3. ジャムの役目(1)

「あれ、エリンさんは……?」


 皇宮へと続く門。そこでがっちりと銃剣を持ち立っていた若い衛兵は、ジャムの知らない顔だった。


「貴様らが名乗るのが先だろうが」


 帝国への忠誠心を絵に描いたような厳しい顔をして、衛兵が冷たい瞳をこちらへと向けた。

 当然ながら、二人は完全に彼に怪しまれている。幽霊退治に来た幼い美少女と猫など、信頼性に欠ける組み合わせでしかない。ジャムでさえそう思うわけで、彼を責める事などできない。


「わたしはパフィーラで、こっちの猫がジャム。よろしく」

「なにをしに来た」

「幽霊退治よ。あんた達がお触れ出してるから来てやったんじゃない。通しなさいよ」


 相手に負けず劣らず尊大な物言いをしたパフィーラに、衛兵の表情がさらに険しくなる。


「ちょっとパーフィやめなよ」

「なぁに? なにか間違ってること言ってる?」

「いやそうじゃないけど……」


 ジャムもエリンがいるとばかり思ってパフィーラを止めなかった。だがここは皇宮だ。本来なら出入りには事前の申請や身分証明などの煩雑な手続きが必要だ。

 ルールを破っているのはこちらだ。ここは一旦出直した方が良い気がする。


「だいたい、そのエリンって人なら通してくれたんでしょ?」

「どうだろうここに来るのは許可が降りてる時だけだから。やっぱ俺らが間違ってるよ帰ろう」

「えーめんどう。そんなまどろっこしいこと出来なーい」


 パフィーラはぷうっとほおを膨らませたが、その可愛らしさにはもうそろそろ騙されない。彼女の可愛らしい顔の後は、たいていろくなことにならないのだ。


「なにをごちゃごちゃ言っている」

「ジャムはこれでも定期的に皇宮に出入りしてるれっきとした猫よ。身分はそっちで調べればわかるでしょ」

「なぜこちらが亜人種風情の身分を照合しなければならないんだ」

「亜人種風情ですって? なにそれ失礼しちゃう! 皇帝って亜人種を蔑むような人なのね」

「ちょっとパーフィ!」


 明らかに衛兵の空気が変わった。その全身から怒りの感情が噴出しているのがわかる。皇帝を引き合いに出すのは言い過ぎだ。


「だってそうでしょー、そういう臣下をのさばらせてるのが証拠よ」

「やめろって!」

「皇帝陛下を愚弄するか!」

「あんたのようなわからずやの衛兵しかいないってところで知れてるわよ」

「貴様!」


 衛兵の銃剣を握る手がぶるぶると震えている。その様子に、ジャムの肝が縮み上がった。

 まずい、これは本当にまずい。


「亜人種みたいな穀潰しなぞ国にとってお荷物でしかないものを……ッ」

「はぁ⁉︎ あんたジャムが穀潰しかどうか知ってんの⁉︎」


 肩を怒らせたパフィーラを押さえつつ、小さくため息をつく。ジャムは周りに恵まれている方だし、多少は慣れているものの胸が痛んだ。

 亜人種は人間から稀に産まれることがある。両親は普通の人間なのに、突然獣のような子が産まれるのだ。誰だってショックだろう。

 それに加えて繁殖能力もないと言っていい。子を持つことは不可能ではないが、人間と亜人種では子が成されることはない。加えて亜人種同士の親から産まれた子は奇形児となる。長く生きることはない。

 動物の特徴と能力を持っていることは強みになることもあるが、人間とは違うという意識は大きい。結局は危険な仕事ばかりを回され、大した職を得られるわけでもない。

 そう、国から見れば穀潰しと言われても仕方がないのだ。


「人を見た目で判断するなら、ご立派な格好をした神子みこでも来たらほいほい通すんでしょうね。他国の刺客とも知らずに……やだやだぞっとしちゃう」

「なんだとこのガキ‼︎」

「あら、なにむきになってんのよ。やーね、図星? そうなのね? あははははは‼︎」


 高らかに笑い出したパフィーラに、衛兵の顔色が変わる。彼の握りしめた銃剣は今やはっきりと震え、顔面は怒りのために真っ青だ。

 若いとは言っても、明らかにジャムやパフィーラよりも年長者。しかもジャムは今後もここを定期的に通って皇宮へ出入りしなければならない。目をつけられるなんてまっぴらごめんだ。特に亜人種にいい感情を持っていないのならなおさら。


(ああぁ、もー、どうするんだよッ‼︎)


 パフィーラが間違ったことを言っているとは思わない。思わないが、彼を煽って怒らせてしまっては元も子もないではないか。今にしろ後日にしろ、ここを通してもらわねば幽霊退治だってできないだろうに。

 パフィーラは一体なにがしたいのか。


「調子に乗りやがって‼︎ 思い知らせてやる‼︎」

「ひぃッちょ、ちょっと待って‼︎」


 衛兵の手がひらめき、次の瞬間にはパフィーラの鼻先にピタリと刃が突きつけられていた。その距離数センチ。

 突かれても、銃弾を撃たれても命はない。

 それなのに、パフィーラの口元に浮かぶのはうっすらとした笑み。それがさらにジャムの寿命を縮ませた。


「あら、わたしを刺すの? それとも撃つの? やってみなさいよ。ほら、逃げも隠れもしないしここでじっとしといてあげるわ」


 銃剣に本能的な恐れを抱いたジャムに対して、パフィーラは余裕しゃくしゃくといった風情だ。


「貴様‼︎」

「わー待って待ってパーフィやめろよ!」

「なによ、わたしのジャムに暴言吐いておいて許せないわ。絶対にここを通してもらうわよ」

「わたしのってなんだよ……じゃなくて!」


 衛兵とパフィーラはお互いに一歩も引かない。だが、明らかに余裕がないのは衛兵の方だ。このままではなにをされるかわからない。いいところ拘束されて牢に繋がれてしまうこともあり得る。

 しばらくすれば出してもらえるだろうが、また一つ亜人種の印象が悪くなることは必至だ。


「あ、あのさ、宮廷医師のケツァールいるかな? 俺、ケツァールの友人なんだ、彼なら身分証明してくれると思うん、だけど……」


 衛兵の眉がわずかに動く。彼はケツァールを知っているようだ。


「あの鳥科亜人種の医師か。気に食わない。亜人種が医師として取り入っているなど……」

「あぁぁ……」


 友人のケツァールは類まれな優秀さで、亜人種でありながら取り立てられて皇宮に勤めている。もちろん皇帝の体調管理をすることもあるわけで、身分だって保障されている。そのことからも、皇帝が亜人種を蔑んでいないことは明らかだ。

 それでも、やはりこういう目で見られているのだ。


(詰んだ……)


 半ば諦めの気持ちで空を仰いだその時だった。右手の方角からなにをしている? と鋭い男の声が空気を震わせたのだ。

 そちらを向くと、大柄な中年の男がいた。その隣には、新緑色の翼を背に持ち、腰まで届く銀髪をした鳥科亜人種の青年。


「エリンさん! ケツァール!」


 ぱっと表情が明るくなったジャムに対して、衛兵の方は怒りで青ざめていた顔が引きつった。パフィーラに突きつけたままの銃剣が震え、ジャムは慌ててパフィーラの身体を引き離す。


「なぜ子どもに銃剣を向けているんだ?」

「いや、これは……」


 言い逃れの出来ない状況に、衛兵が唇を噛んだ。いつまでそうしているつもりだとエリンにたしなめられ、はっとしたように素早く銃剣の先を空へと向ける。


「言っておくが、ケツァールを宮廷医師に任命したのは陛下だ。そこのジャムが皇宮に出入りするのも陛下のご指示だ。わかるな?」


 なにをしていると問いただした割に、話は全て聞いていたらしい。そのことに気づいた衛兵は、今や卒倒しそうな土気色の顔をして震えている。

 皇帝が認めた者を愚弄する行為は、皇帝を愚弄するのと同じ。


「ケツァール、ジャム。うちの若いのが悪かったな。このことは陛下にもご報告しておく」

「い、いやそこまでしなくていいです」


 そもそもパフィーラが衛兵を煽ったからこんなことになったのだ。それなのに皇帝に報告されて処分が下ったりしたら寝覚めが悪い。ただ正義感が強過ぎただけなのに気の毒すぎるだろう。

 せめてパフィーラに銃剣を向けたことをエリンに絞られるくらいで許されて良いはずだ。


「なぁケツァール?」

「そうですね。なにしろ病院に配る薬が重かったものでエリンに手伝ってもらったんですが。そもそもそれがなければここまでなりませんでしたね」


 ケツァールの言い分は少々ずれていたものの、衛兵の処分を望まないという点では一致しているようだ。


「それに、ジャムは事前申請をすべきでした。つまりジャムが全て悪いのでは」

「俺かよ!」

「そうです」


 ケツァールに友を庇おうという発想は皆無らしい。ジャムより七つ年上のこの青年は、嘘はつけないし、冗談も恐ろしく通じない。真面目で真っ直ぐ、ただどこかずれているのは賢いがゆえなのだろうか。

 もちろん、その性格はよく知っているので食い下がるのはやめる。無駄だからだ。


「まあ、そういうわけで陛下にご報告するならジャムが悪いと」

「いやそれは勘弁してくれよ」


 知らず頭上の猫耳がペタンと寝てしまう。


「そんなことはどうでもいいのよ。通してくれるの?」


 両手を腰に当て、顎を上げたパフィーラが真っ直ぐにエリンを見つめる。その澄み切った瞳に吸い込まれそうな錯覚に陥り、ジャムは慌てて頭を振った。

 パフィーラの外見に騙されてはだめだ。


「お嬢さんは?」

「わたしはパフィーラ。身分を証明しろと言われると、この通り子どもだしここには親もいないから出来ないのだけれど」

「ふむ」

「でも、なにかあれば身分の割れてるジャムをしょっ引いていいわ」

「は? なんだそのめちゃくちゃな理論はッ」


 そこはしょっ引かれるのはパフィーラだろうに!


「わたしたちは幽霊退治に来たのよ。人助けよ」

「勝算はおありですかな?」

「もちろんよ」


 そう尋ねられるのを待っていた。そんな声が聞こえるくらいに、彼女の青い瞳がキラキラと輝いた。そして、愛らしくにっこりとほほ笑む。


「なかったら来ないわ」

「では、どのようにして退治を?」

「そーねぇ、口で説明するより直接見てもらった方が早いかしら?」


 これは、ろくでもないことが起こる前触れだ。だが一体どうやるつもりなのだろうか。ジャムには皆目見当がつかない。

 ジャムの力は他人のためにしか使えない。それは良いとして、どうやれば幽霊を退治できる?


「そこのあんたも、よく見てなさいよ」


 すっかり空気のようになった衛兵に向けて、パフィーラが視線を送る。それに一瞬苛立った表情をしたが、それはパフィーラの凄みのある笑みにかき消された。

 これは十歳程度の少女が見せる表情だろうか。ジャムの背筋まで凍るようだ。


「誰に向かってその銃剣を向けたのかを知りなさい。それくらいで許してあげるわ」


 今度はにっこりと花開くような可愛らしい笑みを浮かべて、彼女は聴衆へと一礼した。

 空色の髪が流れる。

 それは一瞬の出来事だった。パフィーラの頭の動きにつられてふわりとその髪が流れ、その足元から突然青い炎が吹き上がった————。

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