第7話「必然」

 私が早とちりしてただけで花嫁争奪戦と呼ばれるものは、本来ならまだ始まっていないらしい。


 だけど、厳しい天狗族の掟に定められている通り、花嫁争奪戦を前にした三人には、何か熟さなければならない大切な役目があるらしい。


 そして、争奪戦の景品の花嫁である私はというと、彼らが相模坊さんと何かしているその間、特に何もすることなく暇だった。


 着替え用の可愛い着物を小天狗と言われる相模坊さんの家来に何着も用意して貰ったけど、一通り袖を通して試してみても、私への呼び出しは待てど暮らせど来ない。


 自分が暇だからと言って忙しそうに広い廊下を歩き回っている小天狗たちなんかに話し相手をさせるのも、なんだか気が引けてしまった。


 なので、廊下を歩いていて、偶然見掛けた貴登さんに「仕事あるのに……」とブツブツと愚痴られながらも、私は城の堀を越えた向こうにある森に、連れて来て貰ったのだった。


 とは言っても、本当に城の堀のすぐ傍。


 ここからが森の始まりですよという辺りで、呆気なく下ろされてしまう。私はかくりよの地は初めてなので、どこへ行こうが物珍しいことには変わりないことなんだけど。


「今呼ばれたから、一旦帰って来る。良いか。かくりよでも、天狗族に敵対するあやかしは数多居るから。この辺は相模坊の縄張りだが、絶対に絶対に。遠くに行くな」


「そう、念を押されると……逆に、行きたくなっちゃう」


 いわゆるお笑いの世界で言うところのボケの振りにも似た貴登さんの言葉にツッコミを入れると、吹雪が起こるかと思えそうなほどに冷たい視線を無言で返された。

 

「ごめんなさい。ちゃんと、言われた事は守ります」


「よろしい。済ませてから、すぐに戻る」


 姿勢を正して神妙な表情を見せる私に貴登さんは一度頷き、黒く大きな翼を使ってふわっと空へと舞い上がった。


 そういえば、貴登さんも城で見掛けた時は翼がなかった。


 ということは、あの時に人間そのものに見えた花婿候補だという三人の天狗だって、昨日は大きな翼を仕舞っていたのかもしれない。私にはわからない、不思議な力で。


 緑深い場所に特有の、湿っぽい空気の中に草の匂い。全く人の手など入ったことのない森。木の葉の合間から、こぼれる優しい光。これはもう、癒されるしかない。


 ストレス社会には、こんな森の空気が常に必要だと思う。


 遠くに行かずにこの辺りなら歩いても良いと言って居たし、さあ歩き出そうかと思ったところで、近くにあった木が何故か倒れた。


 振り返って立ち止まり、けど特に何かある訳でもない。


 少し不思議には思ったものの、まあ良いかと歩き出した。すくすくと伸びていた木だって、いつかは年齢を重ねてこうして倒れることもだろうし。


 私は突然の倒木を気にすることもなく、森の奥の方向へと進んだ。


「わあっ……なんか、かわいい」


 視界が開けた瞬間。思わずそう独り言を呟いてしまうくらいに、五分も歩かない内にすぐ近くに可愛らしい花畑のような場所に辿り着いた。


 とは言っても、華やかな色を計算通りに配置しているような人口の花畑ではなく。背の低い野草の小さな花がチラホラとまばらに生えているだけ。けど、それもまた、素朴な様子でなんとも可愛かった。


 また、ここで踊ってみようかとなんとなく思ったのは、相模坊さんが言っていた宴の席でのことを考えて少し練習しようかなという、特に理由なんて何もない単なる思い付きのことだった。


 こうしてようやく一人だけになれたのも、大きいかもしれない。


 仕事から戻って来た貴登さんには見られてしまうかもしれないけど。まあ、彼にならもう既に見られている訳だし、今更恥ずかしがるようなことでもない。


 すうっと深呼吸をして、気持ちを整える。


 踊りに入るその瞬間に、私は私ではなくなる。踊りの中に出て来る、登場人物となるのだ。


 なんとも可愛らしい大正っぽい柄の着物を今着ていて、踊り用のものではないけど普段の服より、やりやすく踊りやすい。


 気分が乗って、今踊っている音楽を口ずさもうかとしたその時に、ズサッと何かが滑り落ちる大きな音がして、私は驚き後ろを振り向いた。


「……え?」


「そんな、はずはない……そんなはずはないんだ。絶対に」


 呆気に取られた私の視線の先にそこに居たのは、昨日会ったばかりの花婿候補の一人、鞍馬山の那由多さんだった。整った顔を顰めて、額に手を置き苦悩するかのように頭を振った。


「那由多さん? こんにちは。あのっ……何か、あったんですか?」


 とても平常通りとは言えない彼の姿を見て、私は体調が悪いのかもしれないと思って首を傾げた。


 那由多さんは私の問い掛けに、はっとして大きく目を見開いてから首を横に振った。


「……済まない。君には何の、関係のない。俺の事情だ。君は踊りが、本当に上手いんだな。驚いた。年齢も聞いていたし、そこまで上手いとは想像していなかった」


「ありがとうございます。幼い頃から始めて、こうして踊るのがとても好きだったもので、習い始めてから、もう十何年にも経ちます。それだけ続けて踊っていると、例え凡人だとしても、少々見られるものになるものですよ」


 謙遜は日本人では美徳とはわかりつつ、そこそこ努力をした自覚のある現代っ子の私は「私なんて」は、なんとなく言いたくない。それを言ってしまうと、これまでの自分の頑張りをけなしてしまっているようにも思えてしまうから。


「いや。とても、素晴らしかった。俺は驚いて、目を奪われてしまった。それはそうと、実は俺たち二人はまだ会ってはいけない事になっているんだ。俺とこの場所で会ったことは。どうか、内緒にしておいてくれ」


 那由多さんは難しい表情をしつつ言い難そうに言ったので、私は今日彼や彼の他の二人に会えなかった理由に合点がいった。


「あ! そう……だったんですね。私は三人は何かをしなきゃいけないので、まだ会えないって言われてて……大丈夫です! 他言は、絶対にしませんから」


 約束するという気持ちを出したくて私が何度か頷いて大丈夫だと示すと、那由多さんは少しだけ笑ってくれた。


 それは、思わず呼吸を忘れそうになるくらいに……素晴らしく可愛い笑顔で。彼もさっき言ったけど。目を奪われてしまうという言葉の意味は、こういう事なのだと理解することが出来た。


「ありがとう。ここで、俺が一人で逃げていたことも、どうか内緒にしといてくれ」


「逃げて……いたんですか?」


 私は、彼の言葉に首を傾げた。


 なんていうか……本当に見た目で判断して申し訳ないけど、三人の中だとそれは一番伽羅さんがそれをしそうだなって思ってしまったから。なんとなくの、パッと見た初対面の印象で。


「……多聞も、伽羅も。幼い頃から知っていて別に嫌いではない。けど、君をどうしても嫁に得たいようで……他に対する、敵対心が凄い。一緒に居るのがどうも疲れて、適当に言って抜けて逃げて来た」


「那由多さんは、そうじゃない……みたい、ですね」


 花嫁争奪戦というのだから、争うのなら彼にその気がなければ、参加者であることは疲れてしまうのかもしれない。


 那由多さんはこうしてまじまじとして見れば、特上の外見を持ち私の好みにはバッチリなんだけど。


 向こうにその気がないというのを理解してしまうというのは、なんとも切ないものだ。


「……いや。それは、違う。どうか。誤解をしないでくれ。俺も、君を花嫁に得たいと思っているし……それに、君以上の誰かは考えられなくなった。今は」

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