8.夢から覚める時
「わたし、知ってたです。お師匠さまが父さま殺したの」
「ええっ⁉︎」
「本当です。あの人、銀色の水、父さまに注射したですよ」
虹色の空間。そこで目が覚めたジャムを待って、胡蝶が話してくれたことはこうだ。
父と二人で旅をしている途中、森の中で道に迷ってしまった。それを素材収集に来ていたかの錬金術師が助けてくれたそうだ。
しかし、彼の家まではずいぶんと距離があった。やっと辿り着いたその時すでに、胡蝶の父はかなり弱っていたという。
真夜中、胡蝶はふとした物音で目が覚めた。疲れのため体は動かせなかったが、父と錬金術師が話しているのが見えた。そこで、錬金術師が父によく効く薬だと言って銀色の水を注射したのを見たのだ。しかし、押し寄せてきた眠気にすぐに眠りについたのだという。
そうして、朝になると父は冷たくなっていた。
「最初は衰弱死と思ってたです。だけど、お師匠さまのところで暮らすようになってわかったです。あの銀色の水は毒だって」
「毒……でもどうして父さんだけ?」
「あんたの力が欲しかった。でしょ?」
「そーです」
胡蝶の力?
「お師匠さま、錬金術と魔術の融合を目標にしてたです。わたし、小さい頃から高名な魔術師様に魔術教わりました。強力な魔術も、複雑な魔術も自由に組み合わせて使えるよーになってました。だから……」
錬金術師と会った時に、胡蝶はそれを言ったのだ。そして実際に森で遭遇した魔獣を倒しもした。
その才能を錬金術師が知るのには充分だっただろう。
「そうか……」
うつむいた胡蝶になにも言えなくなる。
魔術に秀でていた胡蝶。パフィーラにけしかけた炎の狼も魔術で生み出したものなのだろう。だとしたら凄い才能だ。そして、それは良いことだったはずだ。魔術を教えていた人も、教え甲斐があっただろう。
その才能を錬金術師が欲した。保護者の命を奪ってまで手に入れたいほどに。
「そーです。そして……父さまは標本になったです。亡くなってしまったから、せめて標本にってお師匠さまは言ってました。でも標本にするには生きてるうちでないと駄目です。お師匠さまの理論が本当か実験台にされただけなんです」
「標本……?」
「そんなの許せないです」
ジャムは首を傾げた。その横でひどいことするわねとつぶやいたパフィーラに、視線で説明を求める。
「銀色の水をね、まだ人が生きてるうちに血管の中に注射で入れるの。血液に乗って全身を回った銀色の水はやがて固まるのよ」
「……なんだそれ」
全身から血の気が引いたのが自分でもわかった。
毒殺だって非情だしどうかしていると思う。先日知ってしまった先帝セレンの最期はショックだった。
だが、錬金術師のそれはもはやその域をこえている気がした。
そうなるだろうと思ってはいたが実践出来ないでいた事を、行き倒れた見知らぬ男で試しただなんて。
「わたしは、父さまに体力回復の魔術も使いました。でもどんどん衰弱してました。遅かれ早かれ父さまは亡くなってたと思うです。でも」
まだ生きていたのに命を奪われた。それを許すことが出来ない。胡蝶はそう言ってうつむく。
当たり前だ。ジャムでさえ怒りがわく。
そんなの人間のすることじゃない‼︎
「狂ってる……」
「狂喜と狂気、馬鹿と天才は紙一重、ね。ある意味天才だけど、それは狂気につながってる」
「わたしも数週間くらいは、標本としてでも父さまの姿がある事が嬉しかったです。でも、やっぱりもう生きてないのが悲しくて、お師匠さまにお願いして父さまを埋葬しました」
父親がいなくなり、胡蝶は錬金術師と暮らすようになった。錬金術師は胡蝶をいたく可愛がり、さまざまな知識も与えてくれた。
それが仇となって、胡蝶は銀色の水の真実に気がついてしまったのだ。
ぽつぽつとそう話す胡蝶の声の中に、かすかに交じる愛情に気がついたがジャムにはなにも言うことができない。
「お師匠さまは、わたしのことを本当の孫のように可愛がってくれてました。それは本当だったって知ってます。いろんなことも教えてくれました」
錬金術師は胡蝶を愛していたし、彼女もそのことを知っていた。だからこそ、真実に気がついてショックを受けただろう。愛していた分、憎しみも大きかったかもしれない。
それでも、なお情を感じている様子なのが痛ましい。
「でも許せないです。許せるわけないですっ。だからわたし、賢者の石に細工したですよ」
生命の水を作り出す実験中。賢者の石に力を注ぐように言われ、胡蝶はこの失敗作の水を作るためだけの魔力と魔術を注いだという。つまり、この水は賢者の石と胡蝶の魔術によって作られたらしい。
それはそれですごい話だ。異界を作ってしまうなんて。
「そうやって、賢者の石を封じたのね?」
「そーです。お師匠さまは許せなかったですけど、殺したらわたしも同罪です。だから殺さずに絶望を与えようと思ったです」
そう言って胡蝶が取り出したものは、手のひらに乗るほどの赤い石。
「賢者の石?」
「そーです」
「ふうーん……」
パフィーラはなにを思ったのか、その賢者の石を見て考え込んでいる。
「こんなものいらないです。壊して下さい」
「あ、待って。ジャム」
「なに?」
「この賢者の石に水の夢を入れてみて」
「夢……って、あ」
この賢者の石に寄生させる?
「そういうこと。この賢者の石はそのままこの湖に沈めちゃいましょ」
そう言ってパフィーラは胡蝶の手のひらから賢者の石を取ると、ジャムの手のひらに乗せる。大きさはさほどでもないが、意外と重たい。
「永遠に水の夢を見せればいいわ。そうすれば、この湖は水の夢によって水になるでしょ?」
「そっか」
それによって賢者の石を封じることにもなる。
「それでいい? 胡蝶」
「はい」
胡蝶がやわらかくほほ笑む。それはどこかほっとしたような表情にジャムには見えた。
そうだ、本人だけが知る愛情を他人がどうこう言うことはできない。
「そ。じゃあさっさと外に出ましょ」
「え? なんで?」
「ジャムってば、どーして肝心なとこわかんないかなぁ〜水の夢を見せるのよ? 水の。ジャム、泳げないんでしょ⁉︎」
「あ……」
そうだった。水の夢を見せれば、この空間は水に変わってしまうのだ。
「んもぅ。 あ、それから胡蝶 。この湖の外ではね、五百年経ってるから」
「はい?」
「五百年よ‼︎ あんた時間の流れを頭に入れてなかったでしょ。だからここではたいした時間は流れてないけど外では五百年経ってるわ。もう魔法は大昔のもの。今は魔法使える人なんていないに等しいから」
「ふええ……?」
胡蝶は混乱して、今にも泣きそうな顔をしている。それはそうだろう、少し眠って目を覚ましたら五百年経ってましたなんて。
「だから人前で魔術をむやみに使っちゃダメよ? 今の人たちは魔法なんて知らないんだから」
「ふえ〜」
もう胡蝶の瞳は点だ。
「そ、そうだったですかぁ〜。ふえええ〜」
(胡蝶、ディアマンティナ見たら相当ななカルチャーショック受けるだろうなぁ)
なんと言っても世界一とも言われる都だ。胡蝶の夢の中の街と比べると規模も大きさも違いすぎる。
いいや、今は考えるのはよしておこう。
「わかった? わかったら魔術使わないのよ?」
「はぁい……」
と、そこでジャムに一つの疑問がわき起こる。
「パーフィ? 胡蝶ってなんで魔術使えるんだ? 人間が魔法を失った時さ、現役の魔法使いたちもその能力を一斉にになくしたって、習ったけど」
史実ではそういうことになっていたはずだ。
「ん? そんなの簡単よ。胡蝶はまだ魔法が使えた頃の人間よ。そして人間が魔法を使えなくなった時はすでにこの異界にいたわ。影響を受けてないの。魔法の力を失ってないのよ」
異界ってのはまったく別の切り離された世界だから。そう言ってパフィーラが得意げに胸を張る。
「へえ」
「じゃ、行きましょうか?」
「そうだね」
「胡蝶、あんたの魔術でわたしたちを外に出せるわね?」
「はい!」
大きく頷いた胡蝶が、少しだけ上を向いてなにかを考え出す。しかし、すぐによし、とつぶやいて両手を上へかざした。
そこに現れたのは、淡い光を発する複雑な紋様の大きな魔法陣。
「魔素で出口作りましたー」
「へえ、これ、あんたが今組み上げたの? よく出来てるわね」
「ありがとです」
「でもそうね、ここはちょっと変えたほうがいいわよ。こっちの方が発動が楽なはず」
パフィーラがそう言った途端に魔法陣が輝き、その紋様を少しだけ変えた。ジャムにはなにが起こったか全くわからなかったが、胡蝶はおぉ〜! と感嘆の声を上げている。
「パフィーラさん凄いですっ! 魔素が通りやすくなってます!」
「でしょ? あと出る位置はわたしが調節しておくわ。これじゃ水面に出ちゃう」
「そんなこと出来るですか〜はぇ〜泳ぐつもりでしたぁ」
「ひぇっ」
泳ぐつもりだった? ジャムが泳げないという話を聞いていなかったのだろうか。
いや、パフィーラの話からすると胡蝶の魔術では水面に出ることしか出来ないのだろう。危なかった。
「じゃあお願いね」
「はい!」
魔法陣が頭上からゆっくりと降りてくる。そして、三人に覆いかぶさって、身体を貫通しながら下へと動いていく。
魔法陣が頭を通り抜けた瞬間に周りの景色が変わる。そこは湖のほとり。
やがて魔法陣が地面へと吸い込まれるようにして消えていく。
草原と、湖。そして舗装された石畳の道路。
「ここが五百年後の世界ですか? わたしの頃とあんまり変わりませんねっ」
にこにこしながらそう言った胡蝶がカルチャーショックを受けるまで、あと一時間……。
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