猫科亜人種紀行〈1〉蒼天の導き手

はな

第一話 陰翳の君子

1. 帝都ディアマンティナ(1)

 レーシタント帝国・帝都ディアマンティナは、帝国の中心となる城塞都市だ。その整った石畳みを囲む家並みは背が高く、複雑に走る道をさらに入り組んだものにしていた。

 あたたかみのあるアイボリーの壁に赤い瓦の家々は、どこか女性的な雰囲気がただよっている。五年前に男性君主に代替わりするまで代々女帝が治めていた国だからなのだろう。

 その都市の大通りを走るのは、魔素を閉じ込めた希少な魔石を動力とする列車だ。世界一の魔石の産出国であり、その豊かな資源と比例するように栄える帝国は技術力も高い。都には列車が走り、使用料を払えば各家庭にも魔石から取り出した魔素が供給される。灯も、火も、冷暖房もさまざまなものが魔素によって叶えられている。

 そのゆったりと走る列車を横目に、歩道を一組の男女が歩いて行く。一人は猫科亜人種の青年。もう一人は見た目十歳程度の幼い美少女だ。

 その少女の瞳が、壁の貼り紙をとらえる。

 都の人間にとって、すっかりおなじみとなっているその張り紙が見られるのは、決まって初夏だ。


「ねえージャム。これなんなの?」


 その張り紙を指差して、美少女パフィーラが首を傾げてジャムを見上げた。場違いな純白のドレスはかなり目立っているが、彼女が目立つのはそれだけが原因ではない。

 深い湖面のように澄み切った青い瞳と白くふっくらとしたほおを彩るのは空色のウェーブヘア。背に流れるその髪は、清涼な滝の水のようでもあり、よく晴れた空のようでもある。ほんのり色づいたほおとくちびるには愛らしさがあふれ人目を離さない。正直、芸術品ですらここまで美しくはならないだろう。

 そのパフィーラは、あちこちを旅していて最近このディアマンティナに来たというから知らないのだろう。


「これ、ここ五年くらい毎年なんだよ」


 ジャムはそう答えて苦笑し、長いしっぽを左右に振った。今年十七歳になった彼は猫科亜人種。猫の耳としっぽ、そして猫の身体能力を持って生まれた亜人種である。整った顔をしているものの、猫耳と合わさるとどうしても可愛らしく見えてしまうのが目下の悩みの種だ。十七歳男子の平均よりも小さめの身長もそれに拍車をかけている。

 そのジャムのさらさらとした金髪があごの横で風に流れた。


「毎年? この時期だけ?」

「そう。やっぱり今年も出たのかぁ」


 幽霊が、である。場所は帝都の中心である皇帝陛下の住まう皇宮。張り紙は、その皇宮に出没する幽霊を退治できたものに褒美を与える、そういうものだった。

 皇宮に出る幽霊。それは決まってこの時期にだけ、毎夜毎夜現れる。期間は約ひと月。


「なんかこう、コップとか花瓶とか勝手に浮かんで落ちちゃったりするらしいんだ。その程度とはいえ、やっぱり気味悪いよな」


 ひと月あまりとはいえ、毎晩となると相当なストレスになる。今までは小物が壊れる程度で済んでいるものの、それがいつ人に危害を加え出すかもわからない。

 なにより、数百年前に魔法の力をほとんど失ってしまったこの世界の人間に、幽霊のような不可視の力は脅威だ。


「それで? 五年間誰も退治出来てないってわけね?」

「そういうこと。魔法を使えるのなんて神子みこくらいだろ?」

「……まぁ、そうね」


 神子。神に愛され力を与えられた魂。生まれながらに魔法の力を持つ希少な人間。そして神の声を聞くことのできる、まさに神の愛し子と言うべき存在だ。

 幽霊という不可視の力には不可視の力で対抗するしかない。その力を人は魔法と呼ぶ。しかし、その魔法の力は遠い昔にぱったりと失われてしまった。なんの前触れもなく。いや、失われたというより、人が魔法を扱う能力を失ったという方が正しい。なぜなら、世界には今でも魔法の力があふれているからだ。

 ごく稀に姿を現す精霊はもちろんだが、魔石も魔法の力があるからこそ産出されるものだ。

 なぜ人が突然魔法を失ったのかはわからない。伝承では、闇の力を集めて世界を滅ぼそうとした邪悪な魔術師を倒すために、世界規模の巨大な魔法を使った影響だとも言われている。

 今現在純粋な魔法の力を使えるのは、精霊をのぞけば神子だけだ。


「じゃあなんでジャムが行かなかったの?」

「はぁ? 俺?」


 呆れたような表情でジャムを見上げてくるパフィーラの可愛らしい顔に、思いっきり首を横に振る。


「俺が行ったって役に立たないじゃないか」

「どうしてよ。ジャムはちゃんと役に立てるわよ。なんのためにそんな力があると思ってんの」


 パフィーラの言うジャムの力とは、不可視の——魔法の力のことだ。

 ジャムには生まれつき魔法の力があった。だが、人生で一度も神と接触したことはない。もしジャムが神子であれば、考えにくいことだ。

 神々は、自分が力を与えた子を通し、世界を見ている。時に天啓を与え、道を示し、人々に広く救いを与え、場合によっては災いをもたらす。我が子に接触して来ない神などいない。


「けどこんな力役に立つのか?」


 ジャムの力。それは、ジャム本人のためには一切使うことが出来ない力だった。全て他人のためでなければ発動しないのだ。他人を救おうとすれば魔法の力がジャムを助けてくれるが、もしジャム自身が死にかけたとしても絶対に助けてはくれない。だからジャムが物心ついて、危ないとか助けなければという意識が出るまで誰もその力に気が付かなかったのだ。

 理不尽だと思う。ジャムの力なのにどうして他人しか救えないのだろう。

 養母たちからは、ジャムが優しいからなのよと言われたが、それもなんだが納得がいかない。

 目の前にいる少女パフィーラはジャムの力を目にし、その力は可能性ねと言ってくれた。しかし、なんの可能性だと言うのだろう。


「役に立つわよぉ。じゃあ決まりね! 行きましょジャム」

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