10. 過ちの代償(2)
「死んだのか……」
大広間へと続く中央階段に座り、ユーカスはぽつりとつぶやいた。
「私は死んだのか」
消えたのは金紫宮の人々ではなくユーカスの方だ。その体を姉に明け渡して。
朝になり目覚めた人々は皆、セレンを怪しむことはないだろう。姿形はユーカスなのだ。あとはセレンがうまくユーカスのふりをすればいい。
きっとセレンはうまくやるだろう。彼女とは姉弟。セレンは弟のしぐさやくせなどを知っているだろう。
「そうか……」
これが死ぬということなのか。弑逆とはこういうことなのだ。
天井近くのステンドグラスから月光が階段へと降りてくる。その光は、皇宮で起こった様々な諍いなど知らぬ顔で、清浄な輝きを見せつけていた。
「死んだ、私は死んだ……」
その月光を見上げてつぶやいた途端、ユーカスの喉を熱いものが競り上がった。みっともないほど急激な嗚咽が上がる。それが自分の声だとは信じられないほどに激しく突き上げ、涙が一気にあふれ出した。
まだやらなければならないことがたくさんあった。やりたいことも山のようにあった。
最近様子がおかしいと言われていた砂漠の視察もまだだ。あの辺りの街の水路の点検も日取りを決めなくては。
それから北のシヴァ王国へ使節団を送る段取りも決めなければならない。大国であるかの国の機嫌は損ねないようにしなければ。
それから魔石の採掘事業をもっと……。
「姉上に出来るのか⁉︎ 私がこうするべきと言うのに、くだらない意見ばかりするようなあの人が‼︎」
帝位はお飾りではないのだ。臣民のためにならなければ意味がない。それなのにセレンは、優しい顔をして目の前の不幸を憐れむことしかしない。腹を空かせた者がパンを盗んでも、パンを与えて許してしまう。その者はまたすぐにパンを盗むだろう。
目の前の不幸をなくすためにどうすれば良いかも、そのためには時に厳しい措置が必要であることも考えようとせず綺麗事ばかりだ。
「私の民が……」
この国が、姉の手から奪い取ってまで守りたかった臣民たちがこれからどうなるのか。そう思うだけで胸が潰れそうだ。
もっと豊かな国になれるはずだった。しかしそれらの夢は、二度と叶わなくなってしまった。叶わないどころではない。夢見ることこそ無意味なことになってしまったのだ。そのことに、自分でも驚くほどの絶望感を感じた。
自分が望んで、姉を弑逆してまで手に入れたものだ。女帝の国であるレーシタント帝国の歴史さえ敵に回して。それなのに。
「なぜ……私がなにをしたというんだ……」
月光が美しかった。美しすぎて胸がむかつく。その光はまるでユーカスのことを憐れんでいるようでもあった。
そして、中央のステンドグラスに描かれている女神像の双眸もまた、姉に似た顔をしてユーカスを憐れんでいるのだった。
「そんな目で見るなっ‼︎」
たまらず怒鳴ったユーカスの身体から力の塊が飛び出し、ステンドグラスを粉々に打ち砕く。派手な音を立てて粉々になったガラスが、さながらダイヤモンドダストのように、月光を受けて美しく輝きながら落ちていく。その様子がなぜだかゆっくり見え、呆然とそれに見入ってしまう。
撃ち抜かれた窓からは、よりいっそう輝きを増した月光が降り注いだ。
それは趣味の悪い皮肉だった。神子以外人間には使うことが出来ない魔法の力。それが今、人間でなくなったことで使えるようになったのだ。それが自然と理解できた。
しかしそんなことにもはやなんの意味もない。
「こんな……」
涙があふれた。
こんなはずではなかった。こんな……。
『今度はあなたがわたくしと同じ思いをする番です』
急にそんなセレンの言葉が蘇る。
殺された。ユーカスが毒殺するよう命じた。
あの時セレンは、こんな惨めな、やりきれない思いをしたのだろうか。
きっとしたのだろう。セレンにだってやりたい事があったはずだ。夢も、希望も。目を向ける方向性は違っていたが、彼女なりに民を思っての善意からの行動であることはもちろんわかっていた。
それなのに理不尽に命を奪われ、どれほどユーカスを憎み呪ったことだろう。命日付近になると毎晩あらわれては泣いたりわめいたりするくらいに。
セレンは邪魔だった。ユーカスの理想を形にするために、あまりにも大き過ぎる壁。提案した施策を権力で廃案にされたことも一度や二度ではない。
邪魔だという思いに取り憑かれて、対話などほとんどなかった。ユーカスが声を荒げてセレンの行為を咎めるたびに、彼女は顔を背けていく。それが日常になり過ぎて、対話などという単語すら思い出せなかった。
自分を押さえてでも、もう少し対話できていたなら、なにかが変わっていただろうか?
「姉上、申し訳ありません……」
やはり殺すべきではなかったのだ。
死んでしまって当然だったのかもしれない。こんな、たった一人の肉親のことすら思いやれない人間など皇帝にふさわしいものか。
「姉上……‼︎」
許して下さい。そしてどうか帝国を豊かな国に……。
* * *
目覚めたのは朝だった。いつものようにベットから起き出したところではっとする。
なぜ自分はこんなところにいるのだろう。たしかに昨夜、セレンに死を宣告されたはず。
あわてて鏡へと走る。そこに映ったのはいつもと変わらないユーカスの顔。
体中を触ってみる。異常はない。透けてもいない。
(夢だったのか?)
しかし、それにしてはリアルだった。自分は死んだのになぜと思うくらいには。
その時。トントンとノックの音がした。ゆっくりと扉が開く。
「ユーカス様。お目覚めでしょうか?」
それは、ユーカスの側近のもの。
「ああ。どうかしたのか?」
いつもと同じ朝。では、やはり夢だったのだろうか?
そう考えると納得はいく。
「昨夜の幽霊退治ですが。成功との報告です。しかし少々被害がありまして」
「ポルターガイストのか?」
セレンは時々物を壊していた。幽霊にもそんな力があるのだと、ずいぶん恐ろしい思いをしたものだ。
人間ではなくなったことで魔法の力を使えるようになるなどずいぶんな皮肉ではないか。
(ん……? そう、なのか……?)
なぜそんなことを知っているのだろう。いやそうだ、夢でそんなことを思ったのだ。
ならば、それは事実ではないだろう。ただの夢だ。
「そう思われます。まずこの部屋の前の廊下に直径一メートル程度のくぼみが四つあります」
それはわかる。すぐ扉の外で破壊音がしていたのは知っている。自分が死んでいた時にも見たが、あれが夢だったのなら関係ないだろう。
破壊音を聞いた脳がつくり上げた妄想に違いない。
「それと、大広間のステンドグラスが一枚です」
「————ッ⁉︎」
ステンドグラス。それは、夢の中でユーカス自身が破壊したもの。
「どのステンドグラスだ」
平静を装い側近の方へ背を向ける。
大広間にあるステンドグラスは三枚。左に男神、真ん中に女神、右に天使。
そのうちユーカスが破壊したのは女神だ。
「真ん中の女神です」
その答えに愕然とする。あれは————。
(本当のこと、だったのか?)
血の気がひく。カチカチと歯が鳴った。
「幽霊退治に来た猫と少女は、金紫宮に傷をつけたので金はいらないと言って先ほど出ていかれました。それから、あの2人からユーカス様に伝言があるのですが、よろしいですか?」
「ああ」
「次はないと思え、と。私にはなんとことかさっぱりわかりませんが、不敬罪に当たりますのでひっ捕える許可を」
「いや、いいんだ。その伝言の意味は私しかわからないが、不敬ではない。ただのジョークだ」
苦しい言い訳だったが、側近にはそれで納得してもらうしかない。
「そうですか。わかりました。では私はこれで失礼いたします」
きびきびした声で側近は告げ、扉を閉めて去っていく。
そこで、やっとユーカスは長い息を吐き出した。
夢ではなかったのだ。
次は、ない……。
「姉上」
ユーカスは天井を見上げた。その瞳から涙があふれる。
「もう、過ちはくり返しません————」
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