第23話「好き」
部屋の前まで送って来てくれた那由多さんは、微笑みながら自然に繋いでいた手を離そうとしたので、私は思わずぎゅっと手を強く握り締めた。
「……聖良さん?」
私の思わぬ行動に戸惑っているのか、那由多さんは首を傾げた。
「あの……別にさっきの人が……どうこうとかでは、ないんですけど……なんだか、少し怖くて。一緒に居て貰って、良いですか……?」
私の目が多分あまりに必死だったせいか、那由多さんは苦笑しつつ頷いた。
「良いよ。この前と一緒で、聖良さん自身が自分で俺を部屋に招き入れれば、掟には反していないはずだから」
「ごめんなさい……那由多さんは、忙しいのに」
天狗族ではまだ若い働き手で彼らは、現在は争奪戦を監督する相模坊さんの預かりの身分となっているらしい。だから、現在は相模坊さんから三人三様に何らかの役目を与えられて、私と会わない時はそれなりに忙しくして働いている。
天狗族だって集団で生活をしている訳で、その中の一員であれば、歯車のひとつとなる役目を持つことになる。だから、大事な花嫁に選ばれるというそういう時にも、彼らは気楽に遊んでいられるという訳ではなかった。
「全然。あんな風に嫌がらせで、服を隠されたり……誰かからの悪意を、ああして目の当たりにすると、心がしんどいだろう。俺で良ければ、なんでも聞くよ。不安に思っていることを吐き出せば、大分気持ちが楽になると思うし」
那由多さんは立ち竦んでいる私の代わりに、引き戸を開けて部屋に入るように促した。私の自室はお世話をしてくれている小天狗さんのおかげか、この城全体を統括する相模坊さんの神通力なのか。常に適温で、快適に保たれていた。
私は彼に貸してもらった羽織りを着たそのままの恰好で、那由多さんがいそいそと出してくれた座布団の上に座った。私の部屋なんだから、部屋の主である私が持て成さなければいけないのに……なんだか、申し訳ない気がする。
無言のままでお茶も用意してくれた那由多さんは、慣れた様子で小さな机に小さな茶碗を二つ置いた。
尚も口を開かないままの私の様子をどう解釈したものか、隣に座った彼は静かに語り始めた。
「……白蘭は、昔から多聞のことが好きでね。俺たちは天狗族の中では、年齢も同じくらいで、天狗族を治める大天狗の親父たちが、一族の会議で集まる際には必ずと言って良いくらい顔を合わせた。まあ……そんな中でも仲が良い奴も居れば、悪い奴も居る。多聞は数が少ない女天狗たちからは、特に好かれていたから、白蘭はおかしいくらいに、他を牽制してたよ。いつもな」
何が言いたいのかと首を傾げた私に、那由多さんは肩を竦めた。
「俺は、多聞のどっちつかずの態度を見て、いつも不思議に思っていた。妹のような白蘭を傷つけたくない気持ちは、俺にだってわからんでもない。だが、甘えて泣けば優しくされるから、白蘭はどんどん増長していった。俺は、あれがどうしても優しさだとは思えないんだ。俺なら、好きな子以外には優しくしない」
そう言って目を合わせたので、那由多さんが何を言わんとしているかは、私にもわかった。これまでどれだけ彼が優しくしてくれたかは、私自身が一番知っているからだ。
「あのね……私。今年の春に入社した会社で、社長の甥っ子さんに指導されるようになって。彼は入社時からとても優しかったし、私もとても信頼していた。けど、二人で食事に行こうと誘われたんだけど、私には彼とそういう風になるつもりがなかったから……断ったの。それまでは、優しかったのに。その時から、彼は豹変した。私の上司も経営者一族に逆らう訳にはいかなくて……私、覚えていないんだけど、もしかしたら何か期待させるような事を、彼に言ったかもしれない。けど、半年も経っていないのに、こんな理由で入りたかった会社を辞めたくなくて……けど、本当にしんどかった」
私が唐突に始めてしまった吐き出しは、彼が予想していたものではなかったはずだ。けれど、那由多さんは、黙ったままで最後まで聞いてくれた。
「そっか……偉かった」
私は、彼の言葉に涙をこぼしてたまま何度か頷いた。それを見て、那由多さんは私を包み込むようにして抱きしめた。
そんな事くらいで、会社を辞めたくなるくらい落ち込むなんて、誰かに言えば情けないし甘いと思われるかもしれない。けれど、本当に怖かったのだ。順風満帆に続くと思っていた生活の中で、信用していた人に急に手のひらを返されるその瞬間。
私は、絶望した。
けど、そんな自分に負けたくなかった。だから、どんなに嫌な思いをしようが絶対に会社には通った。休まなかった。
けど、ずっと逃げ出したかった。何処かへ……きっと、この人の腕の中へ。
「偉かった。泣いて良いよ。これからは、ずっと一緒に居よう……ずっとだ」
「那由多さん……好き」
泣き声のままつい唇からこぼれてしまった言葉に、はっとした顔をしたのは彼だった。優しく微笑みながらも、複雑そうな表情で言った。
「ダメだよ。掟だ。俺一人に決めるという決断は、もう少し。待って欲しい」
「どうして……好きなのに。これからも、私と一緒に居てくれるんでしょう?」
自分が一番に心の重荷として抱えていたものを吐き出すことが出来て、私は抑えが利かなくなっていた。私は好きだし、彼だって私の事が。争奪戦参加者のあとの二人も、もう納得してくれているのに。
私の訴えを聞いて、那由多さんは困った顔をして大きな手で背中を摩ってくれた。
「……そう言ってくれて、俺は本当に嬉しいけど……けど、今はダメだ。俺からはそれしか言えない」
彼の整った顔はすぐ間近で、私はその時多分どうかしていた。だから、那由多さんの了承も得ずに、彼の唇に唇を押し当てた。
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