第10話「異形の松」
「いいや。俺は、君を手に入れたい。どうこう思い悩んでだり、なり振りを構っている場合ではないことは、わかっている。どうしても……未来においての不安な要素は、残したくない。絶対に……今回は、失敗したくないから」
彼の視線を辿れば、これまでに見たことのない不思議な形をした一本の松があった。うねうねと枝は折れ曲がり、幹の部分が何個も瘤のように盛り上がり、森の中にある訳だから庭師に世話をされている訳もないんだけど、何もかも自然なままだと言われても奇妙な松だった。
隣で何かを考えているような那由多さんは、何か隠していることがあったとして、それを未来の私に知られたとする。そして、そうなったことによって自分に悪印象を受けることを、事前に出来るだけ防いで置きたいらしい。
彼が先ほど言った事に関しては私は多分、聞いてもなんとも思わないとは思うけど。
でも、世の中には動かせない過去を、許せないと考える人は居るかもしれないし。私自身が世の中の基準ではないことは確かだし。自分の存在を知らなかった時代だとしても、過去を気にする女の子だって、どこかには居るのかも。
そして、争奪戦の開始前から私に嫌われたくなくて好かれたいと思っているのなら、未来の不安要因は取り除いて置きたいと思っているのかもしれなかった。
那由多さんの行動は、色んな見方があるだろう。黙ったままの方が良かったとか、もっと機会を待ってくれれば良かったとか。
けど、私は未来嫌われてしまう可能性を取り除きたいという、そこまでしてくれるという必死さを感じて、やっぱり胸はときめいた。
私たち二人は昨日初対面で、こうして森で会ってから、まだ一時間も経っていないというのに。
そう。これがもし乙女ゲームであれば、好感度は爆上がり。但し、本来ならば逆でヒロインっぽい立ち位置の私側の話だけど。
「……真面目な性格なんですね。過去の恋は、今の私たちにはあまり関係ないのに」
「もし。俺が結婚するなら、伴侶となる人は真面目な性格が良いと思う」
「それは、確かにそうですけど……キャッ」
ゆっくりと歩きつつ目を引く異形の松を見ていた私は、完全に気にもしてなかった足元で何かに躓いた。バランスを崩して倒れ込み、両手をついてなんとか耐えたものの手をついてしまった場所が悪かったのか。
折れてしまった鋭い木の枝のようなもので、ざっくりと派手に手のひらが切れてしまったようだった。開いた傷から血が湧き上がって来て、これは深くまで切ってしまったと思った。治癒には、長い長い期間が掛かってしまうはずだ。
「大丈夫か? 見せてくれ」
貴登さんを見掛けて思い付きでの外出だったから、何も持たずに出て来てしまった。いつもなら、携帯しているはずのハンカチも持っていない。
「すっ……すみません。私。本当だったら出て来る予定ではなかったので、ハンカチも持ってなくて!?」
那由多さんは、傷をじっと見つめた後、とんでもない行動を取った。
私が声もなく、目を見開いて驚いてしまったのは仕方ない。那由多さんは、ある程度の土を払った後に私の傷に舌を這わせたからだ。ぬるりと軟体動物を思わせる感触が、開いた傷を通り抜けた。
「ちょっ……ちょっと待ってください!」
結構な深い傷は「ツバつけたら治る」というような、そんな生易しいものではなかった。しかも、誰かの血は舐めて良いものではない気がする。感染症の問題などもあって。
手を引こうとしても、離して貰えない。傷を負って敏感になっている手のひらを、ぬるぬるとした熱い舌が舐めている。こんな時だというのに、背中に痺れるような何かが通り過ぎた。
那由多さんは、別にそういうつもりではない。はずだ。一人だけ勘違いしている現状が居たたまれなくなって、私は強い力を込めて腕を引き戻した。
「……っえ?」
パッと自分の手のひらを見て、また驚いた。さっき、ざっくりと派手に切れて怪我をしたはずの手のひらには、見事に傷が塞がっているのだ。
「咄嗟に治癒したから、説明が出来てなくて、悪い。痛みを感じる前にと、思った……人と天狗の体液が混じると、こうなる。今聖良さんの中に入った俺の神通力は少量だが、ほんの少し寿命も延びているはずだよ。そういうものだから」
那由多さんの表情は、どこか照れくさい。
赤くなっているようにも、見える。私も同じように、というか彼より遥かに真っ赤なはずだ。だって、身体のどこかを誰かに舐められた覚えなどないのだから。
「……寿命まで……」
私は彼の言葉に呆気に取られたまま、手のひらを見つめた。
そういえば、昨夜寿命の話をした時に、多聞さんは天狗と交じり合えば彼らの神通力が私の身体に入って寿命が延びるという話をしてくれた。まさにこういうこと、だったんだ。
貴登さんと会って人生で初めて天狗の姿を見ても、特に驚きもしなかった私だというのに。摩訶不思議な出来事に触れて、驚きを隠せなかった。
那由多さんは、神通力という不思議な力を持つ天狗だった。それはもう知っている、ことなんだけど。自分の中での理解は、まだ追いついてはいなかった。
「ああ。驚かせて、すまない。後、君を迎えに来たらしい貴登は、実は一度様子を見に来たが、俺たちの様子を見て帰って行ったようだった……そろそろ夕餉の時間だから、帰ろう」
不思議な方法で治癒して貰った手を、意味なく何度も握っては開いてを繰り返してしまっていた私は、那由多さんが言った言葉に慌てて頷いた。
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