2. 生命の水(1)
「いたたたた……」
着地に失敗してしまったジャムは、腰をおさえて地べたでうめいた。
その横できちんと地着したパフィーラは呆れ顔でジャムを見下ろしている。
「猫なのに情けないわよぉー、ジャム。着地くらいちゃんとやりなさいよ」
「うるさいっ。いきなりなにも言わないで突き落とすからだろっ⁉︎ 湖面の下に地面があるなんて誰が思うっていうんだよっ」
打ちどころが悪かったのか涙目でそう訴えたジャムに、パフィーラははいはいと適当に返事をしている。
ジャムは確かに湖の中へ落ちた。水の感触に包まれて、溺れると焦った。それなのに少し沈んだ途端に急に水の底(?)が抜けて真っ逆さまに落下したのだ。驚き過ぎて着地に失敗したのは自分のせいではないはずだ。
しかも、今ジャムとパフィーラは街中にいるのだ。地面は舗装されていないし、建物も二階建て程度と低い。大きさも小さい。都育ちのジャムにしてみれば古くさい街並みだが、街は街。
通りを闊歩する人々は、見慣れない黒髪の人が多い。その人々は、ジャムやパフィーラを気にする風でもなく通り過ぎていく。
水に落ちたはずがぬれてもいないし、もうなにから驚いたらいいのかわからない。
「いいじゃないのよー、頭打って死ななかったんだからあー」
「そーいう問題かっ⁉︎」
「そーいう問題」
きっぱりとパフィーラに言い切られ、ジャムは閉口した。パフィーラにはなにを言っても無駄なのだ。
そんなジャムを見かねたのか、小さなため息をついたパフィーラが身を屈める。そして、ジャムの額にそっと口付けた。途端に、痛みが引いていく。
「⁉︎」
「サービスよ。さっさと立ちなさいよ」
「あ、あぁ……ありがと……」
おそるおそる身体を動かして立ち上がるがどこにも痛みはない。
これもパフィーラの魔法の力だろうか。だとしたら凄すぎる。
「……で、パーフィ? これ、どーいうこと?」
上を指差し問う。その指差す先には空ではなく湖面がゆらゆらと揺れているのだった。そこいらの建物よりは高いが、ずいぶんと低い位置ではある。
水の下なのにここには空気がある。それどころか街があり多勢の人々が暮らしている様子だ。誰も頭上の水面など気にする様子もない。
「一言で言っちゃうと異界ね」
「異界?」
なんだそれはと目で問う。それにパフィーラはふふっと笑った。
「じゃあ、混乱しないようにはじめっから説明するわよ?」
パフィーラはにっこりすると、上機嫌でジャムの腕を取る。ちょっと歩きましょうと言いつつ、ジャムを力強く引いた。
これはまたろくでもないことを言い出すに違いない。
「えっとねー。まだ魔法があった頃ね、この湖があった場所は森林だったの。そこに一人の
「はあ」
錬金術師とはまた話が唐突だ。
「錬金術って、鉄を金に変えるとかっていう?」
「間違ってはいないけどね」
そこでパフィーラがつけ加えた説明によるとこういうことらしい。
一般的に言えばジャムの説明でもいいが、錬金術師のやることはそれだけではないらしい。
錬金術師がこぞって求めるものは、賢者の石と呼ばれるもの。その賢者の石を使えば
そして、錬金術師の最終的な目的は
「造物神?」
「そ。神格化しようってワケ。全く失礼よね。ま、それはいいとして。その錬金術師には弟子が一人いたのね。魔術師の」
錬金術師に魔術師の弟子。……なんだそれは。
「で、二人して生命の水を作ろうとしてたのね」
「ふーん……」
それはいい、ジャムが知らないだけであり得ることだろう。しかし、それが今の状況とどう関係あるのだろう。
「それがどこをどうやったか失敗しちゃって、弟子が消えちゃったの。生命の水の失敗作に沈めてあった賢者の石に触った途端に、その石ごときれいさっぱりね。それっきりその弟子は行方不明よ」
「消えた?」
「さーて、ここで問題です。どこへ消えちゃったでしょう!」
「いやわかるわけないだろ」
空いた方の手を頭上に上げてあっさり降参する。そんな昔のことがジャムにわかるわけがない。魔法のあった大昔と今ではなにもかもが違う。ジャムにも魔法の力があるとはいえ、自分の自由に使えるわけでもない。
「ちょっとは考えなさいよねー」
パフィーラは少しむくれた顔をしたが、まぁいいわと肩をすくめて話を続ける。
「正解は、生命の水の失敗作の中へ消えた、よ」
「は?」
水の中……?
「なに惚けた声出してんのよ。まだわかんないの?」
「な、なにが……?」
ものすごく嫌な予感がする。この予感が当たらないでほしい。
しかし、そうそう事がうまく行くはずがなかった。パフィーラがが持ってきた話だという時点ですでにろくでもないことだったのだろうが。
「つまり、その弟子は水の中へ消えた。溶けたんじゃないのよ、消えたの」
それが今のこの状況と関係ある、とすると。つまり。
「こ、この湖と同じ、ってこと?」
「ピンポーン」
にっこり。極上の笑顔でほほ笑んだパフィーラにジャムは頭を抱えた。
そういうことだったのだ。その失敗作の水の中も、この湖のようになっていたのだ。パフィーラの言うことを信じるなら、異界。
「そーいう事なのよ」
「どういうことだよッそれとこれがどう関係あるんだよ」
「あ、この湖、その失敗作の水なの」
「は……?」
けろっとしたパフィーラの言葉に、ジャムは固まった。歩みさえも止めて、完全に凍りついた。
そして約三十秒後。
「えええぇぇぇ⁉︎」
その意味が飲み込めた途端に奇声を発してしまう。猫耳が不安げにぺたんと寝て、しっぽが股の間にきゅっと隠れた。
「もーうるさいー」
「だってパーフィ⁉︎ 水の中に消えた弟子ってそれっきりだったんじゃ……」
「そうよ?」
だからなんなのと言わんばかりのパフィーラに、今にも泣き出しそうになってしまう。
そんな大切なことは事前に言ってくれないと困る。そうしたら絶対に来なかったのに‼︎
「じゃあもう外に出られないのか⁉︎ エダにもアリスにもキャロルにもケイトにもリンダにももう会えないのかッ⁉︎」
「あのねぇ……」
そんなジャムに、パフィーラは心底呆れたような顔をする。その様子に腹が立ってくる。不本意にも涙がこぼれた。
ジャムがどれだけ養母たちを愛しているか彼女にはわからないのだ。
「そんなワケないでしょ、このマザコン‼︎ 説明は最後まで聞きなさい。ちゃんと帰れるわよ」
「本当だろうなッ⁉︎」
「本当よ」
少し不機嫌そうにパフィーラは頷いた。その様子に少し安心する。
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