第6話「掟」

「通常なら俺たち天狗族は、百になるまでくらいに嫁取りをするんだけど。俺以外の多聞と那由多の二人は、五十年くらい前にかくりよが大荒れに荒れた事があって、それで婚期が遅れたんだ。各部族との協定の調整だったり後始末なんかも大変だったから。今回の花嫁争奪戦は、そういった意味でも特別なんだよ。人間の花嫁を得ることは、俺たちにとっては簡単じゃないからね」


「でも……人の娘なら、また攫って来れば、良いんじゃないですか?」


 私は自主的に天狗に攫われたけど、それは例外として。


 貴登さんのような空を飛べる天狗なら、無理やりだってなんとかして、かくりよに連れて来ることだって可能だったはずなのに。


「うんうん。聖良さんは、何も知らないから。そう思うよね。けど、俺らにも破れない天狗の一族の掟があってね。もし、人の娘を花嫁にするために攫ってくるのなら。かくりよと現世の境界線が薄くなる、ほんの短い逢魔が時に、まったく他の人間には悟られない状態で攫って来ないといけない。神隠しっていうだろ? 誰の声も届かぬ深い山の中を一人で、彷徨っている娘さんも今どき珍しいからね……だから、次の娘。聖良さんが来た時は、地位が高くて未婚の俺たち三人の争奪戦って、決まっていたんだ。そろそろ、一族を治める役割の親父たちも、結婚しろ結婚しろって、うるさいからさ」


 伽羅さんは立て板に水のように現状を説明してくれて、私が疑問に思っていたことを解消してくれた。


「天狗族の掟が、あるんですね」


 なんだか天狗族の掟って言われると、現代人の私にとっては取っ付きにくい。けど、日本での法律だと考えるとしっくり来るのかもしれない。


「あるある。色々と、俺たち面倒な掟があるんだ。けど、数え切れないほどの集団になれば、掟がなければ纏まれないから。それに、何か決められた掟があれば、それを決めた理由が何かあるはずだから」


 伽羅さんは私が持っていた杯に、流れるように小ぶりのとっくりで酒を注ぎつつ言った。


「まあ……こうして攫って来といてなんだけど、絶対に花嫁には無理強いはしない掟だから。嫌なのに、誰かの嫁になるという事はないから。それは、心配しなくて良いよ。後、俺たちのものになる花嫁に、手を出そうとする天狗は、まあ……一族の中には、絶対に居ないからね」


 にっこりと優しい笑顔で微笑んでいるはずなのに、どこかゾッとする怖さを感じさせた伽羅さんに、私に言われた訳ではないのはわかってるけど思わずこくこくと何度か頷いた。


「伽羅。いい加減にしろ。何度も同じことを言わせるな。今日は、彼女が来ての初日で歓迎の宴だ。こちらの言いたいことを、並べ立ててどうする」


 多聞さんは自分より年少にあたる伽羅さんを窘めるように、そう言った。


「だったら、多聞と那由多の二人が漫才でもして楽しませれば良いだろ。俺は、聖良さんも知りたいって思うだろうことだから、言ったんだし。彼女は俺たちの何も知らないんだから、そうするべきだと思ったんだよ」


 気分を害したようにプイっと向こう側を向いた伽羅さんは、誰かがそこに居るのに気が付いたのか軽く手を振った。


 その先に居たのは、長い白い髪と赤い目を持つ綺麗な女性だった。


 何故だか、彼女は私の事をとても気に入らないと言わんばかりに、一瞬だけきつい目で睨んでから立ち上がりあっという間に大広間を出て行った。


「白蘭、来てたのかー……」


 彼女を見て独り言のように言った伽羅さんは、持っていたとっくりに直に口を付けてお酒を呷った。


「……あれは、相模坊様の娘。白蘭です」


 多聞さんは、あれは一体誰なのかなと心の中で思っていた私の疑問を先回りするかのようにして、そう教えてくれた。


「綺麗な、人ですね」


 なんていうか、白蘭さんは大人っぽく色っぽい妖艶な美しさを持っていた。私には、決して持ち合わせていないもの。


「……あの子は、珍しい女天狗ですからね。容姿端麗な者ばかりなのは仕方ないかと。けど、僕は聖良さんの方が、好みです」


 爽やかな笑顔で不意打ちのさらっとした言葉に、私の顔は一瞬で赤くなったと思う。それは、飲んでいたお酒のせいだけでは決してなくて。


「好み……」


「ええ。いくら可愛い可愛いと褒めたとしても、否定されるかもしれないんで。そう。僕の好みなんです。お嫁さんにしたいくらいに」


 さらっと初対面なのにそう言ってしまえる多聞さんが凄いのか、私が異性からの甘い言葉に慣れていないせいか。


「多聞、それは狡くない……? 俺にはもう喋るなって言っといて……自分は」


「争奪戦は開始の合図を待たずとも、もう始まっている。彼女の心が決まれば、聖良さんは僕のものだ。伽羅も……どこかによそ見している時間は、ないんじゃない?」


 多聞さんは素知らぬ顔でしらっとそう言って、伽羅さんは軽く舌打ちをした。那由多さんは、そんな中で我関せずに自分の前の膳を片付けていた。


 そっか。私を花嫁にするための争奪戦って、もう既に始まっているんだ。

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