第五話 蒼天の導き手
1. 角を曲がったら美少女が!
良く晴れた昼下がりの街中。
「この天上天下超絶美少女のわたしの顔に傷をつけるなんて許せないわっ‼︎」
キーンと鼓膜に響く高い声。その声に閉口しつつ、ジャムは目の前の少女を困り切った表情で見つめた。
ちょうど昼時だからか、周囲には人がごったがえしている。その好奇の目が少女とジャムに注がれているのにもいっこうに構わないで少女は怒鳴る。
「わたしに傷をつけることが許されているものなんてこの世にないのよ! そんなこと神でも許さないわ‼︎ それなのにどぉいうこと⁉︎」
ものすごい勢いだ。
パフィーラと名乗った少女は、見たところ十歳前後。背もそれなりに小さい。けれど、自称しているだけはあってかなりの美少女であることは認めなければならなかった。
ゆるくウェーブを描く淡い空色の髪。澄み切った青い瞳。その身を包むのは、場違いなほどひらひらとした純白のドレス。
しかし、そんな彼女の手のひらには小さな、本当に小さなかすり傷があった。
それが、ジャムが彼女につけてしまった傷。
「あ、あのさぁ……それ、すぐ治ると思うから、そんな怒らなくっても……」
「すぐ治るですって⁉︎ この乙女の柔肌に傷つけといてそれ⁉︎ 治らなかったらどうしてくれんのよ弁償してくれるの⁉︎」
人差し指をびしっとジャムに突きつけて怒鳴るパフィーラに、つい反射的に頭上の猫耳をぺたんと伏せてしまう。怖い……。
ジャムは猫科亜人種だ。猫の耳としっぽ、そして猫の身体能力を持つ亜人種。そのため、身軽で足も速い。その気になればパフィーラから逃げ切ることなどたやすいだろう。
しかし、そうできないのはパフィーラの迫力に押されているからに他ならない。
「いや、その、ごめん……」
ますます縮こまっていく耳。しっぽも知らず股の間に入り込んでしまっている。
パフィーラは、幼さを残すもののはっきり言って美少女だ。その美少女が怒りをあらわにした時の迫力といったら言葉では言い表せないほど。美人ほどおっかないというのは本当だなと、ジャムはこれまでの経験から結論付けた。
「ごめん⁉︎ ごめんで済めば治安警備隊なんていらないのよっ」
「だからっ、ごめん‼︎ わざとじゃないんだよ、許してくれよぉ」
ただもうひたすらに胸の前で合掌して謝るが、いっこうにパフィーラの表情はゆるまない。
(どうして俺、こんなに怒られてるんだよ〜)
たしかに、非はジャムにあったのだ。
通りの向こう側に、よく見知った顔を見つけてしまった。今顔を合わすのは少し気まずい間柄だったため、その人物の進行方向とは逆側に急いで走ったのだ。そしてその後ろ姿をふり返りながら角を曲がって、パフィーラと激突してしまったのだ。
完全にジャムの前方不注意だ。それは事実。
パフィーラにぶつかり彼女を転ばせてしまったのは悪かったと思っている。思ってはいるが、ずっとキーキー言われているとその気持ちもだんだん小さくなって来てしまう。
「ああもうっごめんじゃ済まないわよ、わかってんの⁉︎ このドレスだって、まだ新しいのよ⁉︎ それがこんっなに汚れたじゃないのよ!」
こんなにとはいっても、ジャムの目には叩けばきれいに落ちるんじゃないかという程度の汚れにしか見えない。
「じゃ、じゃあさ。どうすれば許してくれるんだ? 教えてくれよ」
「あら、そう?」
瞬間。パフィーラの顔が怒りの形相から極上のほほ笑みに変わる。それはそれはえも言われぬような満面のほほ笑み。
嫌な予感が……。
「そうねー、まずドレスは弁償ね。新しいの買ってちょうだい♡ それからぁ、慰謝料として百万
「うそ……」
「ほんと♡」
(ハメられたっ‼︎)
今になってやっと、なぜあれほどまでにパフィーラが怒っていたのかがわかる。そうだ、それが目的だったのだ。
「ほら、教えてやったわよ? さ、どうぞ」
一歩。笑顔で迫って来たパフィーラに、怒っている時よりもさらに恐怖を感じ後ずさる。
(に、逃げようかな……)
やっとここに来てその考えが浮かぶ。パフィーラはなんといってもまだ子ども。猫科亜人種であるジャムの足に敵うはずがない。
逃げよう。そう思ってきびすを返そうとしたその時。
「逃げても無駄よー」
「——ッ‼︎」
なんでわかったんだ⁉︎ とつい心の中で悲鳴を上げる。
「天上天下超絶美少女のこのわたしから逃げられると思ってんの?」
パフィーラの表情はあくまで極上。
冷たいものが一気に背を駆け降りて行く。
「いや、ほら。やってみないとわかんないだろ? 俺、猫だし」
「そう? じゃあやってみて♡ あとで後悔するから。ほら」
パフィーラは自信満々な調子でジャムをうながす。
その自信が怖い。
けれどジャムは今、親しい人からとはいえ借金をしている身だった。しかも返済期限はとっくに過ぎている。もちろん返したいが、今は自分が食べていくだけの稼ぎしかなくなかなか難しい。それなのにまた借金が増えるなどとんでもない。
これは、逃げるしかないだろう。
「そうするよ……。じゃ、じゃあ……」
はは、と引きつった笑みを浮かべ、今度こそジャムはパフィーラに背を向けて走り出した。脱兎のごとく。
そして。そのことをジャムはすぐに後悔することになるのである。
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