第二話 水の中の都
プロローグ
事のはじまりは大昔へとさかのぼる。
その日も彼女は師である老人とともに実験に熱中していた。
「ねえ、お師匠さま。本当にこんな石から造り出せるですか?」
長い黒髪を三つ編みにして背に垂らした彼女は、舌ったらずな調子でそう言い老人を見上げる。その青みががった黒い瞳は不安気で、ともすれば泣き出しそうだったかもしれない。
そして、彼女の持つこんな石とは、ちょうど椿の実くらいの大きさだろうか。赤い色をしている。その赤い色は光の当たり方によって様々に変色し、また見た目よりもずっしりと重たいという不思議な石だった。
「ははは。もちろんだとも」
老人は自信満々な様々で彼女の不安を笑い飛ばす。
「それはな、錬金術の集大成じゃ。その賢者の石を手に入れることによってわしは
「それはぁ、わかるです。けど……これがどんな役に立つですか?」
彼女は大きな瞳をうるませて老人をあおぎ見た。本気で実験が成功するのか心配しているのだ。
「その石を使えばなんでも造り出せる。思いのままじゃ。真の
「生命の水? それは
「そうじゃそうじゃ。お主はかしこいのう」
へえ……と彼女は自分の手の内にある赤い石を見つめた。その妙に重たい石は光を受けて色を変えつつ彼女を見返してくる。
賢者の石。それが、その石につけられた名前だ。
「この石は
老人はそう言って笑った。好々爺の笑みだ。しきりに頷いて感心している彼女を実にゆかいそうに見つめている。
老人は
彼は信じていたのだ。賢者の石さえ手に入れることができれば
その方法として彼は魔法の力を使おうとしていた。魔力を与えることで賢者の石の力を増し、より完璧な
その願いをかなえてくれる人物。それこそが今賢者の石を手中に握っている彼女だ。
彼女との出会いは十年ほど前になるだろうか。森の中で迷子になった父娘がいた。父は途中で息たえ、娘は老人に助け出された。その娘こそが彼女だ。そして、彼女は類いまれな魔法の才能を持っていた。
こうして、やっと老人の長きにわたる研究は日の目を見ようとしていたのだ。
「では、はじめようかの」
「あ、はいっ」
彼女は顔を上げた。ぎゅっと賢者の石を握りしめる。
「では、いいかの? その石に魔力をそそぐんじゃ。やれるかぎりな」
「はい」
彼女は頷き、瞳を閉じた。意識を全て賢者の石にそそぐ。世界に充満している魔素が、彼女の身体を通して賢者の石へと流れ込む。
「きゃあっ」
賢者の石は、さらにずっしりと重くなっていく。片手でつつめる大きさの石のはずが、まるで何十倍もの大きさの鉄球でも持っているかのように重くなり、彼女は石を両手で持たねばならなかった。
「ほう、質量変化を起こしたか。いや、けっこうけっこう」
「おっ、お師匠ッそんなこと言ってないで手伝って下さいっ、おっ落ちてしまうですっ」
「お、おお、すまんのう。どれ……ウム、たしかにちと重いのう」
汗をだらだらと流しながら賢者の石を持っていた彼女の手を老人が下から支え、二人はゆっくりと移動する。
そこにあるものは、小柄な彼女ぐらいならばすっぽり入れてしまうぐらいの大きな水槽だった。その中には、無色透明の液体が入れられている。
その液体の成分を老人はまだ彼女には教えてくれていない。だが、老人がその寿命を削るようにして研究していたのはよく知っている。
だからこそ、失敗は出来ない。
「さ、入れるぞ。ゆっくりな」
そうっと2人で水槽の底へと賢者の石を沈めてゆく。重さで取り落としそうになりながらも、なんとか無事に石を沈めた。
手を引き抜き、水槽の中を見つめる。液体の中で賢者の石は、淡い光を帯びた。
「お師匠さま‼︎」
賢者の石が反応している。それに喜びが込み上げほおがゆるむ。老人を見上げると、彼のほおにも朱が差している。
「これで生命の水が完成するはずじゃ……‼︎」
老人は興奮した面持ちで机上からフラスコを取り上げた。その中には青みのかかった液体が入っている。光にかざすとキラキラと輝き、さながら真夜中に降りつもっていく雪のようだ。
「それはなんですか?」
「ああ、これはな」
老人はにこにことフラスコを光にかざし、彼女に見せる。
「
「すごいですっ、きれいです」
「そーじゃろう? これで仕上げじゃ」
老人は一人頷き、フラスコを傾けた。
青い液体が水槽の中へ吸い込まれていく。
「混ぜてもいいですか?」
「ああ」
頷く老人に、彼女はそれじゃあと水槽の前にひざをついた。そっと左手を差し入れ、ぐるぐると液体を混ぜる。
液体は水色に染まり、その中で赤く輝く賢者の石がひときわ輝いて見えた。
その輝きに引き寄せられるように彼女は手をのばした。
とん、とその指先が賢者の石に触れた。瞬間、まばゆく毒々しい真っ赤な光が賢者の石から吹き出した‼︎
「きゃあっ⁉︎」
悲鳴。老人はたまらず瞳を閉じた。
やがて光が収まった時、そこには老人が一人しかいなかった。老人の弟子は先の悲鳴を最後に跡形もなく消えた。
そして二度と、その姿を見た者はなかったという……。
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