3. 親友と宝物と
気が付くとエダは真っ暗な場所に仰向けに寝転んでいた。
ここは一体どこなのだろう、暗くてなにも見えない。
ぼうっとした頭で身体を起こそうとした途端に右肩に鋭い痛みが走り、全身に冷や汗が噴き出してくる。
(なに、わたしどうしたの……)
記憶が混乱して、こうなる以前のことがよく思い出せない。
背中の方はなにかごつごつしている。そっと手を上へ向けて伸ばすと、すぐになにか固くて冷たいものに触れた。手触りはコンクリートのように感じる。
同じように周囲に手足を伸ばしてさぐってみると、自分の横たわっている空間がかなり狭いということがわかった。
どうしてこんな所にいるのだろう。わからない。
記憶をたどる。今日は仕事が休みで、
ジャムはお昼過ぎから仕事があると言っていた。それでご飯を食べてすぐに別れたのだ。それから家に帰って……。
そこまで思い出してハッとする。そうだ、地震があったのではなかったか。それも、かなり大きな。
エダの記憶がよみがえってくる。
地の底からわき上がって来るような地鳴り。そして破壊音かと思うほどの大きな音とともに建物全体が縦に揺れたのだ。
ミシミシと鳴る音、そしてあらゆるものが倒れ、落ちて来た。踏ん張っていることなど到底できず、足がもつれて右へ倒れたのだ。そこから記憶がない。
(わたし、瓦礫に埋まってしまったの……?)
きっとそうに違いなかった。エダの借りている部屋のある集合住宅は古い建物だ。あんなに揺れて無事でいられるはずがない。
頭に真っ先にジャムの姿が浮かぶ。そしてエダと同じく彼の養母である四人のことも。
大切な家族たち。彼らは無事だろうか。今すぐに安否を確認したいが、自分がこんな状態ではそれも叶わない。
それに、ここの他の住人は大丈夫だったのだろうか。
(ああ、わたしちゃんと助けてもらえるかしら)
信じるしかない。ここは帝都だ。災害への備えだって他と比べれば格段にいいはずだ。
今は体力を消耗しないようにじっとしていなければ。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「胸の上にね、鉄パイプみたいなものがあって動けないのよ……」
そう言った女性の姿はわからなかった。けれど、その声は右手の方から聞こえてきていた。
さほど遠くなさそうな場所から、誰かいないかと女性の声が聞こえて本当に驚いた。それと同時に、不謹慎ながらエダは心底ほっとした。一人ではなかったのだ。
「わたしは、とりあえず手くらいなら動けるわ」
近くに人がいるというのは、心強いものだ。こういう非常事態の最中に誰かと声を交わせたことは大きい。
女性と言葉を交わせたことで、エダの心は少しだけ軽くなる。
「いいわね。この鉄パイプ、少しづつ下に下がって来ているのよ。そのうち苦しくてたまらなくなってしまうわ」
そう言う女性に、小さく息を飲む。
このままだと、彼女の胸は潰れてしまう。エダだって瓦礫が崩れたらおしまいだ。
「大丈夫よ。それまでには助けが来るわ」
「ええ、そうよね……」
かすかに笑みを含んだような声。
それからしばらくは会話が途切れてしまった。
そうやってどれくらい経った頃だろう。
ミシッと不吉な音が響いた。驚いて上に手を伸ばすと、先ほどよりも近くにコンクリートが迫って来ているように感じられて血の気が引く。
「ねえ、あなた? 大丈夫?」
わたしの声に、しばらく声は返ってこなかった。
「ねえ!」
「ええ……。まだ、なんとか」
やっと声が返って来て少し安心したけれど、その彼女の声はずいぶんと苦しそうだった。
「苦しいの?」
「ええ、そうね。ねえ、歌を歌ってくれない?」
「歌?」
そうよと彼女は言った。お願い、と。
「わたしね、歌を歌うのが、大好きなの。でも今は、無理みたい、だから……」
「いいわ。何がいい? 知っているものなら歌うわ」
それが彼女の励ましになるのなら歌ってあげたい。
「そうね……」
彼女は少し考えて、そうだわと口を開いた。
「あれがいいわ。ほら、セレン様が亡くなられた時の」
「ああ、知ってるわ」
この国は五年ほど前まで女帝が治めていた。その女帝は身分問わず誰にでも優しく親切で、民からはたいそう慕われていた。
その女帝が亡くなり、帝位はその弟へと移った。
帝国中が悲しみにつつまれた葬儀の日に歌われた鎮魂歌は、いっそう人々の涙をさそったのだ。
「それでいいの?」
「ええ、お願いよ。あの歌が、好きなの……」
細い息でそう言った彼女に答えてやりたくて、エダはゆっくりと息を吹った。
「歩き疲れたら帰っておいで
広い広いこの宇宙へ
いつでも君をつつんであげる
君の生命を光らせてあげるから
帰っておいで、ここへ
優しい風の吹くこの場所へ
風の奏でる歌に乗って眠りましょう
宇宙へ還って眠りましょう 」
歌い終えたエダに、彼女はありがとうとつぶやくように言った。
「ねえ。わたしたち、外へ出たら親友になれるかしら?」
どうしてなのかはエダにもわからなかった。とっさに口を突いて出た言葉に、自分でも驚く。
でも、そうなれたらいい。一緒に歌を歌えたらいい。
「ええ、なれるわ……必ず」
そうして、彼女は言った。
「だから、助かるといいわね……あなた」
* * *
あれから、彼女の声が返ってくることはなかった。疲れて眠ってしまったのかもしれない。そう思ってしばらく間をおいてから呼んでみたものの、結果は同じだった。
エダはなんとなくあの鎮魂歌をずっと口ずさみながら、暗闇に横たわっていた。
一体どれくらい経ったのだろう。暗闇しかないこの場所では、時間の感覚が全くわからない。
(みんな無事かしら……)
こんなに古い建物に住んでいるのはエダくらいだ。だからきっと大丈夫。そう思うものの心配でたまらない。
特にジャムは心配だ。無事だとしても、ここが崩れた事を知りエダの姿がないとなったら……きっと仕事なんて放り出して泣いているだろう。
そんな事を思い苦笑したその時だった。鉄が軋むような音や、瓦礫が崩れるような騒がしい音がエダの鼓膜を揺らした。
その音と一緒に、体の上のコンクリートも振動しているような……助けが来た⁉︎
「ねぇ! 誰かいる……?」
声は返ってこない。かわりに大きくなる振動と音。
崩れてしまうのだ。そう思った途端に身体に震えが走った。怖い。
また、なにかが崩れるような音。そして。
「————‼︎」
けたたましい犬の鳴き声。そして、瓦礫が揺れながら持ち上がり、チカッと光が————。
「きゃあっ」
隙間から突然差し込んだ光がまぶしすぎて、咄嗟に目を閉じる。
「おいっ、いたぞ、女性が一人‼︎ 無事だ、早く救助班こちらへ‼︎」
はっきりと人の声がして、まぶたの裏に光の洪水があふれた。
助かったのだ。そう理解した途端に、閉じた瞼が熱くなった。涙がこぼれる。
「そのまま目を閉じていて、そう。そのまま」
男性の声がして、エダ目の上に何か布のようなものが被せられた。
ずっと暗闇にいたエダの目を光から保護してくれたのだろう。
「体は痛みますか、大丈夫ですか?」
「肩がちょっと、でも大丈夫です。それより、もう一人近くにいるんです。女性です。助けてあげて」
「わかりました。おいっ、近くにもう一人いるらしいぞ‼︎」
男の叫びに、大勢の人々が動いたのがわかった。
「おいっ、担架こっちだ‼︎ よし。では、担架に移動させますよ」
五、六人いただろうか。複数の手がエダの身体を支え掛け声と同時に一気に持ち上げ担架へと移動させる。
少し揺れて、担架が持ち上がった。瓦礫の上を歩いているのだろう、時折上下に揺れたが、やがて揺れなくなる。平坦な場所へ出たようだ。
その時だった。エダを呼ぶ声がしたような気がして、担架を運んでくれている人たちを止めた。
「エダ‼︎」
やっぱり呼ばれていた。エダを呼んだのは、この世で一番愛する男の子。
彼が無事だったことに心底ホッとする。
「エダ……っ‼︎」
その声はエダの頭上で止まり、あたたかい両手がほおを包んだ。
「よかった……無事で……よかったッ‼︎」
自分のほうが大丈夫じゃない声を出して、彼はエダのほおに自分の頭を押し付けてきた。
軽い嗚咽が聞こえて、ほおがあたたかいもので濡れる。
「いやあねジャム。泣かないでよ、男の子でしょう」
「だって、よおっ……」
もうダメかと思ったと言いながら号泣する彼を、救助隊の人がなだめながらエダから引き離した。
その声とぬくもりが離れていく。
ジャム、こっちの瓦礫もどかせないかと呼ぶ声が聞こえる。それに、泣き声ながら応えるジャムの声も。
ジャムが瓦礫に埋まった人を助けるために、魔法の力を発動させているのだ。きっと、あの人も助けてくれただろう。
心配をかけてしまった。それなのに、エダの心に浮かんだのは嬉しいという気持ち。
嬉しい。すごく嬉しい。
(——ジャム、わたしの
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