫌な予感に、頭上の猫耳も寝てしまう。


「エダ、なんか、言った……?」


 ふり返らずに、横目でエダにたずねる。


「なにも言ってないわ」


 エダは首を横にふり、ジャムの背後をのぞき込む。


「あら、可愛いお嬢さんね」


(——ッ⁉︎)


 うそ⁉︎


「あら、やっぱり? そうよねー、天上天下超絶美少女のこのわたしより美しいものなんてないわよね。うふふふふふ」


 その口調。もしかしなくっても……。

 ゆっくりと、まるで錆びた自動人形のようにぎこちなくふり返る。

 はじめに目に入ったのは淡い空色。


「ぎゃあっ‼︎ なななっ、なんでここにいるんだよっっ‼︎」


 そこでにこにこと笑っていたのは、間違いようもなくパフィーラ‼︎

 心拍数が一気に上昇する。

 驚きすぎて心臓発作であの世へさようならするところだった。目の前に花畑が見えた気がする。


「やーねー、なに蛙がひしゃげたような声出してんのよー」


 彼女は、ジャムの声に少し顔をしかめ、けれどまたすぐに笑顔に戻った。


「ほらね、無駄だったでしょ? もう、だから言ったのにー」

「————……」

「さっ、耳をそろえて払ってちょうだい♡」


 パフィーラはにっこにこの笑顔でジャムの前に手を差し出す。


「なんで俺がここにいるってわかったんだよ……」

「わかったからよ。そうでしょ? それ以外に理由なんてないわよ」

「は⁉︎」


 わからない。そんな答えではぜんっぜんわからない‼︎


魔法使いマジシャンか……?」

「魔法使い? そうねー、それでいいわ。わたし魔法使いなの。ん、これで説明はついたわね♡」

「その『じゃあ』ってなんだよ『じゃあ』って⁉︎」


 なんだそれは‼︎ それならば、ジャムが盗賊シーフと言えばじゃあそれでいいわと言ったとでも⁉︎


「んもうー。なぁに? じゃあなにがいいのよー。どうして欲しいの?」

「どうしてって……いやそういう問題じゃないだろ⁉︎」

「いーじゃないのよー。そんな小さなこと気にしてちゃ大きくなれないわよー」


(なんなんだよッ)


 怖い、あらゆる意味で怖い。

 ここで逃げ出してもまた見つかる気がする。やってみなければわからないが、なぜかそんな確信があった。

 この美少女は、ただ愛らしいだけではない、敵に回してはいけないタイプだ。それをジャムの本能が告げている。


「と、とにかくっ。ごめん、悪かった許してくれっ俺はまだ生きていたいんだよっ」

「なによそれ。まぁーいいわ。わたし、あなたのこと気に入ったわ。わたしと一緒に来ない? そしたら特別に許してあげるから♡ ね?」


 一緒に? どこへ?


「わたしの行くところどこへででも♡」


(ぎゃあっ)


 どうして、どうして考えていることがわかる⁉︎


「やーね、だから魔法使いだって言ったでしょお? ボケるのには早いわよージャム」


 魔法使いって、あれは本当のことだった⁉︎ しかし、魔法のの力はとっくの昔に使えなくなってしまったはずだ。

 そんなことを考え、パニックで泡を吹きかけたジャムにパフィーラは笑顔で頷く。


「ま、ある意味そんなモンだしね」


 そして、ジャムの腕を取って引っ張る。


「さ、行きましょ♡ 天上天下超絶美少女のわたしと行けることを神様にでも感謝なさい。大丈夫、ちゃーんと導いてあげるわよ」


 そう言って、パフィーラはエダに向くと彼女にウィンクした。


「じゃあ、ジャムもらって行くわねー」


 そのまま、わけがわからずに放心状態で力の抜け切ったジャムをパフィーラは引っ張った。


「うふふふふふ♡」

「ちょ、ちょっと待てよっ」


 突然のことに目を白黒させつつも、その場に踏みとどまろうとしたジャムの努力は無駄に終わった。どう見ても十歳前後だろうはずのパフィーラの力が意外に強かったからだ。

 椅子から落ちそうになり慌てて立ち上がると、ここぞとばかりにパフィーラが腕を引いて歩き出す。それに引きずられるように足を前に出すしかない。


「ちょっと待てよぉ〜‼︎」


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


 ジャムの悲痛な叫びを最後にして、酒場にはまたいつもの空気が流れ出した。もう、あの二人の姿はどこにもない。


「ちょっと寂しいわね〜」


 パフィーラに引っ立てられていく息子の姿を見送り、エダは小さくため息をついた。

 あの少女が何者かはわからないが、きっと大丈夫。そこは心配はしていない。

 ただ、寂しい。ジャムは旅立っていく。もう、エダたちが抱きしめてかわいがってやれるような子どもではないのだ。


「いってらっしゃい、ジャム」


 こうして、彼らの旅は始まる。それは、時の紡ぐ悠久の物語。

 旅立ちを迎えたのはジャムという名の若者。導くのはパフィーラという名の少女。

 二人の前に道は続く。それを目指し、望む限り、永遠に。



【第五話 蒼天の導き手 完】

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