1. 湖に沈めばいいのよ♡

「って、え? この湖に?」

「そーよ、それ以外になにがあるっていうのよ」


 腰に手をあててそう言い切った空色の髪をなびかせたパフィーラに、猫科亜人種の青年ジャムは一歩後ずさった。頭上の黄土色の猫耳がジャムの気持ちを代弁するかのように外側へと倒れる。

 その二人の横には少々小さめの湖が広がっている。帝都ディアマンティナから南に五キロほど下った道ぞいの湖だ。

 ことの起こりは一時間半ほど前。散歩に行きましょうとパフィーラに都の外へつれ出され、たどりついたのがここだったのだ。

 帝都を出ればしばらくは草原と一本の舗装道路のみが続く。そののどかな風景に、ジャムは本気で散歩だと思っていた。

 それが間違いだったのだ。

 ジャムは猫科亜人種。猫である彼は自然が大好きだ。レーシタント帝国一の都でずっと育った彼だが、猫の本能には勝てない。

 そういうわけで散歩を素直に楽しんでいたジャムにこれである。それは後ずさりたくもなる。


「えーっと、なんで?」


 ジャムはパフィーラを刺激しないように、無理やり笑顔を作る。しかしその笑顔は少々引きつりぎみだ。


「まぁそれは後で説明してあげるわ。実際目にした方が早いだろうから」

「目に、って。この湖の中になんかあんのか⁉︎」


 そうっと湖面に視線を走らせる。普通の湖だ。透き通った湖面は空を映し、雲を横切らせている。別になにかがあるという雰囲気はない。


「まぁ、そうね、あるって言えばあるわ。ってことであきらめなさい」

「んな唐突なっ!!」


 別に猫だからといってジャムが水が苦手だとかそういうわけではない。

 しかし、問題は別のところにあった。


「俺、泳げないんだぞっ⁉︎」


 そうなのだ。ジャムは正真正銘のカナズチなのだ。これは、別にジャムに限ったことではなく、都の大部分の人々がそうであると言えた。

 都では、泳ぐ必要性がないのだ。


「んもぅー。いいのよ泳がなくっても。沈むだけでいーの」

「しず……沈む⁉︎」


 沈むってなんだ!? とジャムの方は半分パニックだ。そんなジャムをさめた目でパフィーラは眺め、はぁとため息をつく。


「別に死ぬわけじゃないんだから」

「いやっ、死ぬ死ぬ、沈んだら死ぬっ‼︎」


 ぶんぶん。思いきりジャムは首を横にふる。


「溺れて死んだらエダやアリスたちに死ぬほど怒られるだろッもう死んでるけど‼︎ ……あれ?」


 むうっとほおをふくらませていたパフィーラだが、そのジャムの台詞にはさすがに吹いてしまう。


「じゃあなにー? 溺死が嫌な理由ってそれ?」


 こくこくと頷くジャム。その顔はけっこう真剣だ。それを見ただけで彼が一体どんな育てられ方をしたのか想像にかたくない。

 エダとアリスはジャムの養母たちだ。

 他にも、リンダ、キャロル、ケイトと、ジャムには計五人もの養母がいたりする。


「馬鹿ねえー、だから死なないってば」


 肩を軽くすくめ、パフィーラはジャムに歩みよる。


「本当にっ?」

「本当に。だいたいわたしがジャム死なせてどーすんのよ」

「そうだけど」


 たしかにパフィーラがジャムを死なせてもメリットはないだろう。


「ジャム、この辺りって大昔、なんだったか知ってる?」

「はあ?」


 突然変わった話について行けず、ジャムは首を傾げた。


「それって、どれくらい昔?」

「だから、大昔。そうねー、魔法の力がまだ使えた頃。亜人種もまだいなかったわね」


 人間が魔法の力を使えた頃というと、今から約五百年は昔になる。史実では。

 ある時突然人間から生まれるようになった亜人種は、人が魔法の力を使えなくなってから生まれた。つまり、五百年前にはまだ亜人種はいなかったのだ。


「知んないよそんなの。それ、大昔すぎだろ」


 帝都ディアマンティナがこの場所にできたのが約200年前だというからケタ違いに昔だ。

 ちなみに、ディアマンティナの前の帝都は西方のストーリア大砂漠の端にあったらしい。はるか昔は、あの辺りも豊かな土地だったというから、砂漠化して帝都を移したのだろう。


「ま、そーね。ここね、大昔は森だったのよ」

「ふーん」


 普通に聞き流そうとして、ふとジャムは首を傾げる。


「なんでそんなことパーフィが知ってんのさ」

「あらぁ、知ってたら悪い?」

「そういうわけじゃないけどさ」


 パフィーラは、時神クロノスが力を与えた神子みこだ。その時神クロノスの力だろうか? 昔のことを知っているならそうかもしれない。


「ここは森でね、今のディアマンティナの辺りに小さな集落があったみたい」

「うん」

「それで、その頃の話なんだけど……」


 笑顔でパフィーラはジャムを見上げた。


「なに?」

「うふふふー。こっから先は実物を見るのがわかりやすくっていいわよぉ?」

「実物、って……?」


 ハハ、と引きつった笑みがジャムの顔にはりつく。その背には冷や汗の滝。


「それはぁー、見てのお楽しみつ♡ ってわけでさっさと飛び込みなさいっ‼︎」


 飛び込みなさいと言ったわりに、パフィーラは思いきりジャムをどついた。


「ぎゃあっ!!」


 素早くムダのないその動きに逃げられず、ジャムの体が吸い寄せられるように湖面へと傾むいていく。

 湖面は静かに凪いでいる。


(だから俺、泳げないんだってばぁ〜っ‼︎)


 バッシャーン。

 派手な音をたててジャムは湖に落ち、文字通り沈んでしまった。

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