9. 過ちの代償(1)
扉をノックする音が響いて、ユーカスはびくりと肩を震わせた。
彼は目を覚ましていた。否、寝ていなかった。毎年現れる姉の亡霊に怯え、この時期はまともに眠ることなど不可能だ。
「だ、誰だ!」
威厳を保とうとしたが声が震えた。
魔法の力を持つ猫と少女が今晩は皇宮内にいる。その力で必ず解決すると約束してくれた。
その二人のせいなのか、部屋の外からは激しい破壊音が続けざまに起き、どちらにしろ眠ることは出来なかっただろう。
聞き取れなかったが時折話し声もしていたようだ。
そして物音も話し声も止み、ほっとしていたところに先のノックである。
そろそろと扉へと向かう。その足も震えていた。
「んー? わたしたちよぉ。一応決着はついたから報告に来たの」
扉の向こうから聞こえて来たのは、可愛らしい少女の声。昼間一度だけ会った少女のものだ。魔法の力を持っているという————。
その少女を連れて来たのはジャムだ。彼とは定期的に会っている。亜人種だが善良な臣民の一人であり、魔法の力を持つ貴重な者でもある。
「では、もう幽霊は出ないのだな……?」
あの二人は、幽霊がセレンだということに気がついただろうか。ユーカス以外の人間には、あまりはっきりした姿には映らなかったようだが、彼らは魔法の力を持っているのだ。
もし、気がついてしまったというならなにか口止めの手を考えねばならないだろう。
「出ないわよ。だからここを開けなさい」
無礼者と怒鳴る気持ちはなかった。それよりもあの二人の処遇を先に考えなければならない。
こちらの要求を飲む気がなければ、最悪は……。
「早く早くぅ」
「わかった、話を聞こう」
夜中だが、今夜は幽霊退治が行われることは皆に知らせてある。重臣たちもここに残って詰めている。彼らをまず呼び口止めの条件を提示させよう。あの時にはいなかったが、吐血して死ぬ病があることを医師の鳥に説明させてもいい。
そんなことを考えているうちに震えが治る。そうだもう姉はいない。あとは皇帝として自分がうまくやればいい。怖いものなどない。
鍵を開け、扉を細く開いた、その瞬間。
「陛下すみませんッ」
そんな押し殺した声とともに細い腕がその隙間から差し込まれ、ユーカスの頭を鷲づかみにした。
なにをすると抗議しようとして、それは言葉にならない。突然身体から全ての力が抜けていく感覚に襲われたのだ。それは水のように流れ出し、ユーカスの意識さえも外へと押し流していく。口さえも動かせず、自分が立っているのかすらわからない。
(なんだ、これは……)
かすんだ視界に金色と空色の輝きが映る。しかしそれもすぐにかき消えた。
暗転。ユーカスの意識はそこで途切れた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
ふと気がつくと、ユーカスは大広間にぽつんと立っていた。
背後にはいつもと変わらない広い中央階段。正面上部では美しい三枚のステンドグラスの大窓が月明かりで輝いている。中央に位置する姉に似た女神のステンドグラスは、この金紫宮で一番気に入らないものだ。
(私は一体どうしたというんだ)
さっきまで自室にいたはずだ。そして、幽霊との決着がついたという報告を受け扉を開いて————。
そうだ、そこで誰かに頭をつかまれて気を失ってしまったのだ。そして気がついたらここにいた。
(猫の方だ……)
おそらく、ユーカスの頭をつかんだのは、身長からしてもあの猫だろう。直前に聞こえた声もそうだった。
一体なにをしたのか。まさか魔法を使ったのか?
あの猫は他人を救うためにしかその力を使えない。彼が仕事中に高所から落ち、着地に失敗して大怪我をしたことがあるという報告も受けている。だが、他人を救うためにだけ発動する力など、そんなことがあり得るのだろうか。ずっと長年騙されていたのでは?
仮にジャムの力が本当だったとして、あの少女の方は得体が知れない。自由自在に発動させられる力は
神子であれば、こちら側に引き入れるのが最重要事項だ。時神クロノスと言えば知らぬ者のいない上級神だ。その力は絶大だろう。
だから幽霊退治をするというなら都合が良かった。幼い少女だ、褒美を弾んで大切に扱えば味方に出来るだろうと思ったのだ。
他国の刺客でなければ、だが。
「くそっ」
衛兵のエリンや医師のケツァールが推薦していたが、彼らがどちらの味方なのかもわからない。もしかしたら四人が共謀して自分に害をなそうとしているのかも知れないではないか。
急いで中央階段を駆け上がり、自室への複雑な廊下を駆け抜ける。まだ二人がそこにいるとは限らなかったが、手がかりはそこだけだ。
「誰か、誰かいるか‼︎ 怪しい者が侵入している、捕らえよ‼︎」
走りながら叫んだものの、応える声はない。今夜は皇宮に詰めているはずの重臣たちすら姿を見せない。夜間の警備として配置されているはずの衛兵も、夜勤をしているはずの使用人も、誰も。
まるで皇宮内の人々が全て消えてしまったかのような静寂。
「誰かいないのか‼︎」
手当たり次第に近くの扉に手を伸ばす。しかし、どの扉も内側から鍵がかかっていて開かない。
どんどんと扉を叩いても反応はない。普段は鍵などかかっているはずもない空き部屋すら、その扉は閉ざされていた。
「なんなのだこれは⁉︎」
さすがにこれはおかしい。これもあの二人の仕業なのだろうか⁉︎
なんてことだ、急がなければ。
必死に足を前へと動かし自室へと急ぐ。豪勢な扉が見え、その周囲にクレーター状の跡が残っていることに戦慄する。
窓からの月明かりが白々とその痕跡を照らす。ここで、確実に姉の幽霊となにかがあったのだ。
閉じた扉へと視線を移す。そこには帝国の、皇帝の象徴であるフェニックスの意匠が
かつては母が、そして姉がいた場所。そして今は自分が。
その扉に手をかけようとして、一瞬ためらう。この扉も開かないのではないか。そんな嫌な考えが頭をよぎった。しかし、それではなにも始まらない。
ユーカスは扉へと手を伸ばした。
「————‼︎」
果たして扉は開いた。いつも通りに。
そっと室内へと足を踏み入れる。綺麗に整えられた机と椅子。磨き上げられた調度品。室内を柔らかく照らすオレンジ色の光。どこもいつもと変わらない。
ほっとしたのも束の間、視線が奥へと吸い寄せられる。奥に続くのは寝室だ。そちらからなにか恐怖に似たものが押し寄せる。
見てはいけない。頭の中でそう警鐘が鳴っているのに、足がそちらへと一歩を踏み出してしまう。そうなると、もう止められなかった。
寝室へと足を踏み入れる。シンプルだが大きいベッド。そこへ視線を向け、絶句した。
間接照明が照らすそのベッドの中には、誰かが横たわっていたのだ。
「な、なぜだ……」
一気に血の気が引きめまいを起こす。あれは……あれは、一体なんだ?
膝がどうしようもなく笑っていた。
「こんな夜中にうるさいわよ」
ベッドに横たわる人物がうめいてゆっくりと起き上がった。その人物の金髪が揺れる。
「ど、どうして……」
「どうして? ここはわたくしの自室です」
その人物は唇の端を歪めて笑みを浮かべた。そして、真っ直ぐにユーカスを見つめてくる。
その言葉に間違いはない。だが、だがこれはなんだという⁉︎
「それ、それは……‼︎」
「ああ、この身体のこと? 不思議なこともあるものね。でもわたくしは嬉しいわ」
「あ、姉上……‼︎」
たまらず叫ぶ。その口調、喋り方……間違いなく姉のセレンだ。ユーカスが毒殺したはずの‼︎
「あなたはもうお逝きなさい、ユーカス。あとはわたくしが全て引き受けるわ」
なんということだ。なんという……。
これはセレンの、姉の恨みがもたらしたことなのか? 姉の無念をあの二人が叶えたのだろうか?
「どうです、ユーカス。今の気分は。今度はあなたがわたくしと同じ思いをする番です」
セレンがすっと動いてベッドから降りる。妖艶な笑みを浮かべて一歩踏み出したセレンに押されるように後ずさる。
「まあ、この身体にも最初のうちこそ不便を感じるでしょうが、すぐに慣れるでしょう。問題などなにもないわ。なんの心配もいらない」
「だ、黙れ……‼︎」
そんな馬鹿な、そんな馬鹿な、そんな馬鹿な……‼︎
慌てて自分の身体を確かめる。見下ろした腹も、足も、ふり上げた腕も、全てが透けている。
(私は、死んだのか……?)
「そうよあなたは死んだの」
えもいわれぬような優しい声で、ほほ笑みでセレンが言葉を紡ぐ。それを信じたくないのに、目の前のセレンと透けた自分の身体が否応なく事実を告げてくる。
死んだ。訳もわからなままに。セレンに殺されたのだ‼︎
「わたくしにとって最も好都合な死に方だったわ。この身体の中にいれば誰にも怪しまれずに済む」
わたくしの身体で蘇っても怖がられるだけだものね。そう続けたセレンがまた一歩ユーカスへと踏み出す。
「感謝するわ、ユーカス」
きゅっと唇を歪めたセレンにとうとう悲鳴を上げ、ユーカスは踵を返した。背後でおかしそうに笑い出した声に恐怖し、一目散に逃げ出す。
蘇った姉のセレンは——ユーカスと全く同じ姿かたちをしていた……。
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