神隠し、約束を舞った、恋探り。~二枚目天狗たちの花嫁争奪戦~

待鳥園子

第1話「踊る理由」

 ひとさし、ふたさし。舞い踊る。


 忍びやかな足さばきも、しなやかな手の運びも、習い始めて何年か経った今ではもう慣れたもので、躊躇いなく動きに迷う事はない。


 大勢の人に見られる舞台に立つ直前の心地よい緊張感も、何もかもをひっくるめて。


 私は、踊るのが好きだ。


 何故、現代を生きる私が流行りの軽快なステップを踏むダンスでもなく、古風な日舞を始めことになったかというと、そのきっかけになった出来事は、数年前に亡くなってしまったおばあ様が発した言葉だったそうだ。


 なんでも、彼女は幼かった私の顔をしげしげと見つめてから、不思議なことを言い出したらしい。


「この子は、きっと踊るのが好きだよ。出来るだけ早めに、踊りを習わせよう」


 私の母はその言葉に半信半疑になりながらも、近所にあった日舞の教室に通わせることにしたそうだ。


 教室に数年通った結果、名取りと言われる踊りで仕事を出来る人になるようにと、師事するお師匠さんに勧められた。けど、お披露目に掛かる費用はとても高額で庶民の家には払える額でもなかった。


 それに、私自身も踊りはただ好きだから続けていた。


 好きだからと、お金を得るための仕事にしたい訳でもない。好きな時に好きなように出来る趣味に留めたくて、それはもう断ってしまった。


 十代で名取りになれるとまで言って貰えた私の踊りの技術の上達のスピードは、共に教室を通う面々や師範を驚かせたものだった。


 好きこそものの上手なれとは良く言ったもので、学校から帰って、空いている時間があれば教室へと行って、飽きることもなく踊っていたせいだったかもしれない。


 私が大学に行ってからは、アルバイトも始めたりと、なかなか教室の開いている時間に合わせることも難しかった。けれど、どうにか時間をやりくりして踊りに通ったものだ。


 まるで。もし、踊れなくなったら、私が私ではなくなってしまうかのように。



◇◆◇



「聖良っ! 久しぶりに実家に帰って来たからって、怠けすぎよ。いい加減にしなさい」


 お母さんは実家に三日前に帰省してからというものの、ぐったりとソファの上に転がっていた打ち上げられたトドのような態度だった娘についに堪忍袋の緒が切れたようだった。


「ごめんなさい……久しぶりに自分でご飯作らなくて良いと思ったら、つい」


 私は今年地元の大学を出て、四月から都会で就職をしたばかり。踊りを続けたいし地元に居たいという気持ちはあった。でも、田舎の地元企業だと条件の良い仕事は、ほぼお偉いさんのコネで決まってしまう。


 そこはもう、世知辛い世の中に良くある仕方のない話だ。


 そして、一人暮らしなんてこれが初めてだ。お金を得るためにと、とてつもない我慢を必要とする仕事や、慣れない自炊を数か月間続けた結果、お母さんやお父さんの有難さが身に染みた。


 自分自身が吟味してここで働きたいと選んだ会社だとは言え、ブラック企業と言う言葉に相応しい過酷な労働環境に戻ることなんて今は考えたくもない。


 ブラック企業という言葉は、自分が身をもって味わうことになるまでは、所詮は他人事に過ぎなかった。


 同族経営の企業では、何かを頑張ったからと言って適正に評価されることは、ほとんどなかった。経営権を握る面々に気に入られること、それこそが人事査定には大事な事だった。


 そして、私は彼らに気に入られることに関しては、ある理由から、入社して早々に大失敗をしている。


 それが直接の原因となり、嫌がらせのように直属の上司からは仕事を増やされ、早く辞めてしまいたいとは思うけど、新卒入社してすぐで辞めてしまうことにはどうしても抵抗があった。


 理由が理由だけに、心配を掛けてしまうかもしれないと、親にもまだ相談出来ていない。


 でも、慣れない環境と張り詰めた精神状態から疲れ切っていた。こうして実家にいる事で解放されて、私はどうしようもない現状から、どこかへ逃げ出したい強い衝動に駆られていた。


 このまま。天国のような実家で、いつまでもごろごろしていたい。


 あのぎゅうぎゅう詰めの満員電車に乗って、一人暮らしの自室に帰り、お盆休み明けでまたしんどくてつらい仕事が始まるなんて、今は少しも考えたくなんてない。


「本当に、仕方のない子だね……都会になんて行かないで、こっちで良い人と結婚してくれたら……お母さんも、安心なんだけどねえ」


 これは既に何度も何度も繰り返された、親と子の鉄板のやりとりの前兆だ。


 このままだと、お決まりの早い結婚と孫誕生をせっつかれる流れになってしまうと察した私は、慌てて立ち上がり、財布だけを手に取った。


「ちょっと、コンビニ行ってくる!」


 慌ててリビングから廊下に出ようとした私の背中に向けて、お母さんは言った。


「もうすぐ暗くなるんだから、早く帰りなさいよ」


 お洒落する用の踵の高い靴とは別の、移動時用に持って帰ったスニーカーを履いて、私は玄関から飛び出した。


 親は往々にして成人してから未婚の子どもに対して結婚をせっつくものだと、そういう流れは理解はしてはいる。


 でも、だからと言って仕事を辞めるのか田舎に帰るのか。そんな答えすらまだ出せていない自分の現状には耳が痛い。


 車通りのない海岸沿いを歩けば、波模様が無数に走る海面へ赤い赤い夕日が映る。


 私は幼い頃から赤い夕焼けを見ると、何故か胸が締め付けられるようになってしまう。心の奥の方から何かが訴えているのだと思うけど、それが何を意味しているのかは、わからないまま。


 無性に切なくて、涙をこぼしそうになって苦しい。まるで、相手もいないというのに……叶わぬ恋をしているかのようで。

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