5. 悪夢

 炎が燃え上がる。

 破壊されつくされた街並みに逃げ惑う人々の姿はもうない。なぜならば、皆、崩れた建物の下じきにされたか炎にやられたかで生きてなどいなかったからだ。


「う……うわあああぁん、うわああああん」


 胡蝶フーティが泣いている。


「うまくやれたじゃない」


 泣きじゃくる胡蝶を見下ろしてパフィーラがジャムをほめたが、全然嬉しい気持ちにはなれなかった。

 ジャムの力は可能性。そう言ったパフィーラの言葉を思い出していたからだ。

 他人のためにしか発動しない力。それがもし、破壊を引き起こすようなことがあれば……。

 ないとは言い切れなかった。ジャムはまだ自分の力をよく知らないのだから。


「なにぼおっとしてんのよ」


 胡蝶のほおが泣きじゃくっているせいで真っ赤に染まっている。

 ほおを流れる涙をふいてやろうとして、その手が止まった。悲しませてまで胡蝶を目覚めさせようとするこの行為は、本当に正しいことなのだろうか。

 炎が倒壊した建物を、倒れた人々を飲み込んでいく。それは夢だとわかっていても胸が締め付けられる光景だ。


「うわあああん‼︎ こわいよぉ、こわいよぅとーさまぁ……‼︎」


 もし現実でこんな力をふるってしまったら……。


「ジャム?」

「……」

「ジャムってば、もう‼︎ その力をどう使うかはあんた次第でしょ、バカね」


 思いっきり顔をしかめたパフィーラを一度見て、すぐにその視線を胡蝶へと戻す。

 両腕を胡蝶へと伸ばした。


「そうだよな……」


 泣きじゃくる胡蝶の頭をなで、抱き上げる。しっかりと胸に抱いてその背をさすった。子ども特有の少し高い体温が服の上からでも感じられる。

 胡蝶は生きているのだ。こんな異界で、たった一人で。


「まぁ、あんたの心配してることもわかるけどぉ、うん。大丈夫よ」


 大丈夫、大丈夫とパフィーラはくり返し、ジャムの背中をたたく。


「だってそれ、いい力だもん。そうでしょ?」

「そうだね、パーフィがそう言うんなら信じるよ」


 悩んでいても仕方がない。ジャムの力はいい力だ。そう信じるしかない。

 こんな破壊のために力を使うものか。


「なんでぇーとおーさまぁーみんながぁあああぁぁぁん」

「胡蝶。これは夢だよ。だから怖くないんだ。目を覚ませば消えるんだよ。だから早く目を覚まそう」


 やわらかく話しかける。胡蝶がこれ以上恐怖しないでもいいように。


「胡蝶、起きて。目を覚まして」

「みんなもえちゃってるよおー‼︎ ええぇぇ……ん‼︎」

「う、うわっ、胡蝶⁉︎」


 ばたばたと思いっきり胡蝶が暴れた。その背を支えようとして逆に腕がゆるんでしまい、胡蝶の身体がずり落ちる。

 そのままするりとジャムの腕から抜け出して地面に降りると、胡蝶はまっすぐに駆け出した。


「胡蝶⁉︎」

「あっ、ちょっと待ちなさいっ」


 まっさきに反応したのはパフィーラだ。胡蝶を追って駆け出した彼女にジャムもはっと気がつき二人を追う。

 その胡蝶は、猫であるジャムが追いつく前に、すぐそばの半壊した家の中へ飛び込んで行く。


「危ないよ胡蝶‼︎」


 ジャムもあとを追って家の中へ入る。

 そこには男が一人うつ伏せに倒れていた。まだ若いらしく、三十歳前後だろう。胡蝶はその男にとりすがって泣いている。

 どこかをケガしたのか血にまみれている。その姿に命の輝きは見えない。


「いやあああ、とーさまっ、とーさまああああ」

「父さま……? 父親か」


 どうやら倒れている男は胡蝶の父親らしい。


「とーさまとーさまとーさまっ‼︎」


 絶叫した胡蝶の姿がゆらゆらと陽炎かげろうのように揺らいだ。


「あれ……?」


 見間違いかと目をこするが、やはり揺れている。


「覚醒しかかってるわ」

「えっ?」

「あとひと押しってとこね」

「そっか」


 頷き、一歩胡蝶へと足を踏み出す。


「とおーさまぁ!! いやぁとーさまいやだよおおぉとーさまぁー‼︎」


 胡蝶の声がジャムの鼓膜をつんざく。

 胡蝶を目覚めさせることがいいことなのかジャムにはわからない。

 胡蝶はこんなにも父を親っている。その気持ちをジャムは痛いほど知っている。それだけに迷う。

 彼女が目覚めても、彼女を知る人物はこの世にもう誰一人としていないのだ。彼女の父親さえも。

 そして、世界は大きく変わっている。もうとっくの昔に魔法の時代は終わった。

 この夢の中ならば彼女は幸せだったかもしれなかった。大好きな父と人々、そして街があるこの夢の中ならば。


「けど……」


 けれど、これは所詮夢なのだ。どこまで行っても胡蝶はひとりぼっちだ。胡蝶が愛する人々がもうこの世にいないことは変わらないのだ。


「胡蝶。これは夢だよ。だから目を覚まして」


 ゆらり。


「胡蝶」

「ゆめ?」


 胡蝶がぴたりと泣き止み、ジャムを見上げた。その顔からは幼さが消えている。その姿は揺らめきながらも、強みを増した双瞬がジャムを射る。


「そうだよ。だから戻っておいでよ。目を覚まして。これはみんな夢だから。目を覚ませば消えるから」

「夢ですか? じゃあ猫のお兄ちゃんも夢?」

「え、いや、俺は違うけど」

「ふうん」


 胡蝶の顔が険しくなる。


「そーなんですか。こんなとこまで追ってくるなんてしつこいです」

「え、っと……君とは初めて会うんだけど……」

「わたし、知ってます。だから許さないッ‼︎」


 胡蝶の身体全体が大きくゆらめく。


「ええっ⁉︎ なにをだよっ」


 さすがに五百年前の人物に許さないと言われるような心当たりはない。


「あんた前世でなんかやったでしょ?」

「しっ、知らないよそんなことっ」


 ぶんぶんと大きく首をふり、パフィーラを見る。そんな前世のことでうらまれてもジャムには身に覚えなどない。


「そんなことよりジャム、夢が覚めてからのほうがアブナイからよーく覚えといて」


 目の前で、その双目を憎悪に染めた少女が大きくゆらめいている。


「言ったでしょ、この水は寄生虫だって」

「そうか」


 夢を喰べる寄生虫。その夢が覚めるということはつまり、寄生主を失うということ。

 寄生虫は、寄生していなければ生きてはいけない。死んでしまう。


「わかった?」

「わかった」


 つまり、水は新たな寄生主を捜す。そしてそれはきっとジャムだ。時間まで操ってしまうような能力を持つパフィーラに寄生できるとは思えない。

 胡蝶の体が輝き出す。それと同時にまわりの風景も淡くにじみ出した。夢から醒める‼︎

 そして胡蝶の体から無数の光が飛び出した————。

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