8. 心残り

 先々代の帝、つまりわたくしたちの母が亡くなったのは今から十年前のことでした。その当時わたくしはまだ二十歳でしたが、当然のように帝位につきました。それが長女たるわたくしの務めであると信じておりましたから。

 しかし、実際に政治がうまかったのは弟であるユーカスの方でした。わたくしはいつも、五つ年下のユーカスの意見を聞いて政治を行っていたのです。


 弟の采配のうまさは才能でした。わたくしは弟の言うように指示を出していたにすぎません。もちろん、時に弟の政策に反発することはありました。彼が無情とも言える施策をなそうとするからです。それでも国はなんとかうまくまとまっていたのです。

 しかし、実質ほぼ全ての政策を弟が提案し、それが上手く行っている。そのようなことを臣民に知られては女帝の不信につながります。ですから弟へ手柄を譲ることは出来ない。そのため、臣民の称賛は全てわたくしへ集まってきました。

 それが弟にとっておもしろいはずはありません。とうとう六年前、弟はわたくしに帝位を譲るようにと進言してきたのです。

 わたくしも、自分に政治を行うだけの才能がないことはわかっておりました。

 けれど、この国は有史以来の女帝の国。わたくしは帝位は絶対に譲るつもりはありませんでした。


 わたくしたちは対立しました。外にはもれぬように、臣民に不安を与えぬように細心の注意を払って対立していたのです。この宮の中で。

 ほとんどの臣下はわたくしの味方でした。この国が女帝の国ということもありますし、わたくしがすでに帝位についている身でもあったからでしょう。

 しかし、弟の味方をする臣下も少ないながらおりました。その者たちは国の将来を思えばこそ弟の味方をしたのでしょう。


 わたくしは、臣下とともに弟を皇宮から追い出そうと画策しました。自分の存在を主張し始めた彼は、もはや毒でしかなかった。彼ならわたくしの信頼を失墜させることなど造作もないでしょう。だから先に排除したかった。

 ……敗れたのはわたくしでした。わたくしの毒味係りが弟の味方だったのです。彼は自分が毒味をした後にわたくしに毒を盛り毒殺した。それが、五年前のことです。

 弟は帝として即位いたしました。弟の味方は少なかったとはいえ、彼が毒を盛るよう命令した証拠はどこにもありませんでしたから。他に帝位継承権を持つ者がいない以上、弟が帝位につくのを止めることはできませんでした。

 あれから五年間。わたくしはこの王宮の<魔>につかまっていたのです……。


 * * *


 ジャムにとってはショックな話だった。帝位を争っていがみ合う肉親。身内同士での殺し合い。

 全ては物語の中の出来事だと思っていた。自分の育ったこの平和な国ではそんなことは起こらないと信じて疑ったこともない。いや、正確には考えたことすらなかった。

 それなのに、実際はこうして起こっているのだ。こんなにも身近で。ジャムの故郷のディアマンティナで。


「なんで……」


 口をついて出たのはそんな一声。なぜ、どうして……。

 帝位とはそこまでして欲しいものなのだろうか。権力とはそんなにも魅力的なものなのだろうか。

 もしこれが民のためを思ってのことだったとしても、ジャムには肯定的には考えられそうになかった。肉親同士で争うなんてどうかしている。

 ジャムは捨て子だった。だから5人いる養母たちとは血のつながりはないし、養母たち同士でさえ血のつながりなどない。

 けれど、それでもジャムは彼女たちと争うなどできない。彼女たちを傷つけてまでなにかを得ようなどとは思わない。

 家族だから。大切な、愛すべき家族だから。

 養母たちはジャムを殺せば帝位につけると聞いてジャムを殺すだろうか?

 それはないと断言してもいい。そして、その逆も決してありえない。

 皇族の考えは わからなかった。


「ジャム? やあねえ、なに泣いてんのよ」


 パフィーラに言われて、やっとジャムは自分のほおを流れ落ちて行く熱いものに気がつく。

 気がついたとたんに、それはよりいっそう勢いを増して流れ出した。後から後から押し寄せて来て止まらなくなる。


「わかんねえよそんなもん……」


 わかりたくもない。

 ジャムはそのまましばらく泣いた。額に左手を押し付けうつむいて。

 そうしてどれくらいたっただろう。


「たしかに、わたくしたちは愚かですね」


 ぽっりとセレンがつぶやいた。その瞳はジャムをまっすぐに見つめている。


「愚かで、本当にどうしようもありません」


 ジャムをまっすぐに見つめるセレンの視線に、やっとジャムはぬれた双眸を上げた。セレンを見つめ返す。

 自分が慕っていた優しい女帝と、実の弟を追い落とそうとしたという彼女をうまく結びつけられない。


「ジャム? 言っとくけどセレンはあんたとは育った環境が違うのよ」


 パフィーラの静かな声が耳をうつ。

 たしかにそうだろう。セレンは生まれた時から次期女王と決まっていた。そして、そうなるべくして教育されたのだろう。それが務めだと思い込むようにさせられたのかもしれない。それは命をかけても守るものだと。

 ジャムだってそれはわかっていた。わかっていてなお悲しくて悔しかった。血のつながった姉弟で争い、命を奪うなどという行為でしか解決できなかったことが。

 ジャムは五人の養母たちが大好きだし大切だ。自分の母親は彼女たちしかいないと思っている。ただ、だからと言って彼女たちと血で繋がれるわけではない。

 ジャムは望んでも手に入らないのだ。


「けれど、だからこそジャム、あなたに頼みがあります。きいていただけないでしょうか」

「頼み……?」

「はい。わたくしの心残りを、どうか……」


 心残りを晴らしてくれと?


「心残りって、なんですか……?」


 知らず身構えてしまう。セレンは殺された。その事実からして嫌な想像ばかりが胸をよぎる。

 場合によっては、セレンの頼みであっても引き受けることは出来ない。

 そんな薄暗い気持ちで聞き返したジャムに、セレンは悲しげにほほ笑んでみせた。そしてゆるゆるとその唇を開く。

 ジャムの瞳から新たに一粒、涙が流れ落ちた。


「やーね、また泣いちゃって」


 そんなジャムに、パフィーラは呆れたように声を投げた。その口調とは裏腹に、彼女の手が伸びぎゅっとジャムの手をにぎる。そのぬくもりに心底ほっとした気持ちになる。


「それが心残りだとして、あなたの望みはなに? なんでも一つだけ叶えてあげる」

「ありがとうございます」


 セレンはジャムとパフィーラ、それぞれに礼をした。

 そして、おもむろに口をひらく。


「では、弟ユーカスに死んでいただきましょう……」


 そう告げた彼女の顔は、晴れやかなほほ笑みだった。

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