6. 幽霊の正体(2)

「どうして、そんな姿を……セレン様!」


 皇宮に出る幽霊はセレンだったのだ。そういえばセレンが亡くなったのはちょうど五年前の今頃ではなかっただろうか。

 これから暑くなっていく、そんな季節。いつもなら心が躍るのに、あの夏はディアマンティナにとって薄暗い穴の中にいるような心地だった。誰もが、若くて政治の才もあり優しかったセレンの死を嘆いた。定期的に直接顔を合わせていたジャムはしばらく泣いて過ごしたのだ。


「へえ、あなたが前の皇帝サマ? それにしちゃあグロテスクな姿ね」


 セレンの幽霊が出るのは百歩譲ってよしとしよう。突然病で倒れて、心残りが山のようにあっても不思議ではない。国を背負っているのだから。

 だが、この姿は一体どういうわけなのか。

 セレンは五年前にしたはずだ。これはその瞬間の姿なのだろうか。吐血して息絶えたと?

 でももし、そうでないとしたら……?


「どうして……」


 セレンは若くて美しい。そのセレンが大量の血でその身を染めている姿は、元が美しいゆえに見るものに本能的な恐怖を与える。

 確かに、これでは皇宮の人々は毎晩怖くてたまらなかっただろう。

 皇宮の人々は、幽霊がセレンだと気がついているのだろうか。目にしたことがあると言っていたケツァールでさえ、そんなことは言っていなかった。はっきりとは見えなかったと言っていたから、魔法の力を持つジャムやパフィーラにだけ見えているのかもしれない。


「セレン様!」

「ああああ……」


 ジャムの声に応えるようにセレンの唇が半開きになり、そこからひび割れた声がもれ出す。


(様子が、おかしい……?)


 セレンの声は徐々に大きくなっていき、悲しみに染まっていた瞳が痙攣する。ぐるんと瞳が回った瞬間に、その瞳は濁りうつろになった。

 なにも映さない、空っぽの瞳。

 その様子に眉をひそめる。これは、セレンではない————?


「ま、だいたい合ってるわね。<魔>に飲み込まれてるからあの娘の意識はないわ」


 <魔>に飲まれている? どういうことだ?


「皇宮ってほら、ヤなこといっぱいある場所でしょ? 皇族にしても使用人にしても。そんな人たちの積年の負の感情に当てられてんのよ」


 確かに皇宮はそういう場所なのかもしれない。皇族や貴族の政略、使用人の酷使や歪み合い、民衆の不平不満。そんなものが渦を巻いている場所と言われればそうだろう。場合によっては流血沙汰だってあっただろう。

 そんな人々の負の思念——つまり<魔>に飲まれていると?


「じゃあ、それを払ってやらないと……」


 どうしてパフィーラがそんなことを知っているのかという疑問はあったが、それはこの際どうでも良かった。幽霊退治に来たのだという目的も忘れ去られている。

 泣き声を聞いた、その時点でジャムの中から退治という言葉は消えていたのだ。

 彼女をなんとかして救いたい。


「ジャムなら出来るわよ。頑張んなさい」


 強力な魔法の力を持つパフィーラは、手出しをする様子がない。セレンをどうこうする気はないようだ。

 あんたにみんな任せる、そう言って後ろの方へと下がっていく。


「俺が⁉︎」

「そーよ、ジャム以外に誰がいるって言うのよ」


 パフィーラは平然としたものだったが、ジャムにとっては青天の霹靂。大いに慌てるが方法は浮かばない。

 ジャムには他人を救うためになら発動する魔法の力があるにはある。だが、さすがに幽霊を救おうとするのは初めてだ。

 そうしている間にもセレンの声は大きくなり、すでに絶叫の域に近くなっていた。鼓膜を震わせるその声が、ジャムの散らかりそうな意識を集中させる。そして。


「あああぁぁぁぁぁ————————‼︎」


 ひときわ高い絶叫が響いたかと思うと、セレンの虚な瞳の奥の澱みがジャムをとらえた‼︎


「————ッ⁉︎」


 それは本能だった。やられる、そう感じた瞬間にジャムの身体は床を蹴って右へと飛んでいた。

 ぼふんっという鈍い音、そして舞い上がる砂塵。そして。

 さっきまでジャムが立っていた場所には、直径一メートルはあろうかという窪みが出来上がっていたのだ。


「猫で良かったわねー、ジャム」

「……‼︎」


 言葉も出ない。遅まきながら鼓動が早まり、背筋を冷や汗が濡らした。

 危なかった。猫の本能と素早さを持っていたから避け切れたものの、普通の人間だったらまず間違いなく即死だ。


「でも心配しなくっても大丈夫よぉ。即死なら痛くないはずだしぃ」


 この後に及んでパフィーラは物騒なことを言ってにこにこしている。のんきなのか、やられない自信があるのか。

 後者だろうなとジャムは自嘲気味に思う。彼女の力は昼間に目にしたばかりだ。きっと彼女は自分で自分のことを守るくらいのことはわけもないのだろう。

 それに比べて、ジャムは自分のことを守る力はない。

 無意識に左手が腰のベルトへと伸ばされる。そこには、ジャムの愛用している短剣が吊るされている。

 その短剣を抜き、そこでやっと自分の行動に気がついた。


(短剣なんか役に立たないだろ……)


 自分自身に少し呆れたものの、短剣は戻さない。気休めかもしれないが、役に立つこともあるかもしれないと思い直したからだ。

 背筋を少し丸め、いつでも動けるように構えた。セレンを真っ直ぐに見る。

 彼女の<魔>を払ってやりたい。彼女を救うために。

 ぎゅっと短剣を握りしめる。

 その短剣に変化が起きていることに最初に気がついたのはパフィーラだった。その変化を目にし、彼女は愛らしい口元を形よく吊り上げた————。




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